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第1話
僕には秘密がある。それは深い森の中。小さな家に住む白い神様。
いつも身体から煙草の臭いがして、僕が家を訪ねると「また来たんだね」と静かに微笑む。
白い髪と透き通るような白い肌を持つ青年。
初めて父さんに連れられて、ここに来た時、あまりの美しさに見惚れた。この世のものとはとても思えなかった。まるで、妖精の世界から来た人のように見えた。
彼は僕の顔をじっと見て、少しだけ驚いたように目を見開いた。しかし、すぐにそれを隠すように穏やかに微笑んで、僕の頭を撫でた。でも、その表情はどこか寂しげで、少し苦しそうに見えた。子どもでも分かるくらいだから、周りの大人たちも気づいていたはずだ。だが、誰も彼に寄り添おうとはしなかった。
だからか、傍に居てあげたい。放っては置けないと思った。
それから、毎日と言っていいほど彼を訪ねた。
彼はいつも美味しい紅茶を入れて、僕の話を聞いてくれる。友達と喧嘩した話、妹がおもらしして泣いていた話。どうでもいい話を面白そうに聞いてくれる。それが嬉しくて、ついつい話してしまう。
「彼はもう随分と長く生きているらしい」父さんがそれとなく言った。「どうして?」と聞くと、少しの間黙り込み、一言「罰を受けているからだ」と言った。
こんなに神聖で美しい人が、どんな罪を犯したのだろうか。
僕はそれが少し不思議で、どうにかして、彼の話を聞いてみたいと思った。でも、彼は決して自分の話をしなかった。うまく話を振っても、何だかんだと避けられる。
そうやって、僕の日々は過ぎっていった。
*
ある日、彼を訪ねると、彼の姿がどこにもなかった。慌てて家の中を探す。くまなく探すが、どこにもいない。
どっと嫌な汗が噴き出す。この家は、僕たちスタアク家、それから、レイト家しか知らないはずだ。
もしかしたら、あの神様に誰かが罰を降しに来たのかもしれない。
どうしたら…どうしたら…と思考を巡らせる。
とにかく探すしかない。
僕は子どもの頃、よく父に連れられて動物を狩りに行っていたので、生き物を探す術を知っていた。生き物が通った跡は、注意深く観察すれば見つけることができる。
ある獣道の入り口に人の通った跡を見つけた。しゃがみ込み、足跡の大きさ、数を観察する。どうやら一人でこの道に入ったようだ。
辺りは薄暗くなり始め、ホーホーとフクロウが低く鳴いている。
鬱蒼とした森に分け入る勇気が出ない。それでも、震える身体に鞭打って、森の中に踏み込んだ。
森の中はもはや真っ暗で、遠くでぼんやりと何かが光っていた。僕は腰に下げていたランタンに火を入れて、身体の前に持ち、足元を照らしながら歩く。
獣道といっても、足元は踏み固められており、蜘蛛の巣もない。よく使われているようだ。こんな所で猪にでも会ったら大変だ。緊張でバクバクと心臓が音を立てて脈打つ。
それでも、彼を見つけるまで帰るつもりはなかった。
僕にとって彼は友だちとも兄とも違う。僕は彼に恋をしていた。
僕は男なのに、男の人を好きになるなんて思わなかった。でも、彼は特別なんだ。一度でいいから、触れてみたい。いつもの表情以外が見てみたい。最初はそんな願いだった。それがいつの間にか恋に変わっていた。
茂みがガサガサと音を立てた。心臓が痛いほど跳ね上がる。息を殺し、ランタンの光で照らすと、ウサギがぴょんと飛び出してきた。僕に気づき、だっと駆け出す。
「なんだ…ウサギか…」
ほっと胸をなでおろす。それでも、一度速くなった心拍数は、すぐには元に戻らなかった。
