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夜中に誰の姿も見えぬ田んぼ沿いの歩道をただ一人、ひっそりと歩くのは気分が良い。 楽しかった飲み会の後となれば尚更である。 だからこそ市街を抜ければ田畑ばかりでなにもないこの辺鄙な片田舎のコンクリート道であろうと気にならない。 むしろそれが良いとさえ思える。 澄んだ空気が美味しい。 輝く夜空が美しい。 静寂が愛おしい。 考え事をするには邪魔な思念が挟まらず、ちょうどいい環境なのだから。 友人はこんなわたしと違い県外へと就職した。久々の帰省に伴い、食事と飲みの席に誘われ友人である彼女と会うとその姿はとても変化していたのでわたしは驚いた。 彼女はわたしの知る容姿ではなくまるで別人。わたしの知っている彼女は丸顔で、愛敬のある顔をしていた。それが今や、映像のなかにのみ存在するような麗しき美人へと変貌していた。 おそらくわたしは目に見えて唖然としていたのであろう、彼女は再会してすぐ、開口一番に「実は整形したの」と言った。 わたしには彼女か容姿にコンプレックスを持っているようには思えなかった。 確かに彼女は以前からプライドこそ人一倍強いように感じられ、まわりの人間を「思慮足らずの凡人たち」等とはっきり口に出し野卑したことさえあった。 わたしは自宅までのたっぷりの道のりの最中、彼女について考え続けていた。 思えば彼女のそうした選民的思考は思想的であり、大学の時分、彼女は自分のバイト先、アパレル店の店員をやっているときには同僚の何人かを退職に追いやったと誇らしげに言っていた。そのことをわたしに嬉々として語り(方法については述べなかったが)、彼女は薄い唇でこう述べていた。 「」 彼女には潔癖の気があるというよりは、実直さを気に障る気概があったように思われる。 彼女は淡々と自らの所属するどのようなグループでも、自らの思想と合致するよう整形したがった。利他性などは偽善と決め込み、そのような性分は学生の時から感じられた。彼女は同じ班の人間だろうと、僅かばかりでも他の班に比べ劣ったり愚鈍な態度や反応を示すようであれば仲間内であろうと臆さず相手をはっきり卑下する言葉を吐いた。それは今においても変わらぬ性分なのかもしれなかった。 ただそれでも、わたしは一抹の寂しさを覚えた。彼女は、自分自身に対してでさえ、その煩わしさを表面的に捉えていたのだとすれば。偽善的な笑みを何より嫌うはずの彼女が、今やその仮面が誰よりも似合うであろう容姿になったというのは皮肉的である。 彼女はきっと自分を捨てたのだ。 容赦なくもあっけなく。 二十数年、付き合ったはずの己の一部を。 彼女は表面的なことも同時に嫌っていた。端麗さばかりが目立つ同姓に対し「中身のない殻だけの存在」と言っていたことを思い出す。そのような彼女がどうして。 仮に、選民思考の強さが彼女を追いやったのだとすれば。しかしそれはけっして他人事には思えなかった。 今ですら、わたしは彼女に対する考察をこうして上から目線で行っているではないか! ‥‥しかるに、たとえ巨万の富を抱かずとも、誰しもが豊満な富以上の虚栄を抱かずに居られるだろうか? おそらくわたしのこうした思考ならびに思想こそが彼女の鼻腔を刺激し彼女は高校時代のわたしに声をかけたのであろう。それがわたしとの友好関係を築こうと思わせたひとつの要因であることは確かに思え、だがそれでも、わたしは彼女の整形に対しことのほかショックを受けていた。 わたしはおそらく、彼女が彼女自身さえも自らのプライドの高さ故に捨て去ってしまったのであれば、今日のあそこのあの場に現れたのは彼女でなければ学生時代からの旧友でもなく、ただただ彼女の名前と存在を語る、穿った純粋さを謳う虚構の概念そのものにしか思えなかった。 こんなとき、わたしは昨日に見た何気ないニュースを思い出していた。 