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5月、花が葉へ。
それは成長と云うのだろうか。
「お、おはよう!」
「お、山田〜!おはよ。…膝汚れてるけどなんでだ?」
武田が元気に挨拶を返してくれる。
人は見た目では無いのだという事を体現しているような彼は、いろんなとこに気がつく。
「あ、えっとね、さっき来る途中に転けちゃって。大した怪我でもないし、ね。」
保健室に行くのもなぁ、と思いここまで歩いてきたのだが。
「山田、怪我してるんじゃないのか?大丈夫か?ほら、ここ座って。ウェットティッシュあるからふく。…うん、これでよし。」
「柳川、ありがと。」
流れるような動作で私を椅子に座らせ汚れた膝を拭いてくれる柳川。
妹がいるらしく、こうやってよく面倒を見てくれる。
柳川君、と初めは呼んでいたのだが距離を縮める為に呼び捨てにしてくれ、と提案してくれた優しい人だ。
お礼の代わりに大きい体にハグをするとまるでマシュマロでも扱うかのようにそっと抱き返してくれる。
「いやー、まじでお前ら兄妹じゃねえの?おはよう。」
「だったらお前はサッカーボールと兄弟だな。」
にやりと笑う武田と喋っている遠田におはようを返す。
「兄妹、じゃないんだけど柳川は良いお兄ちゃんだよ!柳川がお兄ちゃんの妹さんが羨ましいもん。」
ふう、と椅子につきため息を吐く私に一瞬動きの止まる柳川に違和感を感じる。が、直ぐに思った通りの笑顔を返してくれる。
「そう思ってくれてるんなら、嬉しいな。」
成績はとても良いし、英語なら90点を余裕で取っている柳川。
その柳川がここ五組、通称問題児クラスになぜきたのだろう。
その疑問は、授業の難解さにすぐに溶けて消えてしまった。
「やーまーだ、次体育だよ。行こ?」
「…ん。春樹ちゃん、ごめんねありがとう。行こう!」
沈んでいた意識からゆっくりと浮上する。
体育は着替えがあるので急がなければならない。よって時間がないから置いていったらいいものの、毎回春樹ちゃんは律儀に起こしてくれる。
「いつもごめんね…」
「全然!気にしないで。あー、大西は先行っちゃってる、けど…いつもの事だからね!」
にしし、と明るい笑いを向けてくれる彼女は太陽の様だ。
その柔らかな日差しの恩恵を浴びつつも教室の隣の部屋をがらりと開ける。
ここは私達の更衣室。
ベットが一個置いてあり、他は行事などで使われる道具が置かれている乱雑な部屋で衣類を脱いでいく。
「今日一緒のクラスって何組だっけ?」
「えっとね、確か二組と一緒だよ。」
「…ゲェ。初めましてのクラスじゃん。なーんか視線があるからやなんだよね〜」
体操服の上の服からすぽん、と顔を出した春樹ちゃんが半目になる。
「てか、あの腫れ物扱い感が嫌。私達が珍しいのはわかるんだけど、珍獣じゃないっつーの!」
「仲良くなれたら、いいんだけどね。」
クラスが違うし、五組というだけで物珍しい目で見られることが多い。
そんなに変わったクラスじゃないんだけどなぁ。
みんな良い子だと、思うんだけれど。
グラウンドに行くと、もうすでに何人かは来ていた。
二組の整列している端っこに並ぶと、3人なので私は前、春樹ちゃんは大西さんの後ろに並ぶ。
「はい、えーと今日は二組と五組の合同です。みんな知ってると思うけど、五組の女子は3人と少ないから仲良くな。」
はーい、とまばらな返事が聞こえるこの時は中々どうしていいかわからなくて視線を下げてしまう。
「今日はウォーミングアップの練習方法変えるからとりあえず二人か三人組になって〜。」
先生の大きめの声を聞き取り、春樹ちゃんと向き合う。
目線が合って微笑むと、大西さんが視線を彷徨わせているのを見つけた。
これは、誘っても迷惑じゃないかな。
「お、大西さん!」
ふらり、と舞った手をぱしりと掴む。
「私たちと一緒に、やらない?」
「紗季と二人っていうのもなんかね?」
春樹ちゃんも加勢してくれる。
う、これで断られたら結構恥ずかしいぞ……
「…迷惑じゃないの?」
「え、全然!むしろ、私運動音痴だから足引っ張ると思う、ん、だけど…」
言ってて悲しくなってきたが、事実なので仕方ない。
春樹ちゃんは運動神経がとても良い。
身軽に飛んでいるように動く彼女とは天と地ほどの差、月とすっぽんになっている私は大西さんに一緒のグループに入ってくれるととても助かる。
