相手の目を見て言いましょう

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相手の目を見て言いましょう

昔から、僕の世界は妹を中心に回っていた。 下半身が生まれつき動かない妹。 可哀想と言われ続け、何時から下を向く様になったのだろう。 「兄さん、ごめんね。私のせいで」 カラン、と冷えた静かな部屋に僕の入れたグラスの氷がやけに響く。 「気にしてないって。ほら、勉強の続きするんだろ、それこそ気にせず続けて良いから」 「…勉強、したとしてもいつ学校に行けるかわからないんだもの」 「そんな気弱な事言うなよ。病は気持ちからっていうだろ。」 俯いた妹の肩から連動して髪がさらりと落ちる。 「兄さん、来年は受験でしょ。私に構ってる暇、ないじゃん。部活だって、早めに帰ってこっちに来てるじゃん。…そういうの、もう、いいから」 静かな、冬の夜のような肌を刺す声。 自責の念が少なからず込められたその声に、思わず目を逸らしてしまった。 それが、一番妹と向き合っていないという事に気づかずに。 それから、妹が精神科に転院したらしいというのを聞いたのは、母の口からだった。 お昼ご飯はみんなで机を並べて食べる。 向き合って食べるのでみんなの顔を見れてとても楽しい。 今日は隣の席は柳川。 体育の時、二組の子たちは柳川の噂について言っていた。 病院送りにした、とかなんとか。 隣の席に座る彼からそんな空気はさらさら無かった。 私の視線に気がついたのか、柳川がぎこちない笑みをこちらに向ける。 「さっきのこと、聞いたよ。…大丈夫だった?何聞かれた?」 「えっと、ね」 言っても、いいのだろうか。 これは、言えるのか。 (悩むより、言ってしまった方が楽になるよ。言葉って、その為にあるんだからね。それとも、君はその人の事を信頼していないの?) 夢の中で、言われた言葉を思い出す。 私の夢は、きっと私の願望、都合の良い事だと、判ってる。 でも、柳川を、嫌な気持ちにさせたくない。 言って、駄目なら謝ろう。 私の知ってる柳川は、きちんと謝ったら許してくれる。 だから、絶対大丈夫。 「柳川の事、聞かれて。病院送り、とかいう話をされたんだけど」 「なんで!」 肩を激しく掴まれ思わず固まる。 「オイ柳川。山田から手ェ離せ。痛がってんだろ」 武田が柳川の手をわたしから外す。 ここで、言わなきゃ。 大丈夫だよって。 安心してって。 「ごめんな、山田、痛くなかったか」 いつも、言ってもらってる分返さなきゃ。 「柳川、だい、大丈夫だよ」 「…え」 ぱし、と柳川の所在ない手を掴む。 「わたし、柳川の事大好きだよ!それは、みん、えと、ここにいるみんなそう思ってる。柳川が、どんな事してても、しても、大丈夫。ちゃんと、受け止める、し、それで、嫌いになったり、なんかしない、から」 これは、ちゃんと目を見て言わなきゃ。 顔を上げ、柳川の方をちゃんと見る。 不安そうな、彷徨ってるような眼。 いつも助けてもらってばっかだから。 私だって、柳川の力に、なりたいんだ。 「話したいことは、ちゃんと話して。話したくなったら、話して。話したくなかったら、それで良いから。でも、抱え込まないで、私達も、ちゃんと力になるから」 引き寄せた柳川の手はとても大きい。 「独りに、なろうとしないでよ…」 こつん、と額を柳川の手の甲に当てる。 「よく言ったじゃねェか山田ァ!」 ぐわんぐわんと私の頭を撫で回す武田。 「俺らは優しいクラスメートなんだからさ!なんかあったら話し合おうぜ。こうやってさ!せっかく同じクラスになれたんだし!」 峰田も参戦してくれる。 いつのまにか、私と柳川の席の周りにみんな集まってきていた。 「紗季が言ったこと、ずっと私達も思ってたから。…複雑な事がなんかありそうなのは察してたけど、別にそんなので嫌いになったりする訳ないでしょ。