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「私は『スグリはここにいろ』とパパに言われてオブジェの前にいたから、右の道から走ってきた翼くんがオブジェの後ろに隠れるのを見ていた。内緒だよと念を押すみたいに翼くんが口の前に人差し指を立てたから、大きく頷いてみせた。すぐに大人たちが戻ってきて、翼くんの名前を呼びながら右の道や左の道を行ったり来たりした」
「岩屋のどこにも翼くんはいなかったから、やっぱり海に落ちたんだと僕らは思い込んでしまった」
スグリの話を引き継ぐように語りだしたのは立石だった。立石だってあの時はまだ大学に入ったばかりの十八歳だ。青白い顔をしてオロオロしていたのをスグリは思い出していた。
「ちょうどビニール袋か何か、白いものが波間に浮かんでいたんだよ。それが白いTシャツを着ていた翼くんに見えたんだ。……最初に海に飛び込んだのは翼くんのお母さんだった」
「母さんが⁉」
「お母さん、泳ぎは苦手だって言ってたのに、無我夢中だったんだろうな」
しんみりとした口調の石塚が、木梨の顔を見て頷いた。そういえば行きの高速ジェット船の中で、コック見習いの石塚は翼くんのお母さんと料理の話で盛り上がっていたっけ。
スグリの頭の中には特別な部屋があって、あのミステリーツアーの記憶が押し込まれていたみたいだ。一度扉が開いてしまえば、スルスルと嘘のように記憶が蘇ってきた。
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