傘とおちない話

1/1

0人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
買い物が終わり店から出ると、まだ雨は降り続いていた。 おれは大して期待せずに傘立てを見る。案の定、自分の傘は見当たらない。 きっと誰かが持って行ったのだろう。 よくあることなので、いつものように他人の傘に手を伸ばそうとしたとき、 「おや、ユウジ君じゃないか」 懐かしい愛称で呼ばれ、思わず振り返る。 雨の中、黒のロングコートを着て、右手で傘を差している男性がいた。 「久しぶりだね」 「お久しぶりです、砂村さん」 砂村さんは高校時代に知り合った、骨董品店の店主だ。しかし、大学に入ってからは疎遠になっていた。 「ユウジ君、君は今他人の傘を使おうとしたね」 突然、砂村さんは咎めるような口調で言う。おれは思わずいいえと答えていた。 「これはおれの傘です」 「違うね。君は青い傘しか買わない。黒でもなく赤でもなく、ましてや君が盗ろうとしたビニール傘なんて絶対に買わない」 断言された。 確かにそうだ。おれは青以外買わない。 「どうしてそう思うんです?」 「君が前、言っていたじゃないか」 しれっと言う。おれ自身が覚えていないことでも、砂村さんはよく覚えている。 砂村さんは厳しい顔をして続けた。 「他人の傘を盗っちゃだめだよ。今度は盗られた人が困るんだからね。君のように。」 「……わかりました。でもおれはこのまま雨に打たれて帰れと……」 いうのですか。と言いかけて、あることに気付く。 砂村さん右手に差している傘とは別に左手にも一つ、青いもの持っていた。 「砂村さん、どうして傘を二つ持っているんですか。もしかして、迎えに来てくれたとか」 自分でもあり得ないだろうと思う問いに、砂村さんは笑う。 「違う違う。これはダミーだよ」 「ダミー…?」 訝しむおれに、 「それじゃあ、この傘を開いてごらん」 そう言いながら、砂村さんが傘を渡す。 おれが渡されたそれを開くと同時に、紙吹雪がぱっと舞った。ひらひらと降る紙切れを見つめながら唖然としているおれに、 「よく盗まれるんだ。だから折り畳みを持ち歩くようにしてね、これはダミーとして傘立てに置いておくんだ。中には、いらなくなった紙をちぎって入れておく。そうすればこの傘を使った人はきっと楽しい気分になるだろう」 と嬉しそうに言う。 「なりませんよ……。それ、砂村さんが楽しいだけでしょう」 おれは服についた紙吹雪を手で払いながら言った。 「そうかもね」 あっけらかんと答える砂村さんの目は笑っていた。 理解しにくい人だ。 「でもね、人の傘を盗るほうが悪いんだよ。それに、これは僕のものだから何をしても良いじゃないか」 胸を張る砂村さんにおれは苦笑する。あの時から変わっていない。お茶目な人だ。 「ところで、どうしてここに?」 声を掛けられてから一番の疑問を口にする。 「ああ、店が入っていたビルを取り壊すっていうから、こっちに移ったんだ。また君に会えてうれしいよ」 そういって五年前、出会った時と変わらぬ笑みを浮かべた。 「おや、もうこんな時間だ」 砂村さんが腕時計を見る。 「今度会ったときは、就活で落ちないための話でもしてあげよう」 そう言って砂村さんは俺と青い傘を残して立ち去った。 「落ちない話、ね」 呟いておれは彼とは逆の方向へ歩き出す。 きっとこの雨は当分止まないだろう。そんな気がした。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加