第5話

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第5話

カロンコロンと、店の扉が開く。僕は持っていた紳士服をカウンターに置き、 「いらっしゃいませ。」 愛想よく微笑んだ。 ここは霧の街――僕の住む街の一角にたたずむ老舗紳士服店。 店先には様々なデザインの紳士服を着せられたマネキンが並び、壁には所狭しと布が飾られている。僕はここでテーラー兼店頭販売員として働いていた。 僕の働く店は完全オーダーメイドの紳士服を扱っており、特に富裕層が好んで買いに来る。 今入ってきた紳士もまさにそんな風貌だ。よくよく見ると、この街の政治家の一人だと分かる。紳士はゆっくりとカウンターまで歩いてくると、皺の寄った瞳で僕をしげしげと眺めた。 僕はにこやかなまま、 「お客様、どのようなご用向きでしょうか?」 静かに訊ねる。紳士ははっとしたように目を開き、 「いやいや、これは失礼。店長はいるかね?」 「店長でございますね。少々お待ちくださいませ。確認いたします。」 僕は愛想笑いを浮かべたままバックヤードに入る。店頭とは違い、物が乱雑に溢れかえっていた。さらに、ミシンの音やら人の話声やらで、耳を塞ぎたくなるほどうるさい。僕はその一番奥で真剣にミシンを扱っている初老の男性に声をかける。 「店長! お客様です!」 「ああ? なんだって?」 「だから、お客様です!」 「ああ、分かった! すぐ行く!」 店長はひらひらと手を振り、またミシンに視線を戻した。僕はため息をつき、バックヤードからカウンターに戻る。紳士はきょろきょろと店の中を眺めながら待っていた。僕に気づき、視線を戻した。僕は渾身の笑みを浮かべ、 「お待たせいたしました。もうすぐ参ります。よろしければ、そちらの席におかけになってお待ちください。」 打ち合わせの際に使用するスペースを指す。紳士は「ありがとう」と言い、またじっと僕の顔を眺めた。ほんの数秒開き、紳士が口を開く。 「その…失礼だが…スタアクさんの息子さんかね。君。」 覚悟していた言葉だったが、少しだけ顔が強張る。それでも、できるだけ自然な表情のまま、にこやかに答える。 「はい。スタアクの次男です。」 「そうかね。それはそれは。君の御父上とお兄さんには、世話になっているものでね。」 紳士はにこにこと機嫌よく雑談をし、店長が姿を現すと、僕から離れていった。 ほっと息を吐き、バックヤードに戻る。すると、先輩がニヤニヤしながら、僕に近づいてきた。 「また、スタアクの次男坊って絡まれてたな、お前。有名一族出身も大変だねえ。」 「…そうっすね。」 「テンション低! そんなに嫌なら髪を染めればいいだろうに、物好きだねえ、お前も。」 ぽんぽんと肩を叩き、離れていった。僕はもう一度、大きくため息をつく。目の端に銀色の髪が揺れた。僕たちスタアク家は皆銀髪を持つ。僕の顔を知らなくても、この髪を見れば、どこの子どもがすぐにばれてしまう。だから、僕はあまりこの髪が好きじゃない。 「おい、スタアク! お客様のお帰りだ。お前もお見送りしろ!」 すぐ後ろから店長の怒鳴り声が響いた。びくっと身体を震わせ、慌ててバックヤードを出る。丁度、紳士が店を出ていくところだった。僕は笑顔を顔に貼り付け、お見送りする。隣の店長に合わせて、カランコロンという音が消えるまで頭を下げた。 音が消え、静寂に包まれる。あんなにバックヤードはうるさいのに、店先にはまったく聞こえないのが不思議だ。 僕は視線を戻し、肩の力を抜く。店長は僕をうまく使う。スタアクの次男坊が働く店と触れ込み、スタアクに恩を売りたい連中を顧客として引き入れている。 先ほどの紳士と商談もうまくいったようで、店長は上機嫌に僕の肩を叩いた。 「いやはや、いいお客様だったな! この調子で頼むぞ、スタアク。」 「僕は何もしてませんよ、店長。ただ、父と兄の知り合いだっただけです。」 