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第6話
霧の街。
古い一軒家の玄関に立ち、どんどんっと扉を叩く。途端、背中の彼がずり落ちそうになって、慌てて支えた。
あの後、ひたすら森の中を走り、霧の街まで戻ってきた。意識のない彼が重くて、何度もこけそうになったのを覚えている。とにかく必死で、どうやってここまで来たのか、よく思い出せない。
最後の力を振り絞ってもう一度扉を叩く。ややあって、ガチャっと扉が開いた。
「はいはい、そんなに何度も叩かなくてもいますよ。ご用向きは何ですか?」
面倒くさそうな表情を浮かべ、兄が姿を見せた。
この家はスタアク家が代々住まう邸宅。僕の生家でもある。
僕の姿を見た瞬間、兄の表情が化物を見たかのように、ぎょっとなった。
「な……。ま、まさか、ニズか…?」
僕は答えようと口を開く。しかし、うまく顔が動かなかった。とにかくこくこくとうなづく。兄は口をぽかーんと開け、立ち尽くしていた。僕はむっとして、「ちょっと、誰か呼んできてよ」と言おうとする。しかし、口から出たのは、
「ちょっふ。あへかおう…」言葉にならない言葉だった。
次は僕がぎょっとなる。慌てて玄関の鏡に顔を映した。
鏡に映った顔は血塗れで、しかもパンパンに腫れ、もはや原形をとどめていなかった。髪の色がなければ、追い返されるレベルだ。
あまりに必死に走って来たので、まったく気づいていなかったが、僕自身重症だった。自覚した途端、猛烈な痛みに襲われる。それでも、彼を落とすまいと、ゆっくりとしゃがみ、床に寝かせた。
そして、未だに呆然としている兄を見上げ、
「ちょっふ! あへかよふで! あやく!」
鋭く叫ぶ。兄はびくっとして、慌てた様子で二階に叫んだ。
「父さん! 今すぐ来てくれ! ニズが!」
その声を聞きながら、僕は彼の隣に勢いよく倒れた。顔が燃えるように熱い。目の前がぐるぐると回り、意識が今にも飛びそうだ。
僕が倒れたのに気づき、兄が僕のそばにしゃがみ、必死に声をかけているのが、霞んだ景色の中に見えた。だが、何と言っているのか分からない。
僕は自分の瞼が落ちていくのを感じながら、深く息を吐いた。
これでとりあえずは…
***
夢を見た。いつものように彼の家に向かう僕。
景色はぼんやりとして、朝霧が立ち込めているようだった。
僕はなぜか真っ黒な衣服をまとい、手に黄色の花を一つ握っていた。
何か悲しいことでもあったのか、心が重い。
まるで、胸にぽっかり穴が空いたかのような空虚な気持ちを抱え、歩き続ける。
いつの間にか、彼の家の前に辿り着いていた。
家の前に、一つ棺が置かれていた。
それを見た瞬間、鼻の奥がつんっと痛み、熱い涙があふれる。
これが誰の棺か僕は知っている。
僕はぐっと花を握り絞め、棺に近づく。
ぼろぼろとこぼれる涙。口から漏れる嗚咽。
その棺の中には、彼が眠っていた。
血塗れで、傷だらけの顔。
青白く生気のなくなった肌に、ハエが止まる。
そのハエを払った瞬間、彼の瞳がカッと開き、つぶやいた。
「どうして助けてくれなかったんだ、ニズ。」
***
「うわああああ!」叫びながら、飛び起きる。
「はあはあ…、はあはあ」荒く呼吸を繰り返し、ぐっと襟元を握り絞めた。
恐ろしい夢を見た。彼が…ベオが死ぬ夢。
まだ心臓が痛い。本当に彼を失ったような錯覚に気が狂いそうになった。
涙が頬を伝って止まらない。僕は顔を手で覆い、何とか気持ちを落ち着かせようと目を閉じる。
大丈夫、大丈夫。彼が死ぬわけない。だって、彼は不死身なんだから。
自分に言い聞かせていると、ドタバタと慌ただしい足音が近づいてきた。はっとして顔を上げる。丁度扉が開き、勢いよく兄が入ってきた。
「大丈夫か⁉」
焦ったような表情を浮かべ、僕に駆け寄ってきた。いつもは身なりをきちんと整えているのに、今は髪はぼさぼさで髭は飲み放題。普段と比べて、随分と老け込んで見えた。
僕は泣いていたのを知られたくなくて、慌てて顔を伏せる。
「…だひじょーぶ。なんでもなひ。」ぐっと涙を拭い、鼻をすする。
兄は心配そうに僕を覗き込んだ。
「…まだ結構顔が腫れているな…。痛むんだろ? 痛み止めもらってこようか?」