「なら、入っても良い?…あと、別にさん付けしなくていいし。…春樹ちゃんって呼ぶなら玲奈で良いんだけど。」
「!!玲奈ちゃん!!」
「紗季うるさーい。でも良かったね。私もじゃあ玲奈って呼ぼっかな。」
「…ほら紗季、春樹、やるんでしょ。グループ決まったんだから座らなきゃ。」
ふん、と鼻を鳴らす彼女だが、耳は少し赤くなっていて。
私は少し彼女について勘違いしてたな、とくふくふと笑ってしまった。
「紗季あんたこれ…春樹!これ本当に紗季の本気!?」
「進級してからずっと見てるけど一向に進歩しないのよねぇ…紗季ほら、頑張れ頑張れ」
「くぅ…ふ、うーーー」
「唸ってるけどピクリとも起きてないわよ、あんた死ぬんじゃないの!?」
腹筋をするために玲奈ちゃんに足を支えてもらって起き上がろうと頑張るがピクリともしない。
本当に残念な私の運動神経はとても恥ずかしい。
けど玲奈ちゃんは驚きながらもほら、頑張りなさいよと応援してくれる。
今まで春樹ちゃんに笑われてたけど、やっぱり玲奈ちゃんにもびっくりされてしまった。
「え、春樹は…?」
「私は人並みに出来るよ。ほら紗季、足支えてくれる?」
ぺたりと寝そべっていた私にちょいちょい、と手を動かし私に指示する。
「春樹ちゃんはね!凄いよ!」
「人並みだってば…」
寝転がると、すぐにふ、ふ、と春樹ちゃんの高速腹筋が始まる。
「失礼かもしれないけど格差凄くない…?春樹それ人並みじゃないと思うわよ…」
驚いてばかりの玲奈ちゃんは思っていたよりたくさん喋ってくれていて、とても嬉しかった。
みんなを見て回ってた先生に仲が良いななんて笑われたときには、三人とも顔を見合わせて、笑ってしまった。
「今日は軽く五十メートル走ったら終わりだ。男子にぶつからないようにな。」
グラウンドは女子と男子、半分づつで使っている。
向こうをぱ、と向くとたまたまこちらを見ていた峰田がぶんぶんと手を振ってくれる。
嬉しくて振り返していると、玲奈ちゃんに怒られるわよ、と小さく注意されちゃった。
きゃー、とか、わー、とかの声が飛び交う。
四コースあるラインの一番端、三人で交代しながらタイムを計測する様に指示されたので私がスタートラインに立たせてもらう。
「春樹ちゃん、お願いします。」
「はーい。無理しちゃ駄目だからね!」
春樹ちゃんにスタートを言ってもらって、玲奈ちゃんにストップウォッチで計ってもらう。
「よーい、スタート!」
春樹ちゃんの手の叩いた音を合図に走り出す。
はあ、はあ、と肺が軋むのが判る。
「…何となく嫌な予感はしてたけどここまでとは…」
玲奈ははぁ、と溜息を吐く。
ストップウォッチを持った手は心配で震えている。
十メートル、二十メートル、と走った紗季は段々とスピードが落ちていき、四十メートルに届かないくらいでヘナヘナになっていた。
徹底的に体力が無いんだ、紗季は。
それでも見ていて苛々しないのは、本人が真剣だから、本当に楽しそうに体育をしているから。
諦めずに、楽しそうに体を動かしているのを見るとついつい手を貸してやりたくなる。
これは時間が掛かるか、と考えた玲奈は視界の端に紗季をじっと見つめる視線に気が付きまた溜息を吐いた。
「山田、大丈夫か…」
「おい柳川ァ!!!次お前の番だぞ!!」
バットを持ったまま山田の方を見つめている柳川を叱り飛ばす武田。
武田とて心配していないわけでは無いが、そちらを見てしまうと自分も同じく見守ってしまう気がして見ないようにしているらしい。
「で、でも山田死にかけてる…」
「体育で死ぬこたァねえしお前の方が心配だよ俺は」
男子は野球だ。
ベンチに入っていた柳川が打つのだが当の本人ははらはらと心配そうに女子の方を見ている。
遠田も分からない訳では無いのか、特に強くいうこともない。峰田は、自身の得意分野である野球をやる事で夢中になっていたが、見かねて柳川をひっぱる。
「柳川、ほら!!!心配なのはわかるけど!!」
「あ、あぁ…」
柳川が打ち終わったらさすがに走り終わっているだろう。
峰田は野球に集中することにしたらしい。
「…見学ってつまらないものだと思ってたけどこれを全部観れるならここでも良いかなぁ…」
この一連の流れを見守っていた小川が呟く。