「何言ってんだ! 家柄も実力のうちだろ?」 店長はニコニコと笑いながら言った。僕は曖昧にうなづくしかない。そんなの実力じゃない。僕にとってこの家は呪いでしかないのに。 また、カロンコロンと店先のベルが鳴る。僕は気持ちを切り替え、 「いらっしゃいませ。お客様。」 にこやかに挨拶して、客に視線を向ける。そこには身長の高い男が立っていた。すらりとした身体つき。この店でも高級と言われる部類の紳士服に、シルクハットをかぶっていた。その立ち姿に嫌な予感を覚える。 男は僕の前までつかつかと歩いてくると、帽子を脱いだ。銀色の髪が照明に照らされて、鈍く光る。 「…兄さん。」 「久しぶりだな、ニズ。相変わらず、愛想笑いが下手で安心したぞ。」 憎たらしい口を利くこの男は、スタアク家の長男にして、僕の四つ上の兄だ。短く切り揃えた銀髪に、パッチリと開いた瞳。顔立ちは大体同じだが、愛想の悪い僕に比べて、兄は人の良さそうな柔らかい笑みを浮かべている。 兄に気付き、店長が気を聞かせて、バックヤードに姿を消した。 兄の濃い紫色の瞳が僕を見下ろす。 「お前、まだ父さんと喧嘩してるのか? もう二年経つぞ。いい加減謝ったらどうだ。」 「大きなお世話だよ。それに、僕は父さんと喧嘩してるわけじゃない。ただ単に出来の悪い僕に父さんが愛想を尽かせただけだ。」 「お前…、まだそんなこと言ってるのか…。被害妄想もほどほどにしておけよ。」 兄の口調がきつくなる。僕は小さく舌打ちを打ち、 「で、そんなこと言いにわざわざ店まで来たわけ? 僕こう見えて仕事中なんだけど。」 強引に話を逸らす。兄は「はあ」と大きくため息をつき、 「お前はいつもそうやってはぐらかすよな。まあ、今言い合っても仕方ないか…。手短に要件を話す。今日は父さんからの伝言を伝えに来た。」 「伝言? 何の?」 「ああ、何でも、彼への伝言だそうだ。」 彼という言葉にドキッとする。十中八九、ベオのことだ。僕の表情が変わったのだろう、兄は「身に覚えがあるようだな」と話を続けた。 「最近、霧の街からほど近い街が焼かれただろ?」 「え、そうなの?」 「なんだ、そんなことも知らないのか…。ドラコンの傭兵が略奪目的で街を襲ったんだ。随分と被害が出たんだがな…。のんきなもんだよ、お前も。」 兄はやれやれと首を振った。そのしぐさが馬鹿にしているように見えて、イラっとする。 「で、それが何の関係があるんだよ。」 つっけんどんに訊ねる。兄はぴくっと眉を痙攣させ、目を細めた。 「…お前は本当に…。そうやってすぐに機嫌が悪くなる癖、いい加減直せ。」 「はいはい、すみませんね。カッしやすいたちなんで。」 ぶっきらぼうに謝る。兄はまた「はあ」とため息をつき、 「…そうかい。もういいよ。お前に何言っても無駄だとよく分かった。で、父さんからの伝言だが、どうも物騒になってきているし、彼に霧の街にしばらく滞在するように言ってくれということだ。誰のことか分からないが、伝えてもらえるか?」 「それは構わないけど…。どうして父さんが直接行かないの。」 「父さんは、敵襲に備えて朝から晩まで会議中だよ。行けるわけない。」 「なるほど…。分かった。伝えておく。」 「ああ、頼んだ。まったく父さんは、俺を伝書鳩か何かかと思っているみたいだな…」 兄が独り言のようにつぶやき、ため息をついた。そして、シルクハットを被り直し、僕を見た。 「ニズ、たまには家に帰って来いよ。エノが随分と寂しがっているぞ。」 「…父さんがいないなら戻るよ。」 「お前は…。そうやって強情張ってると、そのうちエノに忘れられるぞ。」 それは少し寂しい。僕の表情が曇ったのだろう。兄はにやっと笑って、 「さすがに妹に忘れられるのは寂しいようだな。ま、彼が来たら、スタアク家の一室を使ってもらうらしいから、お前も嫌でも来ることになるだろうな。それじゃあ、仕事頑張ってくれ。」 スタスタと店を出て行った。