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プロローグ
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『樹。人は死ぬ間際にね、それまで生きて来たたくさんの記憶を一瞬のうちに思い出すんだって。それが走馬灯っていうくるくる回るランプに似ているから、人生の最期に思い出を振り返ることを〈走馬灯を見る〉って言うの』
優しい声が耳に心地良かった。僕の小さな両の手を、母の手が優しく包み込む。
外遊びから戻ったばかりの僕の手は冷え切っていて、そのせいで母まで寒い思いをすることを気の毒に思った。
そのためだろう。さして興味もないその話に、僕は真面目な顔でうなずいていた。母はにっこり笑ってこう続けた。
『だからね、樹。あなたはうんと長生きして、それで誰よりも長い走馬灯を見るの。母さんとの約束よ』
■
遠い日の記憶が蘇る。あれから十年。僕は母さんの言いつけを守れそうにない。
もう駄目だ、僕は死ぬ。今死ぬ絶対死ぬ。たった十五年しか生きていない僕の走馬灯は、きっとずいぶん短いはずだ。
目の前の異形は今にも僕に食らいつきそうな勢いで、フウフウ息を吐いている。
頭からガブリ、か。えげつない死に方だ。どうせ死ぬなら綺麗な方法が良い。わがままが許されるなら全力で別の死に方を所望するだろう。もっと言うならせめてあと五年、大人になるまで生きたかったなあ……。
そう思った時だった。聞こえていた軽やかな足音が、異形の背後でぴたりと止まる。
視界の端できらりと刃が煌めいたと思うと、次の瞬間僕を押さえ付けていた巨体は鳩尾のあたりで上下真っ二つに割れた。
びしゃびしゃと降り落ちる血の雨の中に佇んでいたのは一人の少女。彼女は刀を鞘に納め、尻もちをついたままの僕を静かに見下ろした。
「あ、あの……助けてくれて、ありがとう……」
「樹、君は本当に変わらないな」
たった今初めて会ったはずの彼女はそう言って微笑み、不思議なことに僕はその笑顔を懐かしく感じていた。
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