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第一章 屋上のハスラー 諏訪部レイ子
「私のこの左腕に宿る超能力、貴方も味わってみない?」
夕日が差し込む放課後の教室。机の上に腰掛けながら、宿星(やどりほし)めぐりはそう語った。
彼女は今年、この学校の高等部に進学してまだ間もない、今風の言葉でいうところのJK……一般的には、いわゆる「女子高生」と呼ばれる存在だ。
そして一般的と言えば、この世の中には何らかの理由でその身体にイレギュラーな何かを背負ってしまった「身体障碍者」と呼ばれるカテゴリーに属する人々が、少なからず存在する。
そして彼女もまた、そのうちの一人であった。
すらりとした170センチ近い長身に、その背中を覆うほどの美しい艶を放つ黒のロングヘアーを垂らし、やや鋭い目つきを持ち、普段は無表情という仮面を好んでその顔に張り付けているので、ともすれば少し冷酷な印象を見る者に与えてしまうが、その整った目鼻立ちにより一応美女、もしくは美少女と呼んで差支えない顔立ちをしている。
スカートから細く伸びた脚は、黒いタイツも相まって妙に色っぽい。それらだけを見るならば、学校のちょっとしたアイドル的な存在になっていても不思議では無いだろう。
しかし、彼女の制服の左の袖口からのぞく、その手は……一応目立たぬよう明るいベージュ色をしてはいるが、どう見ても人間の肌を持ったそれでは無かった。
彼女の本来の肉体の一部である左腕は、一年ほど前に遭遇したある事故によりその肘から先10センチほどを残して欠損し、前腕部と手は、存在していなかった。
そして彼女はそれにより起こる様々な不便……それと周囲からの奇異の目を軽減する為、自宅の外に出る際はいつも「前腕義手」、……さらにそのなかでも、重量物を保持したり何らかの作業をこなす事よりももっぱら見た目の違和感に対処する意味合いが強い「装飾義手」にカテゴライズされるものを、その左腕に装着していた。
前述したように彼女の容姿は、ただでさえそのどこか品のある美しさと同時にある種の「ミステリアスな雰囲気」を放っているのであるが、そのどうしても目立ってしまう左腕は、さらにそれに拍車をかける。彼女自身の美貌とは関係無しに。
そのおかげで、休み時間等に好んで積極的に彼女に話しかけるクラスメイトは、異性はもちろん同性ですらも、普段あまり見受けられなかった。
そしてその様子を見て、彼女の真向かいに座っている男子高校生、真中真(まなか まこと)は嘆息を漏らす。
「……なんだよ、超能力って」
めぐりほどでは無いが、この椅子に座って頬杖をつくこの少年も、他の男子生徒とは少し異なった容姿を持っていた。
まず目に付くのはその身長だ。今の座った状態であっても、人並み外れて小柄であることが分かる。この年齢の男子の平均的身長は約168センチ前後であるとされているが、真中真はそれより20センチ近く低い、150程度しかなかった。
目立つのは身長だけでは無い。
もう十五だと言うのにいまだ声変わりを迎えておらず、その色白の顔にはパッチリとした大きな目が並び、そこから生える長いまつ毛とそして低身長により、まるで女子……と言うか、童顔であることも手伝って、下手すれば中学生くらいのショートカットの女の子が自分の兄の学ランを引っ張り出し、着ているようにすら見えるのであった。
一応本人も自らの、男としてはあまりにも威厳の無い可愛らしい容姿を気にしているのか、校則が比較的寛容なのを良いことに髪を精一杯明るく染め、一丁前に制服の前のボタンは全部外し、そしてあまり自分からは笑顔を見せようとせず、努めてムスッとした表情を作るよう心掛けているのではあるが、……しかしそれでも、ふとした拍子に教室で固まっている女子グループから沸き起こる、
「キャーッ!」
「真中くーん!!」
「今日もカワイイよ~!!」
等と言う黄色い歓声を聞くたびに彼は、なんとも言いようのない虚しさを感じずには居られなかった。
そして決まってそんな時に聞こえてくる、凡人には近づき難い美少女、宿星めぐりの「フンッ……」と小さく鼻で笑う声と、そして馬鹿にしたような冷たい笑顔もまた、彼の荒んだ心に追い打ちを掛けるのであった。