カロンコロンと虚しくベルが鳴る。 後ろ姿が見えなくなったところで、やっと緊張から開放された。僕ははあっとため息をつき、バックヤードに戻る。僕が入って来たのに気づき、同僚が蜘蛛の子を散らすように持ち場に戻っていった。 毎度のことながら、なんとも言えない気持ちになる。僕と兄の話を立ち聞きしたって、何にも面白くないのに、何がそこまで彼らの興味を引くのだろう。 気づかぬうちに、口からため息が漏れる。早く彼に会いたい。このむしゃくしゃとした気持ちを聞いてもらいたい。 それから、ひたすら接客と品出しを繰り返し、終わるころにはどっぷりと日が暮れていた。夏の生温い夜。同僚と別れ、帰路に就く。 明日は休みだ。さっそく父さんの伝言を伝えに、彼の家に行くかとのんきに考えながら、さっと風呂に入り、眠りについた。 * あくる日の朝。どんよりと曇った空から、冷たい風が吹き、辺りは朝とは思えないほど、陰気な雰囲気に包まれていた。 僕は彼の家に続く森の道を、急ぎ足で進んでいた。いつもなら日用品を買い揃え、さらにちょっとしたお菓子を買っていくところだが、今日は腰に大振りのナイフをさし、あとは何も持っていなかった。 街から彼の家までは歩いて二十分かかる。四日ぶりに帰るのもあって、少し心配していた。後から同僚にそれとなくどこの街が襲われたのか聞いてみたところ、彼の家から数キロ離れた場所で、もし霧の街に行くのであれば、彼の家の近くを通る位置だった。 今日は森が静かで、木々のざわめきしか聞こえなかった。いつもなら鳥の鳴き声や虫たちの羽音が聞こえるのに、少し妙だと思う。でも、曇りの日に彼の家に行ったことがなかったので、深くは考えなかった。 やがて、木々がまばらになり、視界が開ける。灰色に濁った空の下、彼の家が遠くに小さく見えた。普段通り煙突から煙が上がっている。 何も変わらない朝の風景。 僕はなだからかな丘を越え、彼の家の前まで進む。すでに、くちなしの花は落ち、香りは消えていた。それもそうだ。彼と付き合って、二か月。彼の誕生日まで、あと少しだ。本当はこの家でお祝いしようと思っていたが、霧の街でも悪くない。ちょっと高くて美味しい店で慎ましくお祝いしよう。 そんなことを考えながら扉を開く。いつも通りの薄暗い玄関。 「ただいまー。帰ったよ、ベオ。」 キッチンに届くように声を張る。すると、すぐにぱたぱたと足音がして、 「おかえり、ニズ。待ってたよ。」 嬉しそうに目を細めて彼が出迎えた。今日は白い髪を三つ編みにし、エプロンをかけている。彼は僕を上から下まで眺め、怪訝そうな表情を浮かべた。 「今日はやけに軽装だね。どうしたの?」 「実は…」一通り説明する。彼は黙ったまま僕の話を聞いていた。 僕が話し終わると、「なるほどね」とうなづく。 「随分と物騒な話しだね。ボクは死なない身体だし、危険はほとんどないと思うけど、君たちが安心できるのなら行こうかな。」 「良かった…」ほっと胸を撫で下ろす。彼はこの家を気に入っているようだし、行かないと言うじゃないかと心配していた。 その考えが表情に出ていたのか、彼はエプロンを外しながら口を開いた。 「ふふ、ニズはボクがここにとどまると言うんじゃないかと思っていたんだね。大丈夫。ボクはそんなに頭でっかちじゃないよ。さ、霧の街に行くのなら、その準備をしないとね。手伝ってくれる?」 「もちろん、手伝うよ。何をすればいい?」 「それじゃあ、手始めに…」 彼の指示に従い、収穫できそうな野菜や果物を収穫する。あっという間に籠いっぱいになった。それから、抜根作業に移る。まだまだ元気で実をつけられるのに少し勿体ないと思う。それでも、彼から指示されたからにはやるしかない。 額に汗をかきながら、ひたすら根を抜く作業に明け暮れる。彼は牛小屋を開け放ち、牛たちが自由に出入りできるようにしていた。牛が彼の顔を不安そうに舐めている。牛は賢い。飼い主がしばらく家を開けると察している。