しばらく、獣道を歩いていると、急に視界が広がった。そこには、湖があった。こんな深い森のなかに、湖があったなんて…。思わず立ち尽くす。水面が月あかりに照らされて、黒く光っている。
僕はランタンを身体の前に突き出し、辺りを注意深く眺めた。すると、少し先の湖のほとりに、白いものが倒れていることに気づいた。遠くてよく見えないが、人のようだ。おそらく彼だろう。
逸る気持ちを抑え、足元を注意深く観察しながら、彼に歩み寄る。近づくにつれて、僕の方に背を向けて横になっているのが分かった。
ついに彼に触れられるほど近づく。僕は彼を驚かせないように、声のトーンを落として声をかけた。
「ベオさん、こんなところで何しているんです…?」
すると、彼が急にがばっと起きあがって振り返った。長い髪が乱れて、顔にかかり、その内何本かが口に入っていた。その髪の合間から、月明かりに照らされて、黒い瞳が見える。その瞳には涙が溢れんばかりに溜まっていた。
初めて見る表情に驚いて固まる。
彼はぼろぼろと涙を流しながら、僕にすがりついた。
「…アドニが…いないんだ。どこにもいないの…。どこに行ったか知らない? ジユルなら分かるんじゃないの…?」
「え…?」
「さっきまでいたんだよ…。嘘じゃない。本当にいたんだ…。なのに、どこにもいないの…」
顔を手で覆って、うううと泣き始めた。僕はジユルじゃないけど…と困惑する。それでも、泣く人を邪険に扱うほど、人でなしでもない。
持っていたランタンを地面に置いて、抱きしめる。僕の腕の中で、神様が泣いている。いつもは、遠くて触れられないように見えたが、今は普通の男の子に見えた。
こんなに泣くほど、大切な人が居たのだと思うと、胸が痛む。何年、いや何百年経っても、彼の中に残り続けるほどだ。相当思い入れのある人なのだろう。
それが、少しだけ羨ましい。
僕が泣いている時に、父さんがよくしてくれたように、彼の頭を優しく撫でる。白くてきれいな髪。サラサラしていて、触っているだけで気持ちがいい。それに今日はいつもの煙草の臭いがしなかった。
すると、彼が僕の腰に手を回して、ぎゅっと抱きついた。その動作にドキッとする。胸に涙がしみていく。それに熱い息が、身体に当たって、ちょっとだけ興奮した。
「ジユル…。ボク一体、どうしちゃったんだろう…。何も思い出せないんだ…」
ぐずぐずと鼻をすすりながら、彼がつぶやく。悲痛な声に、ズキズキと胸が痛んだ。
やっぱり、僕はジユルじゃないと伝えないと…
意を決して、彼から身体を離して、顔を覗き込む。涙や鼻水で汚れた顔を持っていたハンカチで拭いながら、
「僕はジユルじゃなくて、ニズですよ。ベオさん。」
と言った。すると、ぽかーんと口を開き、まじまじと僕を見つめ、何かを思い出したように表情が無くなった。
たった一言「そっか…。そうだった…」とつぶやき、僕の肩に額をくっつけた。
僕はどうすることもできず、固まる。今日は固まってばかりだ。でも、本当にどうしていいか分からない。
彼を慰める言葉なんて、思いつくはずもなかった。だって、彼と僕の生きてきた年数は、あまりに違い過ぎる。
数分、彼は動かず、ただ黙っていたが、ふと顔を上げて僕を見た。ランタンに照らされた顔は、少しだけ怖かった。
彼がほとんど口を動かさずつぶやく。
「ねえ、ニズ。ボクを…殺して…」
絶望の底にいるかのような冷えきった声にゾッとした。
「…無理ですよ…」
「無理じゃない。その腰に下げているナイフで、ボクを刺して。」
「嫌です。なんで、そんなこと…」
「だって、もう生きているのが辛いんだ…。苦しいんだ…。頼むよ…」
涙がハラハラと落ちる。それでも、僕は首を縦に降らなかった。すると、急に彼が僕を押し倒し、僕の身体の上に覆いかぶさった。陰になって彼の顔がよく見えない。すると、彼は僕の腰のナイフを奪って、自分の咽喉に突き刺した。