しかしなぜかその一方で、真自身には理解し難い事に、めぐり本人は彼の事を気に入っているらしく、……あるいは群衆からスピンアウトした者同士という事で親近感を感じているのか……いずれかの理由で、駄弁り半分、そしてあとは冒頭にあるようなからかい半分と言った感じで、彼女の数少ない、気の置けない「友人」というポジションを、同じクラスになった時以来、彼は不本意ながら有り難く頂戴しているのであった。
「この『創造されし魔の左腕』は、触れた物を永久の闇へと葬り去る力があるのよ」
「んなアホな……」
「あら、試してみる?」
めぐりは不敵な笑みを浮かべると、真の頭をその左腕で撫でた。
シリコンゴムで表面を覆われたその人工の腕からは、当然、人間特有の温かみは感じられない。
「どう? 永久の闇へと葬り去られた?」
「全くもって葬られる気がしないな」
「そ。残念」
ちっとも残念そうな顔を見せず、めぐりは義手を真から離す。
「……? 何かしら? 外が騒がしいけれど」
不意に、グラウンドの方から喧騒が聞こえてくる。真はめぐりの声を聞いた後、意識を外へと向けた。
「……確かにな。喧嘩か?」
立ち上がり、窓の方へと向かう。めぐりもそれに続き、2人は共に窓の外へと身を乗り出した。
「……人だかり? 喧嘩……じゃなさそうだな。何だろう?みんな空を見上げて」
「真。空じゃない。屋上よ」
「屋上?」
言われたとおり真が屋上へと視線を移すと、そこにはひらひらと風に揺れる紺色の布のようなものが、かろうじてその視界の端に捉えられる。
そしてそれは、女子生徒の穿くスカートの裾の部分のように見えた。
「いっ!?」
人を落下させないために存在するへりの外に身体がある少女。その様子を見て、1つの答えが脳裏に浮かぶ。
飛び降り自殺。女子生徒はその身を屋上から空へと放り投げようとしているのか。
「くそっ!マジかよ!」
状況を確認すると、真は屋上へと向かって駆け出す。
「真!? どうするつもり?」
「どうって、放っておけないだろ!」
「……はぁ。お人好しなんだから」
その背中を追いかけるように、めぐりの足も動いた。
校舎の階段を全速力で駆け上がり屋上の重たい扉を開けると、生暖かい風がふわりと身体に触れる。
2人が屋上の一角を見れば、確かに少女の姿があった。
腰まで伸びる黒髪を後ろで結び、おさげにした、眼鏡の少女。
屋上のへりに立ち、ふらふらと今にも身を投げそうな彼女に、真は叫ぶ。
「おい!少し落ち着け!馬鹿な真似は止めろ!」
「…………?」
声に気づき、少女は振り返る。
「……あなたたちは、誰?何しにここに来たの?」
「君と、話がしたい」
少しずづ歩を進め、彼女に近づく真。
「……待ちなさい、真」
「なんだよ、宿星」
「説得は私がするわ」
「だ、大丈夫かよ……いや、俺もこう言う時どうしたらいいかよく分からねえけどさ」
そんなことを言い合いながら、めぐりは真を払いのけるようにして前に出た。
「ねえあなた。そんな事しても何も解決しないわよ?」
「……何よ。貴方に何がわかるの?」
顔を少しこちらに向け、眼鏡の奥に有るもうすでに死んだような瞳で見つめるおさげ少女。
「さぁ、何もわからないわ。けど1つだけ。そこから飛んでも何も変わらないのだけはわかるわ」
「……変わらない?」
「ええ。ここは4階。落ち方によって即死は免れる。しかももう騒ぎになってしばらく経つから、じきに下には保護用のネットが張り巡らされるもの。重症にはなるでしょうけど、病院でしばらく入院する程度よ。親や回りに迷惑をかけながらね」
紡いだ言葉はすべて、彼女の“ハッタリ”だった。そのようなものがグラウンドに設置される様子は、まだ見られない。
義手を少女に向かって差し出しながら、めぐりは問いかける。
「……でも、今ならきっと変わるわ。なんたってこの私が話を聞いてあげるんだもの。なんでそんなことをする気になったのか、少し私に話してみない?死ぬのは別にそれからでも遅くはないはずよ?」
「…………」
自殺志願の少女は少し逡巡した後、ゆっくりと、そしてにわかには信じがたい話を始めた。
「私、超能力者なの」
「……はい?」
相手が今、何を言ったのか理解できない真。
「……あら奇遇ね。私も超能力者なのよ」
「いや、お前は黙ってろって。話がややこしくなるから」
真のツッコミに、めぐりは手を広げやれやれとポーズを取る。そして、続きを促すように、少女へと視線を向けた。