彼は牛たちの頭をなで、何か言葉をかけていた。 しばらく牛たちの相手をした後、こちらに歩いてきた。畑のすぐ隣に作られた井戸から水を汲み、涎でべとべとになった顔を洗いながら困ったように笑った。 「まったく容赦がないんだから…」 「きっとベオのことが心配なんだよ。」 「そうなのかな…。まあ、今は草も生い茂ってるし、大丈夫だろうけど、冬になったらさすがに戻って来ないといけないね…」 濡れた顔をシャツで拭い、ふうとため息をついた。憂いの含んだ横顔にドキリとする。それを見て、霧の街での生活が長くなることを、なんとなく予感しているのだと気づいた。僕はてっきり数日で開放されるものだと思っていた。 「…そうだね。あまり長くならないといいね。」 「本当にね。ボク、鶏を始末してくるから、そこが終わったら一回休憩して。」 「分かった。」 僕がこくっとうなづくと、彼は家の裏に姿を消した。始末。つまり、すべて絞めるということだ。しばらく鶏肉が食卓に上ることになりそうだ。 僕は額の汗を拭い、作業を再開する。後はトマトを抜き終わったら終わりだ。曇り空で時間ははっきり分からないが、じんわり暑くなってきているし、そろそろ昼時だろう。 今日の昼ご飯は何かなあ、なんてのんきに考えながら、作業をしていると、シュンっと何かが鳴った。その音は弓の音に似ていた。え? と振り返ろうとした瞬間、「ニズ!」と叫んで、彼が僕の上に覆い被さた。 どすっという矢が刺さる衝撃と、彼の「うっ」といううめき声がする。僕は尻餅をついて、呆然とする。彼の身体から力が抜け、だらりと腕が垂れさがった。何かがぼたぼたと僕の胸元を濡らす。それは熱い血だった。 「あー! てめえ、何やってんだ! 男を始末しろと言っただろ!」 すぐ近くの森の茂みからだみ声が響く。石弓を持った小柄な男を、大柄な男が怒鳴りながら姿を現した。見たことがないほどの巨体。熊のように筋肉隆々で、鋭く切れた瞳には残忍な光が宿っていた。 大柄の男は、やれやれと首を振り、 「殺しちまったもんはしょうがない。死体でもまあ楽しめるだろ。回収してこい。」 「分かりやした。」 小柄な男がうなづき、歩き出す。 大柄な男はくるりと背を向け、森の中に怒鳴る。 「ほらほら、お前ら! 何突っ立てんだよ! さっさと家の中を探れ!」 すると、「へい! 大将!」と手下たちが姿を見せた。ざっと二十人ほど。みな、悪人顔で、血走った目をぎらぎらとさせていた。手に槍や剣、斧を持ち、傷だらけの胸当に、血に汚れた衣服をまとっている。人目で凶悪な犯罪者だと分かった。 石弓を持った小柄な男が、僕に近づいてくる。血の臭いと殺気に、思わず後ずさる。男はニヤニヤと愉快そうに笑いながら、僕に話しかけてきた。 「よちよち、怖いなあ。そら、その美人をよこしな。そうすれば、そんなに痛めつけないからよ。」 あまりの恐怖に声も出せない。怯える僕が余程愉快だったのだろう、ケラケラと笑いながら、彼を掴もうと手を伸ばした。その瞬間、男の手が飛ぶ。ぶしゅっと血が噴き出し、僕の顔を濡らした。あまりのことに、男が「ぎゃあああ」と叫んでよろめく。 「な、なんだ⁉」動揺して男が叫ぶ。すると、彼がゆらゆらと立ち上がった。背中に刺さった矢を抜き、ぽいっと捨てた。右手に僕のナイフを持ち、僕を守るように立ちふさがる。僕には彼の背中しか見えない。だが、明らかにいつもと雰囲気が違う。 彼はナイフをぐっと握りしめると、立ち上がろうとする小柄な男の首にナイフを走らせた。ぶしゅっと血しぶきをあがり、四肢の力抜け、ばたりと倒れる。 その瞬間、ひりひりとした殺気に包まれた。全員が動きを止め、彼を食い殺さんばかりに睨んでいる。あまりに恐ろしくて、危うく失禁しそうになる。 彼はナイフについた血を振って飛ばし、大柄な男に刃先を向けた。 「…あなたが頭ですね。部下を無駄に失いたくなければ、退却してください。」 