「…ちがあう。ほんとおにだひじょーぶ。」
腫れて口の動きが悪い。僕は手で口の周りを確認する。顔がパンパンに腫れていて、ところどころ痛んだ。
僕を尻目に、兄はベッドの脇においてあったピッチャーからコップに水を注ぎ、僕の前に差し出した。
「とりあえず、水飲め。」
僕はこくっとうなづき、コップを受け取る。腫れた唇に当て一口飲んだ。水が傷口に沁みて痛い。それでも、のどが渇いていたようであっという間に飲み干した。
ほうっと息を吐き、おずおずと兄にコップを差し出す。
「もうひっぱひ。」
「ああ、好きなだけ飲め。」
三杯飲んだところでようやく落ち着き、周りをきょろきょろと見回した。どこにいるのかよく分かっていなかったが、ここは僕の部屋だ。実に二年ぶりに帰って来たが、前と何も変わっていない。ベッドに勉強机に…、必要最低限の物しかない、殺風景な部屋。
僕はサイドテーブルを片付ける兄に声をかける。
「にひさん。」
「うん? どうした?」
「…へおは? へおくあーと。」
一瞬、兄の動きが止まった。考えるようにゆっくりと瞬きし、口を開く。
「…ベオさんのことで合ってるか?」
「うん。」
「彼は一階の客室で寝ている。」
「…ねへう?」
「ああ、会いに行くか?」
僕はうなづく。一刻も早く彼に会いたかった。それに、兄の表情も気になる。
ベッドから降りて、ぐっと背を伸ばす。随分と長く眠っていたようで身体が凝り固まっていた。伸ばし続けると脇腹がずきっと痛んだ。服をめくり、脇腹を確認する。蹴られた個所が青あざになっていた。触れるとさらに痛む。
「うわ…。大分酷い色になってるな…。明日、医者が来るから、一応診てもらった方がいい。」
兄が顔をしかめながら言った。僕は「うん」とうなづく。
不思議と心が落ち着いていた。自分の顔が腫れていようと、脇腹がどす黒くなっていても、心底どうでもいい。
兄が「行くぞ」と扉を開いた。僕はいそいそとその後に続く。
どうやら今は夕方だったようで、廊下の窓から夕日に照らされて赤く染まった雲が見えた。青い空に赤い雲が浮かぶ景色は言いようもなく美しかった。
家の中はシーンとしていて、人の気配がしない。僕が家を出てから二年。あの頃とは様子が明らかに違う。
僕に気遣ってゆっくりと歩く兄の背中に声をかける。
「にひさん。」
「うん?」
「えのは? ひなひの?」
「ああ…、エノはしばらくレイト家で、おばさんに見てもらうことにしたんだ。俺はお前の看病があるし、父さんも忙しい。なにより今のお前の顔を十歳の子どもに見せるわけにはいかないからな…」
兄は振り返らず、それだけ言って黙った。僕は「そう」と答えて口を閉じる。通りで静かなわけだ。僕の記憶ではいつも妹の高い声が家に響き、その周りに家族が集まっていた。その妹がいないのなら、静まり返っても仕方がない。
階段を降りて、廊下の先の客室に入る。こちらは窓が開き、秋めいた風がカーテンを揺らしていた。さらに夕陽が、部屋をオレンジ色に染めている。そのベッドで彼は静かに横になっていた。
「…へお。」
彼の名前をつぶやき、ベッドの脇にしゃがむ。
固く閉じられた瞳。陶器のように白く美しい肌は、今は青白く血の気がない。なにより呼吸の音がほとんどしなかった。微かに胸元が上下していて、呼吸をしているのだと分かる程度の息遣い。
そっと彼の頬に触れる。
彼は目を覚まさない。
彼の手に触れる。
いつも僕の手を握ってくれる温かな手のひらは冷え切っていた。
彼は死なないはずなのに、
確かに死んではいないけれど、
でも、これでは死んでいるのとほとんど変わらないじゃないか。
ぐっと彼の手を握りしめ、手の甲に顔を寄せる。血の臭いが微かに香る。
瞳の中に涙が溜まって、瞬きと一緒に落ちていった。
なんで泣いているのだろうか。分からない。でも、苦しくて、悲しいんだ。
「大丈夫か…?」
打ちひしがれる僕に兄が遠慮がちに声をかけた。僕は涙を流しながらうなづく。
「だひじょーぶ。ひはらく、そっとひて。」
「分かったよ。俺は仕事を片付けてくるから、何かあったら呼んでくれ。」
そう言って、部屋を出て行った。
僕は彼の顔をじっと見つめる。そして、その唇にキスした。しかし、彼は目を覚まさない。
