幸せの味

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……待て。今、コイツは何て言った? ──『衣更』じゃなくて『頼仁』って呼んでよ 《衣更 頼仁は人を名前で呼ばないし、呼ばせない》 そんな噂を女子から聞いたことがあるし、本人も肯定していた。可愛いと評判の花澤さんでさえ名前を呼ぶと、苗字で呼ぶように促したくらいの徹底ぶりだ。なんて難儀な男だろうと思ったのでよく覚えている。 だというのに、コイツは呼べと言ったのか。 「名前、は。呼ばせないんだろ」 「なんで?」 分からない、と言うように訊き返した衣更になんで分からないのかと俺も首を傾げた。結構有名な話だし、本人も知っているハズだが。 「噂あんだろ」 「噂……? あぁ、うん。アレね」 漸く理解したらしい。そして、衣更の目が笑みを浮かべる。 「好きな人だけに呼んでもらいたいってだけ。その方が特別感あるでしょ?」 そういうモンだろうか? 俺にはよく分からないな。可愛い子に名前を呼ばれたら、嬉しいし。 「だからね、東くん。ううん、宗介には呼んでもらいたいんだ。俺の特別、だからね」 ドロリと蜂蜜のように甘い眼を向けられて、逃げたいという衝動に駆られる。 俺は知らない。こんな眼、知らない。向けられたことがない。怖い。 だって俺は、お前のこと。そういう目で見てないんだ。お前と同じじゃない。特別になれない。 こうなったら、本当のことを話そう。だって、こんなのあんまりだ。 意を決めて口を開こうとした時。 頼仁の言葉が過った。 ──好きな人だけに呼んでもらいたいってだけ。 俺は、自分に好意を持っているコイツに対して、『嘘の告白』をしてしまった。 俺が今ここで真実を告げてしまったのなら、コイツは酷く傷付くことになる。少なくとも俺ならトラウマになること不可避だ。 分かっているさ、最低なことをしてるって。こういうモンは、冗談でするモンじゃない。 言い訳になるが、こうなるなんて思ってなかったんだ。男同士、だし。 自身の浅はかな行動で血の気の引いた顔を見られたくなくて、俯いた。けれど、頼仁の様子がどうしても気になって、上目でチラリと窺うと
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