聞いたことがないほど冷ややかな声。大柄な男は目を丸くして、彼をしげしげと眺めた。 「おいおい、これはどういうことだよ? オマエ、確実に死んでたよなあ? 生き返ったのか?」 「さあ、どうでしょうね。」 「ふうん、まあいい。もう一回殺せばいいだけだ。野郎ども、あの白髪を殺せ!」 部下たちが威勢のいい声で答え、彼に向かって走り出した。涎をまき散らし、嬉々として剣を振り上げる。だが、それより早く彼が動いた。一瞬で間合いに入ると、容赦なく首を掻き切る。そして、崩れ落ちる男から長剣を奪い、走り出した。 襲い掛かってくる敵の剣筋を読み、かわしながら、あるいは指を切って剣を落とした後、急所を突く。一切無駄のない動きで、敵を無力化していった。あるものは首を、あるものは両手を、あるものは足を失い、地面に転がる。流れ出る赤黒い血で、あっという間に草原がどす黒く染まり、血の川が出来た。 あまりの光景に僕は声も上げらえず、呆然とする。血の飛び散った彼の顔は、無表情だった。人を殺すことに躊躇いがない。そして、罪悪感を感じることもない。当たり前のように目の前の命を奪っていく。 深淵のような黒い瞳が、ちらっと僕を見た。その鋭さに、ゴクリと唾を飲む。人殺しの瞳。彼は間違いなく、今殺されている男たちと同類だ。 粗方殺し終わると、大柄の男に狙いを定める。男はニヤリと笑うと、腰の長剣を抜いた。ガツンと剣と剣がぶつかる。男はギリギリと剣に力を込めながら、口を開いた。 「言うだけはあるぜ、お嬢さん。動ける奴らばかり揃えてきたんだが…。その動き、人形だな?」 彼は答えない。だが、表情が変わったのだろう、男が大笑いし始めた。 「はっはっは! やはりか! 白髪になっても生きているとは珍しいな、オマエ!」 「…まだ、人形作りなんて馬鹿げたことをしているのか…」 「まだ? 変なこと言うなあ、オマエ。二千年続く伝統だぜ?」 男が剣を払い、距離をとった。この男、部下とは明らかに動きが違う。巨体のくせに、すばしこい。 彼は顔についた血を拭うと、猛然と切りかかった。だが、男の動きは速い。のらりくらりとかわす。 「オマエ、随分と戦いから離れていたんだな? 動きが緩慢だぜ?」 男の回し蹴りが彼の腹に直撃する。彼がげえっと吐きながら、吹っ飛んだ。太い幹にぶつかり、頭から鮮血が散る。しかし、すぐに立ち上がって、剣を握った。 それを見て、男が首を傾げる。 「絶対に内臓破裂させたと思ったんだがな…。オマエ、随分と丈夫だなあ。」 ぽりぽりと頬を掻くと、剣先を下した。 「まあ、いいや。オマエと遊ぶのも面白いが、あんまり時間がかかるのは好きじゃない。さっさと幕引きさせてもらうぜ。」 途端、僕の後ろからすらりと剣を抜く音が響き、冷たい感触が首に伝わった。鋭い刃が、首元で光る。 「さてと、剣を捨てろ。さもなくば、あのガキの首が飛ぶぜ?」 どすのきいた声で怒鳴った。と同時に、首に刃が当たる。皮膚が切れ、血が首を伝って流れるのを感じた。僕はガタガタと歯を鳴らし、彼を見る。 彼はしまったという表情を浮かべ、唇を噛みしめていた。顔を曇らせ一瞬思案する。しかし、どうしようもないと分かったのだろう、剣を捨てた。 途端、男が彼の首に剣を走らせた。骨の断ち切れる音がして、首と三つ編みが飛ぶ。鮮血が柱となって、空に噴き出し、身体が力を失ってばたりと倒れた。 「うわあああああああああああああああ。」 思わず大声で叫ぶ。すぐに「うるさい」と脇腹を思いっきり蹴られた。痛みに一瞬、気が遠くなる。そのままうずくまって、痛みに泣き叫んだ。 どうして。 さっきまで何気ない日常が穏やかに続いていたのに、どうしてなんだ。 僕が何をしたって言うんだ。 彼が何をしたって言うんだ。 ひどい。あまりにひどい。 ううううと泣き続ける僕を男たちが、けらけらと笑いながら、眺めている。誰かの幸いを損なうことに喜びを覚える外道どもが。 「地獄に落ちろ!」 