おさげの少女は続ける。
「……本当よ。私は、他の人の目には認識できないほどの速さで移動することができる。いわゆる超スピード能力を持っているの」
「超スピード能力って……痛いって!」
「どうぞ。続けて」
真の頭を叩いてから、めぐりは少女に続きを促す。
「……私は1人だったから。今まで彼氏も、友達もいない。でもある日、この能力を身に着けたことで、その孤独を紛らわせるためにあることを始めたの」
めぐりは視線を少女の足元においてあるかばんへと向ける。開いたチャックの中にある財布は、一介の高校生が持つにしては不自然に高価だ。
「……それは万引き。私は、本屋やコンビニで万引きを繰り返したの」
うつむき、唇を噛む少女。
「……でも、昨日本屋で、いつもみたいに能力を使って本を盗った後、かばんに入れようとした時……店員さんに見つかって」
「……超能力を使えるのに?」
「……能力を使う前と使った後で、立ち位置と、姿勢が違ってた。それを見られたのよ。それで違和感を持たれて、かばんの中身をチェックされた」
「……なるほどね」
そりゃ間抜けなことだな、と内心つぶやく真。めぐりは気にせず問いかけた。
「それで? あなたは目撃されてどうしたの?」
「当然、慌てて本を捨てて、その場から逃げたわ。証拠不十分で、警察や学校がこの件で動くことも、多分だけど、無いと思う」
たしかに、超スピード能力もあるなら、なおさら証拠を抑えられたとは思えない。なら、なぜ彼女は今飛び降りようとしているのだろうか。真の悩みを代弁するかのように、めぐりは少女に問いかけた。
「でも、万引きがバレただけで、この状況を?」
「……違う。それだけじゃない」
少女は少しだけ空を仰ぐ。何かを思い出すように。
「……目撃されたの、この学校の先輩だったのよ。サッカー部で、いつもみんなの中心にいて、私なんかにも話しかけてくれる優しい先輩」
「……憧れの先輩ってやつか」
「そうね。憧れていたのかもしれない」
「憧れていた先輩に万引きもバレて、私が盗もうとした本も見られて……そんな状況に、私は耐えられなくなった」
すべて彼女自身の自業自得なのだが、少女にとって耐えがたい屈辱と後悔をもたらしたのだろう。
「……ちなみに、どんな本を盗んでいたの?」
「それはあなたには関係ないでしょう?」
「……それもそう、ね」
飛び降り自殺を考えさせるほどの本。その本に興味を持つめぐりだったが、このまま押しても答えは得られないだろうと思考を切り替える。
「……なるほど。事情はよくわかったわ」
「いやいや、ぜってぇ嘘だろ」
話を聞いていた真が、めぐりの言葉を遮るように喋り始めた。
「そんなマンガや映画みたいな能力、本当にあるわけ無いって。」
ぴくりと、めぐりの眉が動く。
「嘘じゃないとしたら、言っちゃ悪いけど君は中二病的な妄想に囚われているんだ。今までは、たまたま運良く見つからなかったってだけでさ」
「……運良く?」
「ああ。偶然だ。そんな能力、君には元から無いんだよ。事実、その先輩にはバレちゃったんだろ?」
「別に信じてもらえなくてもいいわ。どうせ私は今から死ぬのだから」
少女は踵を返し、再び身体を屋上の外へと向ける。
めぐりは、真を横目で見ながら「まったく……」とつぶやきながら言葉を続ける。
「あんたがこれ以上ここに居たところで、役に立たないわね。ここは私1人で十分だから、屋上から消えてくれるかしら?」
「は? なんだよ、いきなりそんな言い方って!」
感情が高ぶる真をなだめるかのように、めぐりは左腕で数回、真の頭頂部を叩く。小気味のいい音が辺りに響いた。
「い・い・か・ら!」
「痛い! 痛い痛い! 痛いって!お前、義手で叩かれるって痛いんだぞ!」
「知ってるわよ。私の腕だもの。……いいから、あんたは大人しくこの場から立ち去る! わかった?いい子だから、言うこと聞きなさい」
すると一瞬ではあるが、真はハッとしたような表情を作った。
「……わかったよ。俺はもう知らないからな」
そう言い残し、真は屋上から立ち去る。金属製の扉を閉める重たい音。その直後、ガチャリと南京錠を掛けた音が聞こえた。
めぐりはその音を聞き、少し安堵した。
「…………」
少女はやり取りを聞き、再び身体をめぐりの方に向けた。残された2人は、互いにその視線を相手に向ける。
その静寂を破ったのは、めぐりだった。