あまりの速さに止める暇もなく、熱い血が顔に落ちてきた。ぼたぼたと顔に当たる。鉄臭い血の臭い。
彼は「うっ」と呻いて、僕の上に倒れた。僕は慌てて身体を起こして、彼の首からナイフを抜く。ぶしゅっと血しぶきが飛び、身体を濡らした。
「ベオさん! ベオさん!」
ぱくぱくと口を痙攣させる彼の身体を揺らす。一瞬息が止まり、すぐに傷が再生し始めた。
それを見て、本当に不老不死だったのだと悟る。
みるみるうちに、彼の傷はふさがり、呼吸が落ち着いた。彼は「ああ」とつぶやき、涙を流した。
「やっぱり…死ねない…」
それだけつぶやくと、声をあげて激しく泣き始めた。
血の臭いと汗の臭いに包まれて、もうどうしたらいいか分からず、呆然とする。どうしたら彼の痛みを苦しみを少しの間だけ、忘れさせることができるだろう…
僕にできることは、そう多くはない。でも、何もしないわけにはいかない。
泣き続ける彼を抱き上げて、優しく優しく髪を撫でる。言葉は必要ない。ただ、彼の痛みが少しでも安らぐように撫でた。
彼は驚いたように、僕の顔を見あげた。
「…なんで、そんなに優しくしてくれるの?」
「何でと言われたら、ちょっと困りますが…。こうしたいからですかね…」
ぽりぽりと頬を掻く。じっと見つめられてと、少し照れる。
彼はぽろぽろと涙を落としながら、小さくつぶやいた。
「…君は本当に優しいだね…。驚いた。てっきり親に言われて仕方なく、ボクに付き合ってくれているのかと思ってたよ…」
「え! そんなわけないじゃないですか! 僕、ずっと、ベオさんのことが好きで…」
と言いかけて、慌てて口をつぐんだ。危ない。勢いで告白しそうになった。
すると、彼が声を立てて笑いだした。
「ははは、ボクのこと好きなの? 本気で? 化物なのに?」
誤魔化しきれるはずもなく、カッと顔か熱くなる。言ってしまった手前、後には引けない。
僕は真剣な表情で、彼に言った。
「化物とか…関係ないですよ。その…まあ、本気で好きです。」
僕の言葉に、彼は急に笑うのをやめた。
「それは…どういう意味で?」
「もちろん、恋愛対象として好きです。」
「恋愛…対象…」
知らない単語をつぶやくように繰り返す。彼は俯いてしまったので、どんな表情をしているか分からない。だが、身体が熱を持って熱くなっていくのを感じた。
どうしても彼の表情が見たくて、彼の顔を覗き込む。彼は混乱しているようだった。やっぱり言うんじゃなかったと…後悔する。
「ごめんなさい…。急に言われても困りますよね…」
彼は答えない。沈黙が僕たちを包む。ややあって、彼が小さくつぶやいた。
「多分、君は自分と違うように見えるボクに憧れているだけだ。きっとその気持ちもすぐに変わってしまうよ。」
「違います。そうじゃなくて…、本当に恋してるんです。僕はベオさんが好きです。それに変わってしまうなんて、決めつけないでください。確かに、今抱えている気持ちがずっと続くのは難しいでしょうけど…、でも、それが恋ではなく、愛に変わるだけだと、僕は思ってます。」
力強く言い切ると、彼は鼻で笑うように言った。
「そんなこと信じられるはずがない。人間は変わる生き物だ。君だって、変わってしまう。いつかボクのことを忘れてしまうよ。だって、ボクの恋人もそうだったんだから。」
最後の方は掠れてよく聞こえなかった。でも、彼が酷く傷ついているのが分かった。
あまりに後ろ向きな発言に苛立つ。僕は乱暴に彼の顔をこちらに向かせると、その唇にキスをした。彼が驚いて「ん――!」と叫ぶ。
勢いよく離すと、驚いて目を剥いている彼に怒鳴った。
