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それから十年後。
天正九年 八月十六日。
おれは明智十兵衛さまの前で膝をつき、「ただいま戻りました」と頭を下げた。
ここは周山城の天守閣。
すでに戌の刻が過ぎ、夜の帳が降りている。
十兵衛さまの穏やかな微笑みが、月明かりに照らされ、はっきりと見えた。
「光雨よ。見よ、この見事な中秋の名月を。
あんなに煌々と月が見えているのに、ぽつぽつと雨が降り始めた。…ああ、光雨が帰ってきたのだなと思うておったところだ」
おれと十兵衛さまが邂逅すると雨が降る。
まるで、二人をつなぐ絆の証のように。
16才となったおれは、間諜として働いていた。
間諜とは情報を集める者。つまりはスパイだ。
敵陣に潜入することもあるが、普段の仕事は、領民たちの本音を聞いて回ることだ。
おれは割と端正な顔立ちをしているらしい。この顔のおかげで女たちの口は軽くなり、勝手にいろんな情報を喋ってくれる。
「十兵衛さまが由良川に堤防をお作りになったことで、河川の氾濫が減り、領民たちは大いに喜んでおります。今年は豊作であろう、と農民たちは笑顔で語っておりました。
また、明智軍は悪さをせぬと噂されておりました。軍法をお作りになったことで、軍隊の規律が上がったためと思われます」
「そうかそうか」
満足げにうなづく十兵衛を見て、おれの顔はほころぶ。
領民たちが送る賞賛の言葉をお伝えできることが、なによりも嬉しく、誇らしい。
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