「……?」
ゆっくりと歩みをすすめるめぐり。落ち着いた足取りで、少女への距離を詰める。
「ち、近づかないで!」
しかし、めぐりは途中から方向を変え、少女から7、8メートル離れた場所、そこのへりの上に立った。
「……結構高いわね。あなたの勇気、素直に称賛を送るわ」
「……どういうつもりなの?」
「これから、私とゲームをしましょう」
「……は?」
驚いた少女に、めぐりは畳み掛けるように続けた。
「私は今から、あなたよりも先にここから飛び降りるわ」
「……何を言っているの?」
「見ての通り、あなたと私の距離はかなり離れているし、あなたはそれほど体力や瞬発力があるようにも見えない」
「…………。」
「もしあなたの言っているスピード能力が嘘なのなら、私はここから落ちて死んでしまうでしょう。……でも、もしあなたの言ってることが本当なのなら、逆にこのくらいの距離なら一瞬で詰める事が可能でしょうし、私が落ちてしまう前に引き止められる。そうよね?」
「……それが勝負とでも?」
「そ。面白い勝負でしょう?」
「馬鹿げているわ。私がそんな勝負に乗る理由は――」
「そうそう、ゲームは公正でなければいけないから、私の秘密も教えましょう」
めぐりは少女の言葉を遮り、自らの左腕を顔の前に掲げる。
「実はね、さっきも言ったように私もあなたと同じ、ちょっと特殊な能力を持っているの」
「そんな嘘、信じるとでも?」
「私の能力は、左腕、つまりこの義手で触れた相手の心を読み取ることが出来る」
めぐりは少女に義手を見えるように動かす。
「相手の考えている事や、そしてさらにその人の記憶を探ることができる。……そして、その逆も」
サイコメトリーに近しい能力。めぐりの言葉を、少女は信じるかどうか迷っていた。
「1年ほど前、“とある事故”で左腕を失ってから、この力に目覚めたの。自分でも不思議な事にね。欠損していない右腕ではこの能力は発揮できないし、左腕でも義手を装着した状態じゃないと、やっぱり力を使うことが出来ない」
自身の義手を見つめるめぐり。
「そして、私の左腕にはもう1つ能力がある」
ここからが本題とでも言うように、めぐりは言葉を紡ぎ始める。
「私がこの義手で触れた者の記憶を“消去”することもできるのよ」
記憶の消去。読み取るだけではなく、消しさることもできる力。使いようによっては、癒やしにも、攻撃にも使う事ができる能力は、めぐりにとって切り札とでも言うべき能力だった。
「ともかく、私がこの義手であなたに触れれば、あなたの犯した罪自体は消えなくても、あなたを苦しめている記憶やトラウマをあなたの心から“消去”して、精神的な苦痛を取り除いてあげることができるわ」
「記憶の消去……そんなこと、できるわけが……」
「あら、超スピードはできるのなら、記憶の消去ができない道理はないと思うけれど?」
「…………。」
「さぁ、勝負のルールを確認しましょうか。あなたが、私が落ちるより早く私の所に辿り着いたら私の勝ち。そして私が義手であなたに触れれば、あなたと、そして私の勝ち」
自分と少女を交互に指差しながら、不敵な笑みを浮かべるめぐり。
「どう? 面白いルールでしょう?」
「な、なによその変なルール……」
「そう? 自信あったのだけれど」
「……ていうか、さっきの男の子が言ってたように、私が嘘をついていたらどうするの? 大体、私があなたを必ず助けると決まったわけじゃ――」
ニヤリと、めぐりが笑った。
トンッ! っと軽やかに地面を蹴る音。
次の瞬間、めぐりは横方向にスライドするように、軽くジャンプしながら屋上の“外”に出た。
「危ないッ!!」
おさげ少女が絶叫する。
どれくらい時間が経ったのか。宙ぶらりんになっためぐりが我に返り、ゆっくりと上を見た。
すると、そこには必死の表情で自分の右腕を両手で掴む、おさげ少女の姿が有った。
「すごい……!!あなた、本当に〝超速移動″ができるのね!」
「い……今はそんなこと言ってる場合じゃない!!早くどこかに足をつけるか、もう片方の腕でどこかに掴まって!私の力だけじゃ、もう支えきれない!!」
「無理よ。ここまできたら二人ともどうせ手遅れよ?」
「え?」
「二人で一緒に墜ちていきましょう?」
そう言いながら、自分の左の義手を伸ばし、おさげ少女の腕に軽く触れた。
その瞬間。
キィィ……ンンン……!