当たり前だ。そんな昔話みたいな奇跡が起こるわけがない。この世界は残酷なんだ。僕みたいに力のないものの願いを叶えてくれるわけがない。
それから、部屋の色がオレンジからブルーに変わり、薄暗い闇に包まれるまで、僕は黙って彼の寝顔を眺めていた。
「うわ! びっくりした! 灯りもつけずに何してるの?」
背後からエルベの声が響く。振り返ると、戸口にエルベが立っていた。今日は長い髪を高い位置でポニーテールに結び、淡い色のワンピースに身を包んでいた。
エルベはカツカツと音をさせて部屋に入り、ベッドの脇のランタンに火を入れた。炎の柔らかな色に照らされ、部屋が明るくなる。それでも、彼は静かに眠ったままだ。
エルベは僕の顔をじっと見て、痛そうとでも言わんばかりに顔をしかめた。
「イレクから聞いていたけど、酷い顔ね…」
イレクとは僕の兄のことだ。僕は彼の手を握っていた手を離し、エルベを見上げる。
「へおは、ひつからねへう?」
「えーと、いつから寝ているのかってことよね? 一日半前からよ。」
「…なんへ、おきなひの? へおはふじみでしょ。」
「それは…分からないわ。なんで起きないのか、私からあなたに聞きたいくらい。一体何があったの?」
僕は答えようと口を開く。しかし、何から話したらいいか分からず、固まる。頭の中がぐるぐるして、考えがまとまらない。
すると、扉をコンコンとノックして、誰かが入ってきた。僕はてっきり兄だと思って、視線を向けてしまう。すぐに、炎に照らされた銀色の髪が目に映る。その髪が長く、几帳面に後ろで結ばれていることに気付いた。
痛いほど心臓が跳ね上がる。咄嗟に視線を逸らして、うつむいた。この世で最も会いたくない人に会ってしまった。
「ラドムおじさん、帰ってきてたんですね。」
エルベが気を遣って声をかける。父は「ああ」と返事をした。
「アナバルも帰ってきているよ。エルベちゃん、今イレクが食事の準備をしているから、良ければ手伝ってくれるかい?」
低い声。感情の起伏を感じない平たい話し方をする。エルベは「分かりました」と愛想よく返事をして部屋から出ていく。
ぱたんと扉が閉じる音に、思わずびくっと身体を震わせる。まさか父と二人きりになってしまうとは…。あまりの気まずさに、冷や汗が出た。
父が足音を忍ばせ、こちらに歩いて来るのが見える。兄ほどではないが背が高いので、威圧感がすごい。
父は僕の前に立ち、大きく息を吐いた。
「…ニズ、顔を上げなさい。」
有無を言わせない言い方。僕は黙ったまま父を見上げる。炎に照らされた瞳は、僕と同じ薄紫色。しかし、こんなに鋭く尖っていない。なによりいつも眉間に皺が寄り、険しい表情をしている。
「…なひ。」
僕はむすっとして訊ねる。いつもそうだ。父さんが視線を合わせればいいのに、こうやって他人にやらせる。そういうところが好きじゃない。
父は僕の顔を穴が開くほど見つめ、口を開いた。
「…ベオさんが助けてくれたのか?」
僕はむすっとしたままうなづく。父は「そうか…」と小さくつぶやき、
「お前が生きていて良かった。ベオさんが起きたら礼を言わないとな。」
僕の頭を撫でた。突然のことに固まる。父に頭を撫でられるなんて何年ぶりだろう。兄が今よりもずっと身体が弱くて、ほとんど家にいなかった頃。よく父と二人で森に出かけていた。その時はまだ僕は父を毛嫌いしておらず、こうやって頭を撫でて褒めてもらうこともあったっけ。いつの間にか、そんなことも忘れていた。
父は僕の頭から手を離すと、
「とにかくまずは食事にしよう。それから、何が起こったのか話してくれるかい?」
僕の顔を覗き込んだ。息子を見つめる父の表情は、今まで僕が見たことのないほど優しく穏やかだった。一瞬で苛立ちが納まり、何とも言えない気まずい気持ちに襲われる。
僕は何と答えていいか分からず、
「…うん、はあすよ。」
小さく返事をして立ち上がった。
*
父に連れられて、食堂に入る。
六人掛けのダイニングテーブルに兄、エルベ、アナバルおじさんが座り、僕たちを待っていた。
僕に気付き、アナバルおじさんが立ち上がった。
「ニズ君、起きたんだね。良かったよ。身体の調子はどうだい?」
「…まあ、くひがうあくうごかなひんです。」
