それでも雨は止まない

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「さっき人を殺してきた。俺の武勇伝を聞いてほしい。」 男はそう告げた。上機嫌に、自分に酔いしれながら、男は自らの過ちを高らかに告げる。 雨降る下で、万屋(よろずや)で遠藤快(えんどう かい)と梓汰民つぐみ(したたみ つぐみ)は聞いていた。 事の始まりは今朝に遡る。 金曜日の雨は少し物寂しく感じる。仕事終わりの雨は最後の難関と言わんべく皆に立ちはだかる。 万屋を営む遠藤快も二階の自室でその雨の音を聞きながらこの一週間を想起していた。十代の頃は煩わしいと思っていた雨音も三十になった今は心地よく感じ始めてきた。 一階の客間では同級生でもある従業員の梓汰民つぐみが自作のてるてる坊主をぶら下げていた。予報によれば雨は週末まで止まないらしく、そうなれば明日の動物園デートが残念なものになってしまう。 たった一つのてるてる坊主の効果は微々たるものかもしれないが、他の家々でも吊るされていることを信じていた。 しかし雨は止む気配を見せず、午後三時になっても日本をしっとりと濡らしていた。 三時を少し過ぎた頃、万屋のインターホンが鳴った。他の従業員が出払っているため、梓汰民が玄関まで小走りに駆けてドアを開ける。 「どちら様でしょうか。」 そう言った矢先、声が聞える。ドアの外に立っていたのは40代半ば程の男性だった。スーツを着ているが髪は乱れ足元には泥が跳ねており、何より男のスーツにこびりついていた赤黒い『血の跡』が梓汰民の目に焼き付いて離れなかった。 「悲鳴を、上げないでくれ。」 男は高揚を抑えながらも呼吸を乱しながら言う。梓汰民は頷き、壁を数度叩いた。 その音を聞いて遠藤が玄関に現れる。遠藤は男の身なりと様子を見て歩み寄った。 「店主だ。客人ならば話を聞こう。」 「ああ。仕事の依頼だ。」 その言葉を聞いて遠藤が頷く。客間のドアは開かれている。 「梓汰民、タオルと熱いコーヒーを頼む。」 「う、うん。」 梓汰民が逃げ出すように台所へ走る。遠藤は男の足を指差して客間は手招いた。 「どうぞこちらに。」 男が靴を脱いで裸足で客間に上がる。濡れた床は後で拭けばいいと考えながら、遠藤は男を客間のソファに座らせた。 梓汰民がタオルを男に手渡してコーヒーを二つテーブルに置く。男がタオルで体を拭いている間に遠藤が向かいの椅子に腰掛けて口を開いた。 「依頼を聞こう。」 「人を殺した。」 その一言で、客間の空気が重くなる。それが嘘か真かの区別は付けられない。男は引きつった笑みを浮かべて言葉を続けた。 「さっき人を殺してきた。俺の武勇伝を聞いてほしい。それが依頼だ。誰かに話したくて堪らないんだ。何でも屋だろ。何でも依頼すればやってくれるんだろ。金なら払う。嘘じゃない。嘘だと思うならその理由を言ってみろ。いいか、話すぞ。」 男は上機嫌に逝かれていた。梓汰民が思わず遠藤の方を見ると、遠藤は無表情に静かに男を見ていた。 「『依頼』を引き受けよう。」 遠藤快は素面の男の話を聞く。雨の音は言葉に遮られて聞こえない。
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