二人の頭の中か、それとも心の中で、不思議な音が反射して響き渡った。
「うっ……!!」
「あっあれ……?ここどこ……なんで私、ここに……?」
突然、不思議そうな顔をして周囲を見渡すおさげ少女。
しかしやがて、自らの両腕が感じる人一人分の猛烈な質量に気付く。
「えっなにこれ……ってうわああああああああああああああああ!!!」
おさげ少女はめぐりの腕を掴んだまま完全にバランスを崩し、絶叫しながら落下していった。
めぐりは目を見開きながらも、相変わらず不敵な笑みを浮かべおさげ少女を見つめたまま、共に落ちていく。
バスンッ!!
ボスンッ!!
少女二人は、「なぜか」そこに設置されていた陸上競技に使う緑色の分厚いマットの上に落ちた。
そしてそのすぐ傍では、完全に体力を使い果たした真がマットを掴んだまま突っ伏していた。
「ぜぇえええ~……!!ぜえええ~!!ま……間に合った……!!」
めぐりがむくりと起き上がり、少しだけ優しそうな口調でマットの上から声をかける。
「ご苦労様。ちゃんと“指示”通り動いてくれたようね。」
「あ……ああ。お前がかなり人使いの荒い奴だってことが、よ~く分かったよ。」
「あら、そんなことないのだけれど」
「いやいや……陸上マットを一人で運んでこいなんて、引越し業者並の重労働だぞ……!」
「よかったわね。少なくとも引越し業者で働けそうで。将来安泰」
「どこがだ!」
「う、うう~ん……」
おさげ少女はめぐりの隣で体をくの字に曲げ、眼鏡をどこかに吹っ飛ばし、苦悶の表情を浮かべたまま気を失っているが、特に目立ったダメージは無いようだった。
「私としては、あなたが私の指示した通り「私の」真下にこのマットを設置してくれるかどうか、そこだけが賭けだった。もしあなたが無難にこの子の真下にマットを敷いていたなら、今頃は二人とも死んでいたでしょう。でも、そこはちゃんと私の指示を聞いてくれた。あなた、見かけによらずなかなか使えるわね。」
「……そりゃどーも。褒めるついでにひとつ聞かせてくれ。」
「何?」
「なんでこいつが妄想じゃなくて本当に超スピード能力が有るって分かった?こいつが能力を使ったのは、お前が飛び降りた直後なんだろ?」
それを聞いた義手少女は、悲しそうにはああ~っと大きなため息をつく。
「前言撤回。あなた、それ本気で言ってるの?」
「なっ……なんだよ」
「いい?この学校に限らず、日本の大抵の学校や企業では屋上はいつも非常時以外は施錠されているの。理由は主に自殺防止ね。」
「今回は危うくそれをされそうになったけどな。で?」
「あなたが階段を降りる時、私の指示通り、邪魔が入らないように扉を内側から落ちていた南京錠で施錠したでしょう?その時に違和感に気付かなかったの?」
「あっ……そうか……」
「そう。私たちが屋上に来た時にはすでに扉は開いていた。でもそれはなぜ?答えは、この子が南京錠を開錠したからよ。そしてこの子が、強盗団が使うピッキングの技術を知っているとは思えない。だとすると、職員室か、守衛室か、あるいはその両方に白昼堂々と侵入してカギを盗み出したのよ。・・・超速移動能力を使って、ね」
「なるほどなあ~。だから誰にも気付かれずに屋上に出られたのか。」
「あなた、その可愛らしい顔のパラメーターを、脳のIQにまわしたほうが良いわよ?」
「うるせー!!余計なお世話だ!!」
「それでね、この子の頭を覗いた時に、ついでだから盗もうとした本の記憶も読み取っておいたわ。表紙では、漫画風の二人の男のキャラクターが、なぜか二人とも裸で抱き合っていたの。」
記憶をたどるように、こめかみに指を当てながらめぐりは続ける。