「そのようだね。とにかく良かった。」
おじさんも父と同じように、喜怒哀楽が見えにくい人だが、声の調子から安堵しているのだと分かった。
僕は兄の横、テーブルの一番端に座る。斜め前にエルベが、そしてその右隣にアナバルおじさんが座る。父は兄の隣に腰かけた。
エルベと談笑していた兄が横目で僕を見た。
「父さんと何話してたんだ?」
「へつに、とくべつなことはなにも。」
「ふーん。そうかい。エルベ、なんか言ってやってくれよ。コイツずっとこうなんだぜ。」
「面倒くさいから嫌。そういうことは兄弟でやってくれる?」
「はは、言われてしまったな。」
兄が機嫌よく笑った。エルベと兄は一歳違いであること、さらに両方とも長子なのもあり、昔から仲が良かった。それが心底羨ましくて仕方がなかったのを思い出す。
兄が立ち上がり、温かい食事を注ぎ分けていく。僕の前にはミルク粥と飲み物が置かれた。
「一日寝ていたんだ。最初はお腹に優しいものを食べないと。」
「…みるくかゆきらひ。」
「知ってる。ちょっと工夫したから食えると思うぞ。好き嫌いせず食え。」
僕はむうっと頬を膨らませ、黙ってスプーンを握る。
「ひたたきます。」
柔らかい粥を掬って口に運ぶ。甘いミルクの香り、味は以外とあっさりしている。ごくっと飲み込むと、温かな粥が食道を落ちていった。
「…うまひ。」
ミルク粥は嫌いなのに、今日の粥は特別美味しく感じた。口の中に傷が無ければもっと美味しく食べられただろう。
口の痛みもあり、ガツガツは食べられない。むちゃむちゃと食べる僕を、皆が見ているのが分かった。ちょっと恥ずかしくて、視線を合わせないように口を動かす。
考えて見たら、彼以外の人と夕食を共にするのは久しぶりだ。誰かの話す声を聞きながら、食事をするのも悪くない。
口の端から落ちた米を兄が何を言わず拭いてくれる。食器が空になると、エルベがまとめて流しに持って行ってくれた。介護されるのに慣れていないのもあって、居心地が悪くもじもじする。
空いたテーブルに、兄が水と粉薬を置いた。
「痛み止めだ。口の周りがだいぶ痛むんだろ? それに、薬が聞けば、口の動きも今よりもマシになるぞ。」
僕は「あひがと」と粉薬を口に含み、水を煽る。苦い味が口の中に広がり、思わず顔をしかめる。良薬は口に苦しと言えど、さすがに苦すぎだ。
だが、さすがは良薬。だんだんと顔の痛みが薄れ、口がうまく動くようになった。
「すごい…」頬に触れながら、口を動かす。若干動きが悪いが、それでもさっきよりかは良さそうだ。
薬が効き始めたタイミングで、皆の前に温かな飲み物が置かれる。僕の物は飲みやすいようにぬるくしてあった。両手で持ち飲んでいると、急に皆の視線が僕に集まった。僕は口の中に入っていた分を飲み干す。
「ベオと僕に何が起こったのか、話せばいいんだよね?」
「ああ、頼めるかい。」
血の記憶を思い出そうとすると、頭が痛む。それに、胸のあたりが苦しくなって、息がしづらくなる。それでも、僕しかあの惨劇を説明できる人はいない。
「…うん、話すよ。でも、口だけじゃ、うまく説明できないから、何か絵を描くもの貰える?」
「ああ、分かった。イレク、何か描くものを持って来てあげなさい。」
「はいはい。分かりましたよ。とってくるので少し待っていてください。」
兄はすっと立ち上がり、食堂を出て行った。父と話すとき、兄は大体敬語だ。職場だと上司と部下という関係もあり、家でも基本的に敬語を使うようにしているらしい。と言っても、話し方は随分とフランクだが。
兄はすぐに戻ってきた。スケッチブックと鉛筆を、ほいっと僕の顔の前に差し出した。
「はいよ。これでいいか?」
「うん、ありがとう。」
受け取り、早速鉛筆を走らせる。さっきまでごちゃごちゃしていた頭が、紙を前にした瞬間整理され、迷いなく描き進めることができた。
リーダーと思しき大柄な男と、僕を押さえつけていた細身の男の似顔絵を描きながら、何が起こったのかを説明する。
僕の話し方が舌足らずなのもあり、最初は状況がうまく伝わっていないようだった。しかし、話が進むにつれて、皆の表情が険しく歪んでいった。
彼の首が飛んだ話をした途端、兄が素っ頓狂な声を出した。