「どうして、決めつけるんですか!? もしかしたら、違う未来が待っているかもしれないじゃないですか! それに、僕は本気であなたを守りたいし、ずっと一緒にいたいんです!それじゃあ、だめなんですか? 僕の気持ちは消えていくだけのちっぽけなものだって言うんですか!?」
「そうだよ。僕はもう千年近く生きているんだ。ボクにとって、君はちっぽけな存在だ。長い長い生を慰めるには足りないさ。」
冷たい口調に、涙がどっと溢れ出す。
今まで抱えていた気持ちをすべて否定された気がした。この氷のような人に、僕は傷一つつけられない。でも、そう簡単に諦められるはずもなかった。
離れようとする彼を無理やり押し倒す。腕を押さえつけて、覆いかぶさるように彼の顔を眺めた。
彼は何とか逃れようともがく。
「何するんだ、ニズ! やめてよ!」
「…どうしたら、僕の気持ちをちゃんと真っ直ぐ受け止めてくれますか? 僕のことが恋愛対象に見られないのなら諦めます。でも、ベオさんはただ長く生きているから、変わってしまうからとしか言わない。ちゃんと、どう思っているか、教えてください。」
彼の動きがぴたりと止まった。息をしているのかもわからないほど、微動だにしない。
僕が彼に顔を寄せると、彼は目を閉じた。僕がその唇にキスしても、彼は何も言わなかった。
一度キスしてしまうと、あとからあとから欲しくなる。短く重ね、それから、舌で唇を舐める。彼の口が少し開く。舌を入れると、彼も応えた。
そうやって、ランタンの明かりでぼんやりと照らされたほとりで、僕たちはキスをした。だんだんと興奮が増していく。もはや、押さえつけていた手を離しても、彼は逃げようとしなかった。
僕は無言で、彼の服を脱がせる。彼の身体がぴくっと震えた。
ランタンの火が消える。
月明かりに白い裸がぼんやりと浮かんで見えた。僕も自分の服を脱ぎ、彼の身体に己の身体を重ねる。汗ばんだ肌の感触。そして、熱く大きく膨らんだものが股関に当たる。
もはや理性は吹き飛び、欲求が身体を支配した。
僕は彼の唇にキスして、それから身体を舐めた。彼の口から小さく吐息が漏れる。気持ち良さそうな表情。
こんなにも気持ち良さそうにするとは思わず驚く。相当フラストレーションがたまっていたのかもしれない。長く生きていたって、身体はそこら辺の男と変わらない。一度身体が触れ合う感触を知ってしまえば、もう元には戻れない。
乳首を舐めると、彼の表情が恍惚となり、呼吸が速くなった。口から「あっうっ」と短く喘ぎ声が出る。じんわりと彼の先っぽから、液体が滴っている。僕は乳首を舐めながら、それを握って上下に擦った。
途端、彼が身体を反り返らせ、
「んあ! ああ! もっとゆっくり触って…。出ちゃうから…」
「出してもいいですよ…」
「やだ…まだ…出したくない…」
潤んだ瞳でふるふると首を振った。可愛い表情に、僕の中の性欲が加速する。さらに勢いよく擦り続けると、彼がバタバタと暴れ始めた。
「本当に……やめて…。もう…ああ…ん…出ちゃうから…。イク前に…入れて…」
はあはあと荒く息は吐きながら、彼が僕の腕を掴んだ。僕はやっと正気に戻って、手を止める。
涙で濡れた瞳と目があった。物欲しそうに僕を見ている。僕は握っていた手を離し、彼の穴に触れた。まだほぐしてないのに、既に柔らかい。そこで、僕に会う前に、既に自分で柔らかくしていたのだと悟った。
僕は屈んで穴に舌を入れて舐めた。ぐちゅぐちゅと涎を入れながら、舌でさらに柔らかくする。彼の声が遠くでさらに高くなるのが聞こえた。
それから、自分の固くなったものをぐっと穴に当てる。じんわりと先っぽから熱が伝わってきた。実は初めて入れるので、上手に入れられるか、ちょっと不安だった。