三角座りで、誰とも喋らずぽつん、と座ったままレポートを書くだけの体育はつまらないものだが、この五組のクセの強いやり取りを全て見れる特等席に自分は座っているのだ、と少し嬉しくもなる。
ぜえぜえ、といった様子で紗季が走り終わる。
じゃ、と軽やかに走る玲奈にばいばいと手を振る紗季の手は力が入っていない。
次は紗季がはかるのだろう、玲奈がスタートラインで軽く体をほぐしている。
春樹は姉気質があるので二人が終わったのを見届けてから走るのだろう、優しい彼女のことだからきっとそうなんだろう。
ふふ、と笑みを零すが紗季の方を見やるとヒュ、と喉が嫌な音を立てた。
紗季が、他のクラスの子に寄ってたかって何か言われている。
ぱっと見は談笑にも見えるが、紗季の顔が尋常じゃなく白い。ぎゅ、と胸の前に握った手からは今にも血が出そうだ。
何か、僕らの事を。
五組は問題児が多い。
その恨みが根源の俺らにではなく、気の小さな紗季に行ってしまう事も想像に難くない。
「さ、」
声をあげようとして大きく空気を吸っても声が出ず、ゴホゴホと咳が出る。
全く、この体は使えない。
それでも、助けてあげなければ。
必死に言い返している彼女の目からは今にも涙が溢れそうで。
手を伸ばそうとしたその時、コースから誰かが紗季の方へ走り抜けてきた。
そしてぐい、と紗季を自分の胸元へと寄せていたのは、
「玲奈…」
キッ、と睨みつけた彼女のきつい目つきは威嚇にピッタリだった。
春樹ちゃんと玲奈ちゃんが何かを話しているので私は改めてストップウォッチがちゃんと動くか確認していると。
「ねぇ、五組に柳川っているよね?」
初めましてでも、挨拶でもないその言い方には少なからず悪意が孕んでいる気がして身構えた。
「い、いるよ。柳川は大きいけど優しくて、」
続けようとした言葉は囲まれた二組の女の子達の笑い声によって阻まれた。
甲高い声で笑うその声には間違いなく嘲笑のニュアンスが含まれていた。
「柳川が優しい?そんな事ある訳ないでしょ?あいつは去年クラスの男子を半分くらい病院送りにしたんだよ?」
リーダー格のショートの髪の毛の子が腕を組みながらにじり寄ってくる。
「…それも、何か、理由が」
「ある訳ないじゃん。結果五組なんだからさぁ。ねえ、あんたは何で五組なの?誰殴って五組になったの?」
この人達は、悪意しか持ってない。
胸の中の炎がチリチリと燻っている。
「私の知ってる柳川は、理由もなく人に手をあげる人間じゃない、し、弱い人に、手を差し伸べれる、人間だよ。私は、その柳川を信じるし、今の、あなたたちの方がよっぽど、意地悪に見えるよ。」
言ってやった。
言えた、私でも。
はぁ、と一息でついたその声が引き金となり周りの女の子が朝の小鳥の様に一斉に鳴きだす。
怖い、怖い。
でも、私は、間違ったことなんか一個も言ってない。
柳川は柳川だ。
震える自分を叱咤していると、不意に手が、体がぐい、と引っ張られる。
「あんたたち、なにがあったのかは知らないけど気の弱い紗季を囲んで馬鹿みたいに叫ぶのは性格悪いと思わないの?二組の誰もこれをおかしいと思わないの?馬鹿しかいないのね。」
はぁ、はぁ、と息を苦しそうに吐き出すのは玲奈ちゃん。
「れ、玲奈ちゃ」
「…あんたには関係ないでしょ」
「だから?内容について言ってんじゃないんだけど聞こえてなかったの?本当に日本語理解できてる?」
バチ、ときつい目線が絡まる。
「おーい、どうした?」
先生が向こうからくる。
「いえ、何でもないです」
蜘蛛を散らす様に去っていった彼女らを横目に笑顔で返す玲奈ちゃんは強い。
「今、呼ばなかったか?」
「…?いえ、呼んでないです」
「?そうか、わかった。終わったら教えてな。」
不思議そうな顔をして先生がまた向こうへと行く。
目の前の攻防に集中していたからか、誰かが先生を呼んでくれた事を全く聞こえなかった。
けれど、一瞬だけ此方を向いた小川と目を合った時、酷く安心した顔を見せていた。
もしかしたら、助けてくれてたのかもしれない。
迷惑をかけてしまって申し訳ないけど、そうだとしたら凄く嬉しい。
(あ り が と う!)
口パクで身振り手振りを添えて小川の方に感謝を届けると笑いながら手を振ってくれた。
それは、どういたしまして、と言っているような気がした。
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