「首が飛んだ⁉ それ死んでるだろ! なんで生きて…」
途中まで叫んで、僕たちが誰もそこに疑問を持っていないことに気づいたようだ。混乱したように瞬きをし、恐る恐る口を開く。
「…まさか、死なないとかそんな冗談みたいなこと言わないよな…?」
「いい勘してるわ。そのまさかよ。彼、死なないの。もう千年近く生きてる。」
エルベが当たり前のように答える。兄は口をぽかーんと開け、
「千年…。嘘だろ…。ニズと同い年くらいに見えるのに…」
信じられないと言わんばかりに首を振った。僕もエルベも、幼い頃から彼を知っていたのもあり、不老不死なのも当たり前のように受け入れていた。
兄は混乱したように顔を手で覆い、小さくつぶやいた。
「信じられない…」
「そうでしょうね。ま、事実だから仕方ないのだけど。お話し続けていいかしら?」
兄はこくっとうなづいた。エルベが続けてというように、僕に視線を投げる。僕は「わかった」と説明を再開した。
さすがに、彼が大柄な男に襲われたとは言えず、何度も何度も殺され、最後に気を失ったこと、そして、細身の男に金髪のブライトという人間を探していると言われたことを伝える。
話し終わる頃には飲み物は冷えきり、部屋の中はしんと静まり返っていた。僕は飲み物を口に含みながら、皆の顔色をうかがう。皆、青白い顔で黙り込んでいた。
少しの沈黙の後、アナバルおじさんが口を開いた。
「内容はきちんと理解できたよ。ニズ君、ありがとう。」
「いえ…。それで、僕の話から、どうしてベオが起きないのか分かりましたか?」
僕の問いに、おじさんは黙ってしまった。僕は不安になって、おじさんと父を交互に眺める。父もおじさんも口を一文字に結び、苦々しい表情を浮かべたまま、僕を見ようともしない。
重い沈黙に耐え切れず、僕は口を開く。
「どうして、誰も何も言わないんですか? これじゃ、せっかく集まった意味がない。誰でもいいから、知っていることを教えてください。」
全員の顔を交互に眺めながら頼む。すると、エルベが大きく息を吐き、髪をかきあげた。
「その通りね。ごめんなさい。ちょっと驚いてしまって。ねえ、パパ。私が知っていること、ニズに話してもいいかしら。」
「…ああ、話せることは話してあげなさい。」
エルベは「ありがとう」とおじさんに礼を言い、僕に視線を向けた。
「まず、ベオのことだけど、正直何が起こったのかは分からない。でも、分からないなりに、想像はできるわ。おそらく、ベオは死の痛みに耐えられず、精神が壊れちゃったんだと思う。」
その言葉は恐ろしく凶暴で、僕の心を一瞬で切り裂いた。
「…精神が壊れた…?」
「ええ、そうよ。実はね、ニズは知らなかっただろうけど、彼は結構前から何度も自殺を繰り返していたの。その度にちょっとずつおかしくなっていて…。さすがに何度も殺されて、完全に砕けてしまったんじゃないかしら。」
「…そんな……」消え入りそうな声でつぶやき、うつむく。
胸の奥が焼けただれたように痛み、目も鼻も言うことを聞かずに、勝手に液体を垂れ流し始めた。喉から嗚咽が漏れそうなのを我慢して、僕は歯を痛いほど噛みしめた。
あんなに幸せそうに笑ってたのに。
楽しいと言ってくれていたのに。
僕はただ彼と穏やかに暮らせればそれで良かったのに。
もうあの笑顔を見ることさえ叶わない。
ぽたぽたと落ちる雫が手のひらを滑り、地面に落ちていく。
「大丈夫…?」
心配そうにエルベが訊ねた。大丈夫なわけない。それでも、涙をぐいっと拭いて顔を上げた。
「それは…もう…どうしようも…ないのかな…」
涙をこらえ、エルベに聞く。エルベは考えるに目を伏せ、口を開いた。
「本当に分からないの。もう絶対に目を覚まさないと言い切れない。だって、最近のベオは今までとは違って、よく笑うようになってたから。そのまま死を選ぶとは思えないわ。だから、目を覚ますまで根気強く声をかけていきましょう。」
「うん…」グズグズと鼻をすすりながらうなづいた。
もし、彼がこのまま永遠に眠り続けるとしても、僕は生涯をかけて、彼にかかった呪いを解く。
それだけが、僕にできる唯一のことだ。
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