それを察してか、彼が急に起き上がって、僕を押し倒した。そして、僕のものを掴んで、おしりを当てた。ぐぐっと力を込めて、穴に入れ始める。窮屈なものに入る感触がして、それから温かな感触に包まれた。
あまりの気持ち良さに、一瞬出そうになった。それを必死我慢する。歯を食いしばっていると、さらにずんずんと入っていった。少しして、先っぽから付け根まですっぽり中に入る。
目を開けると、苦しそうに顔を歪めた彼の顔がよく見えた。はっはっと短く呼吸を繰り返している。
薄っすらと開いた瞳と目があった。彼が微笑んだように見えた。ぐいっと身体を前に倒して、顔を寄せる。
そして、僕の唇にキスして、
「…気持ちいい?」
と囁いた。僕は無言でうなづく。
彼は身体を起こして、僕の上でゆっくりと腰を動かし始めた。こんなにも気持ちがいいのは初めてだ。彼が動けば動くほど、何度も気持ちのいい波が襲ってきて、そのたびに顔が快楽に歪む。彼も気持ちが良さそうに声を出していた。
僕は手を伸ばして、彼の大きくなったものを掴む。彼の身体がビクッと震えた。ゆっくりと擦ると、「や…だ…、うう…」と喘ぎ出す。
僕たちは互いに触りながら、キスをして、時に体勢を変えて、抱き合った。こんなにも気持ちがいいことを、今まで知らなかったなんて…
それに、彼も何だかすべてを忘れているように見えた。ただ、目の前の快楽に集中している。彼の頭の中には、僕と彼しか存在しないように見えた。
先っぽから滴る液体の量が増え、呼吸も頭の中も最高潮を迎えていた。彼が押し殺した声でつぶやく。
「ああ…もう…もう…イッ」
ぴるぴると白い液体が先っぽから飛び出る。ほとんど同じタイミングで、彼の中がぎゅっと締まって、僕も果てた。すぐに中に出してしまったことに気づき、慌てて抜く。
彼はぴくぴくと身体を痙攣させて、地面に横たわった。おしりから白い液体が流れている。
僕は正気に戻って謝った。
「ごめんなさい…。中に…」
「…いいよ。別に…」
はあはあと荒く呼吸を繰り返しながら、彼はそれだけ言って、仰向けに寝転がると額の上に腕を乗せた。僕は自分の服で、彼の身体に飛び散った精液を拭う。
彼は呼吸を整えながら、小さく「やっちゃった…。我慢してたのに…」とつぶやいた。そして、目だけ動かして僕を見た。
「君は乱暴だね…。驚いたよ…」
「ごめんなさい…。無理やりしてしまって…」
「はは、いいさ…。ボクも逃げようと思ったら、逃げられたんだし…。結局、ボクは君としたかったんだよ。」
その言葉に驚く。彼は小さく笑って、
「君を初めて見た時、髪や瞳の色はジユル…君の祖先だね、に似ていると思った。でも、たまに見せる表情や仕草がね…、アドニに似ているんだ。君は…おそらく、アドニの…ボクの恋人の生まれ変わりなんだと思う。」
「え…? 生まれ変わり…? そんなものが本当にあるんですか…?」
「あるよ…。実際に、何度も生まれ変わりに会ったことがある。本人は覚えていないようだったけど、ボクには分かった…」
荒くなった息を整えながら、途切れ途切れにつぶやいた。僕は何だか信じられなくて、目を瞬く。
「どうして、生まれ変わりだと分かったんですか…?」
「初めて会った気がしない人は、大体そうなんだよ…。見た目は全く違っても、魂は同じなんだ…。だから、君の中に宿っている魂も、おそらくアドニのものだよ。きっとそう。だって、初めて見た時、君からアドニの匂いがした気がしたからね…」
大きく息を吐き、やっと起きあがった。彼は裸のまま、僕の隣に座った。そして、僕の手を優しく握って、
「でもね。一度手放したものを、もう一度手に入れたいとは思わなかった。だから、君の気持ちを否定したかった。それに愛する人に忘れられるのは、結構堪えるんだよ。」