むしろ紗季の肩掴んだ方が問題よ」 春樹ちゃんも優しく柳川の頭を撫でる。 静かに、柳川の嗚咽が聞こえる。 いつの間にか離れていた柳川の手は涙で濡れていた。 「待ってるからさ。いつでも良いんだよ。言わなくたって良い。柳川がそれで良いと思ったんならな。俺ら、友達だろ。柳川がそうするべきと思ったら賛成してやるのが友達だと思ってるからさ。」 小川が柳川の隣に椅子を持ってきて座っている。 「…ほら、拭きなさいよ。別に返さなくてもいいし。汚いのは勘弁よ」 ムッとしながらもずい、とハンカチを渡す玲奈ちゃん。 それは相手を慮る行動だと私は分かってる。 「ありがとう、紗季、みんな」 涙に濡れながらも、笑顔を見せる柳川は笑顔だった。 ずっと、僕の世界の中心は妹だった。 妹の為に毎日病院へ行っていたし、クラブだっていつも早く帰っていた。 それでも手は抜いていなかったし、手の空いた時間にトレーニングに励んでいた。 それが、来なくていいと言われてしまって、どうしようもなくなっていた。 声がまるで届かない。 自分のだけ昏い水中に沈んでしまったかのような感覚。 無意味に毎日を過ごす中中学2年の秋頃に言われた言葉が引き金で、僕は現実に引き戻された。 「最近あいつクラブ来てるよな」 「妹の為ーとか言ってクラブさぼるの飽きたんじゃね?」 「怒られたんでしょ、本当は妹なんていないのに嘘ついたから」 「いや、もしかしたら」 妹死んだんじゃね? そこがたまたま教室だった事、一人を殴れば一人が襲いかかってくるような友情があった事、都合の悪い所だけを先生に見られた事。 いろんなことが重なり、問題児としてその後を過ごした。 五組に行けて良かった、と息を無意識に吐いていた進級の日。 誰も、僕の暴力事件を知らない。 知らなくていいんだ、あんな僕の独り善がりが起こした事件。 バレてしまったら、きっと嫌われてしまうから。 あの時のように、距離を置かれてしまうから。 嫌なことがあったら暴力を振るう奴だと、思われたくなかった。 だから、静かに黙っていた。 「嫌いに、なる訳ないじゃん…」 ズッ、と鼻を啜る紗季。 小さな掌で溢れる涙を必死に拭っている。 何処を見ても華奢で、自分が力加減を間違えればぽっきりと折れてしまいそうな体を、僕はさっき、掴んだ。 それでもまだ伸ばされた手を拒否しようとしない紗季は大馬鹿だ。 「私、柳川が頭を撫でてくれるの大好き」 だなんて言われてしまえば、もういつもの様に頭を撫でるしかないじゃないか。 ズンズンと、武田が近寄ってくる。 「ごめん!柳川」 「え」 「気づけなかった。同じクラブなのに。おんなじ、仲間なのに。」 頭をきっかり九十度に曲げる武田に気圧されてしまう。 「なんでだよ」 気にしないで、とも、しょうがない、とも言えずにポツリと出た言葉はそんな言葉で。 「なんで、お前が謝んの。僕が、暴力を振るった側、だぞ」 「お前は、妹の為に頑張ってきてたんだ。それを、馬鹿にする奴は俺も許せねえ。そういう奴を、きちんと見分けて叱れなかった俺の責任でもある」 キュ、と強い目をしている武田。 「納得行かねェよ。お前の、努力を、妹を馬鹿にするのは俺でも殴る。」 だから、ごめん。 そう言った武田は、とても強く見えた。 強いんだ、武田は。 強くぶれない武田は、悪いと思ったらとことん謝る。 そんな武田が、少し羨ましかった。 「僕が隠してたのが悪いんだから。お互い様って事で」 手を差し出すと力強く握られた。 「次なんか言われたら俺も連れてけ。顔面の原型無くしてやっから」 バチン、とハイタッチした。 その音を境に、とても体が軽くなった。 俺は、もう大丈夫だから。 お兄ちゃん、もうちょっと頑張るからさ。 待ってろよ、妹。
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