あらん限りの罵詈雑言を並べる。それでも、男たちは愉快そうに笑い続けた。しかし、すぐに笑い声が消える。 「…! 大将! 白髪のガキが…!」 その声に、はっとして顔を上げた。彼の首から何かがムクムクとせり出しているのが見えた。それはメキメキと音を立てて、あっという間に顔を形成する。彼の瞳がぱちりと開き、口から鮮血がダラダラと流れた。 誰もが息をのみ、その光景を眺めていた。だが、一人だけ、生き返った彼の首を掴み、持ち上げるものがいた。 「はっはっは! これはたまげた! コイツは不死身の化物だぜ! これは楽しめそうだ!」 大柄な男は愉快そうに大声で笑い、生き返ったばかりで朦朧とする彼の服をびりっと破いた。男はその引き締まった肉体をじっと見つめ、 「…おいおい、男かよ! なんだよ、くそ!」 不機嫌そうに悪態をついた。彼は朦朧としながら、それでも男の手から逃れようともがく。男は彼の腹に猛烈な一撃を加え、地面に投げつけた。 男はやれやれと首を振り、彼の両手を掴んで地面に押し付ける。 「オマエ、男なら男と言えよ。まったく…」 ぶつぶつと文句を言いながら、しばらく彼の顔をじっと眺めた。 「…まあ、この際、贅沢は言ってられんか。顔は悪くないし。」 そう言うと、彼の手のひらに短剣を一本ずつ刺し、地面に釘付けにした。彼が痛そうにうめく。 僕は助けようと立ち上がる。しかし、一歩踏み出す前に、足を払われ、前のめりに転んだ。それでも起き上がろうとする僕の上に細身の男が乗り、ゴリゴリと地面に僕の頭を擦りつける。 「オマエ、大将の邪魔したら、身体粉々になるぜ?」 「…離せよ、このクソ野郎!」 「口が達者なだけじゃ、誰も殺せないぜ、坊ちゃん。大将! コイツを抑えておくんで好きなだけやってくれよ。あんたの性欲のために、街をつぶすのは効率が悪いんでね。」 その言葉にぞっとする。「嘘だ…」と口から悲鳴に近い声が出た。 ビリビリと服を破く音と、興奮した鼻息が聞こえ始める。 「やめろ!」叫びながら、逃れようともがく。しかし、びくともしない。無茶苦茶に叫んでいると、口の中に布を入れられた。そして、頭を思いっきり押さえつけられ、 「オマエにできることは何一つない。そこで大人しく見てな。」 冷ややかな口調で吐き捨てた。あまりに悔しくて涙がこぼれる。泣いても仕方がないのに、溢れて止まらない。涙で景色がにじんでいく。 彼の抵抗する声が聞こえる。でも、僕は何もできない。ただ見ていることしかない。 本当は目を閉じてやり過ごしたかった。だが、目を閉じようすると、容赦なく殴られ、顔を背けることができない。 男は暴れる彼の足を押さえつけ、腰を揺らしながら、無理やり挿入した。彼のうめき声が響き、血が滴る。それでも抵抗する彼の首をめきめきと絞め、ごきっと折った。だが、すぐに復活する。 男の呼吸が一層、興奮で荒くなった。 「いいねえ…。殺しても殺しても、生き返るなんて夢のようだぜ…」 そう言って、彼の心臓にゆっくりとナイフを差し込んだ。彼の口から悲鳴が漏れる。その声は血のあぶくに苦し気になっていき、こと切れた。だが、すぐに復活する。 まるで、地獄絵図だった。 首を絞め、あるいは身体を刺し、血まみれになった身体にのしかかり、何度も何度も突く。彼はできるだけ声を押し殺し、抵抗する。だが、だんだんと抵抗が弱くなり、つんざくような悲鳴をあげるようになった。その声の恐ろしさに身震いする。まさに絶叫。死に際の最後の叫びに、僕はおかしくなりそうだった。 それを見て、男たちがゲラゲラと笑う。何がそんなに面白いんだ。噛みしめすぎた唇から血がにじむ。 僕が強ければ、 彼を救えるほどの力を持っていたら… でも、そんな力は天から降ってこない。 地獄の時間は数十分と続いた。血の臭いに何度も吐き、声は枯れ、生きる意味を失いかける。それでも、彼の悲鳴に意識を取り戻し、歯を食いしばった。 男が彼の首にナイフを突き立てる。