僕の手に接吻しながら、寂しげに微笑んだ。
「覚えていないだろうけどさ、最後の方、ボクのこと忘れていたよね。誰だお前と言われた時、気が遠くなったんだから。」
「それは…何だか…申し訳ないです…」
「君に言っても仕方がないけどね。だから、もう、誰のことも好きにならないし、愛さないと決めてたのに…。君に求められた時、どうしても拒絶しきれなかった。ごめんね、ニズ…」
その声は震えていた。僕はぼろぼろと涙を零す美しい人の肩を抱き、抱き寄せる。
「謝らないでください…。むしろ、僕がしたかったんです。あなたに触れてみたかった。いつもの表情じゃなくて、もっと人間らしい喜怒哀楽が見たかった。それに…初めて見た時から、何だか放っておけない気がしてたんです。きっとそれは、えっと、生まれ変わる前の僕が残した、ベオさんへの気持ちだったんだと思いますよ。」
彼の瞳が大きく見開いた。そして、ほとんど聞こえないくらいの大きさでつぶやいた。
「放っておけない…か…。そっか。あなたにも…未練があったんだね…。ごめんね、一緒に死ねなくて…」
うううと声を押し殺して泣き始めた。こんなに泣く人だと思わなかった。いつも何だかぼんやりとしていて、ここではない、どこか遠くを見ているような人だった。その人が今、僕の腕の中で、泣いている。
彼は神でも、妖精でもなく、一人の寂しい人間なんだ。
何の因果か老いることもなく、死なない身体になってしまって、それでも、狂うことなく生きている。
僕は彼の涙を拭って、それから、口づけした。ゆっくりと愛を確かめるように、口を動かす。彼は最初、少しためらうように口を閉じたが、すぐに目を閉じてキスに応えた。
裸のまま、僕たちはキスをしていた。誰も咎める人はいない。今ここにいるのは、僕と彼だけ。
その熱い唇を離し、僕は囁く。
「好きです、ベオさん。僕は死ぬまであなたのことを忘れません。ずっとずっと覚えています。だから、どうか、僕がそばにいることを許してください…」
「…そんなこと約束しなくてもいいよ。君がボクの傍に居たいなら、ずっといたらいい。それに嫌になったら、離れてもいいんだ。そのくらいの関係が、きっと丁度いいよ。それでも良ければ、君の愛を受け入れよう。」
それは少しだけ寂しい愛の告白だった。僕はちょっとだけ泣きそうになった。でも、彼の気持ちを尊重したい。それに、いつか来る終わりの日が、できるだけ寂しくないようにしたいのだろう。それを、僕が壊すことはできない。
僕はうなづき、
「それなら、僕はずっとベオさんの傍にいますね。多分、死ぬまで傍にいますから、覚悟してください。」
笑いながら、彼の頬にキスをした。しょっぱくて、何だか幸せな味がした。
彼は目を細めて、
「いいよ。それでいい。でも少しだけ、わがままを聞いてくれる?」
「いいですよ。何ですか?」
「敬語はやめて。昔のボクを思い出して、ちょっと嫌なんだ。それと、ボクのことはベオと呼んでほしい。これだけは守ってほしいんだ。」
「…分かったよ。ベオ。これでいい?」
「うん、それでいい。」
彼が優しく微笑んだ。
月明かりに照らされた彼の身体はとても美しくて、何だかこの世のものとは思えなかった。明日、目が覚めたら消えてしまわないだろうか…という不安に襲われる。
それから、服を着て、帰り道を手を繋いで歩いた。
僕はふと気になったことを聞いてみる。
「そういえば、フルネームは何っていうの? 僕、あなたのことは、ベオとしか知らなくて…」
彼は「へえ」と短く答え、それから、ニコッと笑って
「ベオグラード・セルシンだよ。」
と答えた。
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