「それで、タイトルの方ははっきりとは読み取れなかったんだけれど……働く男の……ナントカ特集……とかって書いてあったわ。これってどういう本か分かる?」
「ああ~っ!!そういう事か……まあそんなのを好きな男子に見られちゃ、確かに死にたくなる気持ちも分からなくは無いな……」
「ねえ、だから何なのよ!」
「だからさ、いわゆる“BL本”ってやつだよ。……って言うか、お前知らないの?意外と世間知らずなんだな。」
「一人の少女を万引きに走らせるわ、自殺未遂に追い込むわ、その“びーえる本”とやらはなかなかに興味深いわね。」
「本屋に行けばいくらでも売ってるから、興味あるなら買ってみれば?俺は読まんけど。ところでこいつ、どうする?」
「そうね……本来なら、警察か生活指導の教師に引き渡すのが筋なんでしょうけど、並みの人間にこの子が扱えるとは、とても思えない。私が責任もって正しい方向に導いてやるしかなさそうね。」
それを聞いた真がにこっと微笑む。
「相変わらず上から目線だけど、それって要は友達になってやるってことだよな?おまえって普段何考えてるか分からないけど、やっぱり根は良い奴なんだな。」
「は?何言ってるの?」
「……え?」
めぐりの予想外の反応に、真は驚く。
「じゃあ、なんで――」
「言ってなかったかも知れないけど、私には野望があるの。」
「……野望?」
初めて聞いた単語に、真は驚きを隠せないでいた。
「ええ。卒業までにこの学園の女王――つまり、『生徒会長』に上り詰め、学内のあらゆる権力を掌握するのよ!」
胸を張り、高らかに宣言するめぐり。
彼女は更に続ける。
「でも、私がいかに優秀で、この左腕に能力が宿っていようが、私一人の力だけでは確実に勝ち取るのは難しいわ。私の野望を成就せしめる為には、部下が必要なのよ。使える手駒が、ね」
「えーと……それじゃ、お前がこの子を助けたのって……」
「ええ。私の野望成就に協力する手駒になってもらうわ」
「まじか」
「ええ、本気よ。まず、私のこのたぐいまれな知性! そしてサイコメトリー能力!」
ピシっと、スーパー戦隊シリーズのような決めポーズを決めるめぐり。
「次に真!」
続いて、真を指差し続ける。
「あなたのその愛くるしい美貌!そして私の指示を達成する雑務処理能力!」
「つまり雑用係ってことかよ!というか美貌ってなんだ美貌って!」
「そしてこの子の超速移動能力! これらの武器を有効に活かせば、かならず私たちは会長・副会長・書記の“三役”を独占できるはずよ!」
そんなめぐりの宣言に、真は深いため息をつきながらかぶりを振る。
「やっぱり、お前もたいがい中二病だよ……。いいか? それこそマンガやアニメと違って、リアルの生徒会はやたらやる事が多くて気苦労が多い割に、権力なんざ皆無。メリットと言えば大学入試の時に推薦を貰いやすいくらいしか無いらしいぜ?俺はゴメンだな」
「フンッ!自分で確かめもせずに、人から聞いた話ですべてを知った気になるのは、成長を諦めたということよ。愚民のすることね」
「いやいや! じゃあ荒唐無稽な妄想繰り広げるやつも愚民だろ!」
「あ……あの……この状況は、一体……あなた達は、誰ですか……?」
いつの間にか目を覚ましていたおさげ少女が、不毛な言い争いをしている二人におずおずと尋ねる。
「もう少し気絶していなさい!あとで説明するわ!」
「もう少し気絶してろ! あとで説明するから!」
「ひ、ひどいっ!?」
二人の言葉に、おさげ少女は目の端涙を浮かべる。
少女は、自分が学園の政権奪取をもくろむグループの一員として勝手に仲間に組み込まれたことを、まだ知る由もなかったのであった。
<終わり>
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