途端、身体が痙攣し、意識を失った。 「おーい? どうした?」 頬を強く叩かれても、手のひらの剣を抜かれても、彼は目を閉じたまま微動だにしない。男はずるりと抜くと、やれやれと首を振った。 「しまった。さすがに身体は耐えられても、精神が耐えられなかったか…。ちょっと楽しみすぎたなあ。」 血と精液で汚れた己の身体を布で拭い、ズボンをあげた。僕にのしかかっていた細身の男が立ち上がる。僕はなりふり構わず彼に駆け寄った。 青白い顔。微かに息をしているが、今にも死んでしまいそうだ。 「ベオ! ベオ、しっかりして!」 身体を持ち上げ、呼びかけても彼は目を開かなかった。ぐったりと力なく横たわったまま。 すると、大柄な男が僕の腕の中から彼を強引に奪った。慌てて抵抗する。しかし、思いっきり頬を殴られ、吹っ飛んだ。地面に激突し、目の前がちかちかと点滅し、口の中が切れて血でいっぱいになる。ぺっと吐き出し、起き上がると、大柄な男が僕を見下ろし、にやっと笑っているのが見えた。 「これは俺がもらっていくぜ。」 「…! 返せ!」 「威勢はいいが、てんでだめだな。こういうのは暴力で奪うんだよ。その細い腕で俺から取り戻してみな。」 高い笑いしながら、彼を背負って歩き出した。追いかけなきゃいけないのに、恐怖に身体がすくむ。 男の後ろに部下たちが続く。一人、僕にのしかかっていた細身の男が立ち止まり、僕を見下ろした。 「おい、オマエ、一つ訊ねるが、ここら辺に金髪を持った一族はいるか? おそらくブライトと名乗っているはずだ。」 金髪と持つと言われて、一瞬エルベの顔が浮かぶ。しかし、苗字はレイトだ。 「そんな人は知らない。」 「ふうん、そうかい。ま、いいや。良かったなあ、命拾いして。大将に襲われて生きているってのは珍しいんだぜ。オマエ、運がいい。さっさと白髪の野郎のことは忘れて、平凡な人生を送るだな。」 ひらひらと手を振って森の中に消えた。血の海に一人残される。彼が殺した人間だったものが肉塊となって転がり、臭いを放っている。さらに、それらを鳥がついばむ。 十歳の頃から毎日のように通っていた場所。彼の穏やかな微笑と美味しい紅茶の匂いが、血に汚れていく。僕の大切な思い出が一瞬にして、血生臭く歪んでしまった。 「ああ…」とうずくまる。何もできなかった。ただ見ていただけ。彼はもう戻って来ない。 僕はもう生きている意味がない。そう思った瞬間、どこからともなく悲鳴が辺りにこだました。それから、何やら言い争う声と逃げるような音がして、静寂に包まれる。僕には何が起こったのか理解できない。じっと音がした方向を見つめる。 ややあって、がさがさと茂みが揺れ、彼が姿を現した。血に汚れ、よろよろとしているが、間違いなく彼だ。僕は夢中になって彼に駆け寄る。彼は僕の腕の中に倒れた。苦しそうに顔をしかめながら僕を見上げ、 「…ニズ、無事…?」 「…うん…。ベオは…大丈夫なの?」 「ボクは…死なないから…大丈夫だよ。ほら身体だって…元通りでしょ?」 無理して笑ってみせた。僕はぽろぽろと涙をこぼし、 「でも…身体は傷つかなくても、心は傷つくでしょ…」 ぎゅっと彼を抱きしめる。弱い心臓の鼓動。身体が冷めきっている。まるで、死体のようだ。彼は僕の頬を撫で、 「その通りだね…。こんなに殺されるのは初めてで…ちょっと疲れた…。アイツらはしばらく帰って来ないだろうから…、今のうちに逃げて…」 それだけ言うと、だらりと腕が垂れ、身体から力が抜けた。ぎょっとして、彼の名前を何度も呼ぶ。しかし、いくら呼ぼうと目を覚まさない。 血の気がさっと引いた。頭がパニックに陥る。今にも叫びたいのをこらえ、どうするどうすると考える。 とにかく、ここから逃げなければ。 僕は彼に服を着せると、背負って走り出した。 行く先は一つ。 霧の街だ。
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