人間病

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 最初にDAVID-XXの患者が確認されたんは、海面が一年間で一センチ上昇してもなお深夜に煌々と灯がともる極東の島国だった。堅物で通ってる公共放送のアナウンサーが、世界的な株価暴落のニュースを読み上げながら突然、「株価だけに急激なカーブかきながら落ちてますね」とドヤ顔でカメラにウインクしたもんだから、テレビの前で味噌汁を吹き出した視聴者からクレームが殺到し、会長が総務委員会に釈明に出かける事態にまで発展した。憮然とした委員たちを前に会長は身を縮めると、「このたびはしょうむないいんことをしでかしてしまって」と滑り出た自分の言葉に目を瞠り、隈の色濃く浮いた顔で委員たちを見回した。国民の生活にはどうでもいいそんな事件が、さも大ごとであるかのように輪転機に載せられる呑気な国での出来事だ。  はじめしょーもない駄洒落が流行っとるなくらいの認識で面白がっとった人らが、次々としょーもない駄洒落を言うようになったんで、こいつはおかしいと人々は未知への恐怖心を煽られた。誰が言い出したんか、しょーもない駄洒落を言ってまう感染症が流行っとって、感染するとオヤジ化して禿げるという噂が世間を席巻。《#ダジャレ病》がトレンド入りするまでに半日もかからんかった。  政府が昼のカレーライスを食べる会でそのことを話題にしたんは一週間遅れだった。SNSで名を馳せる大臣が「駄洒落が流行っているらしいですな」と切り出すと、別の大臣が「どんどん面白い駄洒落を言いなシャレ!」と甲高い声で叫ぶ。別の若い大臣は「先生それはもう死語です。私語は慎んで仕事に励んでくださいまし!」と窘め、三人で大笑い。他の議員が絶句するなか、「華麗な食べっぷりですな」などとカレーを頬張った。  呑気にカレーを食っとる間に感染は世界に広まった。一説によると米国への伝播は、禿げた中年旅行客が空港職員に時刻を訊こうとして、「掘った芋いじるな」と話しかけたんが発端と言われるが定かではない。大統領は激怒、この感染症をDajare Virus Diseaseの頭文字と西暦からDAVID-XXと名付けた。極東の弱小国は自国語の使用に強く抗議したが、かつてパンデミックの病原体を最初の流行地名で呼ぼうとした国の言い分に耳を貸す国なんか、世界中どこにもあるはずないわな。  甘エビを身につけたら感染せんというデマがどっからともなく流れ鮮魚店から甘エビが姿を消すわ、手に入れられんかった者が車エビや桜エビでもないよりましと買い漁るわ、社会が元々のきな臭さに加えて生臭さに包まれた。伊勢エビを頭に乗せて歩く者が、海外でChonmage Styleと報道されて話題になった。  禿げオヤジへの恐怖は凄まじく国民はみな疑心暗鬼。というてもただの駄洒落なんか患者なんか区別はできん。『されど人間は悲観を愛す』とはデカルトでカルトを作った教団の言葉だったか。駄洒落を言う者(もん)はすべて入店禁止、保育園の預かりを拒否され、「この家ダジャレ病!!」と貼り紙される始末だった。責任に固執する人らが『駄洒落とおやじギャグの相違と類似』という論文を二年前に発表しとった社会学者を特定。SNSで個人情報を曝された上に大学を解雇された学者が、深夜の自宅で武装集団に乗り込まれた末に、連れ込んでた学生さんと青酸カリを飲むという凄惨な事件に発展した。この頃から非感染者による自警団が感染者とされた者を襲う無政府状態となってったが、その前から政府はろくに機能しとらんかったからいつから無政府状態だったか、もうわけ分からん。力なき人は家の奥で息を潜め、門前を行き交う集団の足音と「どこそこの誰それは感染者だ」などという囁きに怯えきった。迫害を恐れた家族が家に籠もって餓死し、買い物を強行した主婦が撲殺される事件が相次いだ。喋った言葉にたまたま発音の一致があっただけで襲われ、その一致を見つけた者も怪しいと集団リンチに遭うんが日常の光景になってった。  そんな社会でも食わんわけにはいかん。若い男が休日に、スキップする息子と手を繋いでハンバーガーショップを訪れた。ビニールカーテン越しに紙袋を受け取って、「このへん食べる場ぁがぁないよなあ」と手を繋いだ息子に笑いかけた瞬間、無料のスマイルを提供しとった店員の顔が露出狂の股間を見せられたみたいに醜く歪んだ。「こんな世の中になってお先まっくらだなあ」さらに続ける父と、店員や客のわななく顔を交互に見て、息子は半開きの口から言葉にならん声を漏らすと、震える両手で父の手を引き身を寄せた。その直後、男は後頭部をドナルドで殴打され昏倒。少年は突き飛ばされて、尻餅をついたまま幾つもの足が父の頭を踏みつけ脇腹を蹴り上げるんを、手品を観るような驚きで眺めとった。笑顔が印象深い父の顔はみるみる赤紫色に腫れ上がって頬が陥没、耳と鼻から紅色の血が筋を引き、さっきまで自分の手を包んでいた手が細かく痙攣しとる。「こいつも感染者かも知れんな」息を切らした禿げ男が手を伸ばしてきよった。少年は紙袋を引っ掴んで転がるように逃げ出した。  家の周りにも人がおったんで、夏に父と夜店に行った神社の小さな社に潜って小さなった。抱えた膝で目を塞いどるのになんか零れてきて脚が濡れよる。父を見捨てた。砂を踏む音が絶えず鳴る。もう手も繋げない。「駅前のコンビニで感染者が」「その向かいの交番でも」囁き声が聞こえる。形見になったハンバーガーに食らいついたら塩の味がした。声が増えて大きなり、怒号となんかぶつかる音が聞こえた。しばらくして静かになった思うたら、扉のきしむ音がして光が射した。「ぼく、神社に隠れてるなんて常人じゃないな」険しい顔で手を伸ばしてくる禿げたおっさん。 「あ……。ハンバーガー食べる場ぁがぁなかったから」父の血の付いた紙袋を見せた。うしろで紅く染まった大人たちが笑う。 (滅びろ人間)少年は固く目を閉じた。
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