それはおもちゃの『嘘発見器』が、実は真逆の反応を示す不具合が発見されたという報道である。報道局はこれを『嘘つき嘘発見器』として話題にしており、無論深刻といった呈としてではなく、滑稽事として扱い、ほのぼのニュースとした気兼ねさえ感じさせていた。 だがわたしの思念は今においてその嘘つき嘘発見器と彼女の存在を重ねず考えずには居られなかった。 彼女は自らのプライドの高さと選民思考を証明するかのように自らを整形したのだとすれば。では当の彼女は、? 彼女の機微なる心情までは理解が及ばないとしても、彼女が別れ際の最後、わたしがいっさい変容したその容姿に対し一言も感想を漏らさなかったことに不満げな表情、そして不安げな表情をしていた。 いくら顔の造形を変えようとも表情までは変えられないことぐらいはわたしも知っていた。彼女はことある毎に笑ったが、以前のように目が糸のように愛くるしく細まることはなく、一段と大きくなったその目、すべてのものを吸い込むような巨大で虚無な眼で、ただわたしの方を見つめてきたのみだった。 今更ながら思い返すと、わたしは誉めるべきであったのかもしれない。 それがあの場でできなかったのは、それをすれば、わたしと彼女の間にあった何かが途切れてしまう。終わってしまう。直感的にそう考えたからだった。 彼女は白いアクセサリーを身に付けていた。白のネックレス。わたしがそれを見つめていることに気づくと「最近、白が好きなの」そう彼女は言った。 わたしが「どうして?」問う前から彼女は言葉を続け、「なんで骨って白いんだろうね」と独り言のように呟いた。 「でもなんだか白いのは必然な気がするの。だって、白は(から)でしょ?死んで、魂か抜けて、からっぽになるから真っ白に。そう考えると合理的じゃない?」 首をかしげて問われ、わたしは曖昧に頷いた。彼女は今日の内で一番に饒舌だった。 「それに卵の殻って、白いじゃない。いいなぁって、最近思うの。だってまだなにものにも染まってなくて、純粋で、これからの可能性がいくらだってあるぞ。って、そう主張してるみたいで、なんだか羨ましいな‥‥」 わたしはなにも言えずはにかんだような笑みを向けたばかりで、しかし本心は、本音を返したかった。それはできない。何故なら彼女を否定することになるからだった。 「後悔しているの?」等とは決して言えなかったのだ。 もういい。 無為な妄想だと切り離すと、わたしは時代遅れとなったガラパコス携帯を取りだし、彼女に向けてメールを打とうと思い立つ。 適切なる文章は思い浮かばす自分の歩く歩幅は狭まるばかりだというのに足音ばかりが耳についた。 難航して作成した一行は、それ以上指を動かさなかった。 『綺麗になったね』 ただこれだけの簡素な一文。 わたしは自然と立ち止まり、息を飲むようにして送信ボタンを押した。 わずか数秒後だった。 メールはわたしへと帰ってきた。 宛先は存在していません。 Uターンして帰ってきたメール。 わたしと彼女を繋ぎ止めていた何か。それを決定的に切り裂いたものはいとも容易く、残忍さの欠片もなく、ただ素直に事実を押し付けてくる。彼女らしいな。そのときはじめてわたしはそう思う。ちょっと笑ってしまったほどだ。 わたしは暫く足を止め、その場に留まり続けた。 それから何事もなかったように、酔いも覚めかけのまま自宅への徒歩を再開させた。 夜道の空気は心地よかった。 見上げれば星が綺麗で、思い出が一筋の涙となって流れ星のように頬を濡らした。 わたしはそのとき彼女の幸福を願った。 それはとても利己的な行為であり、わたしは皮肉屋なのだ。 「ほんと、最高」 わたしは独りでにそう呟き、今の自分を嘘発見にかけてほしかった。 結果を知ったわたしはそのときにようやく、本当に笑えるだろうから。
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