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ガラリと開けた玄関の音が思ったよりも大きく響いた。
しまった。そう思ったのも遅く、衝撃が体を襲う。
「おかえり! ミリア!」
「タタタ、ちょっと、今日は無理したんだから、やめてよ」
体に巻きついてきた、男の子──弟を取り払う。奥から、ミリアの母も顔を出した。
「おかえり。カレーあるわよ」
「やった! お腹空いてたんだ」
ダイニングには、父もいた。笑顔でおかえりと言ってくれる。ミリアの大好きな蜂蜜の入ったカレーだ。スパイスの香りがミリアの鼻腔をくすぐる。
「ずっと、チリチリ煩かったから、今日は静かでいいわねえ」
母がカレーを掬いながら、ご機嫌に鼻歌を歌っている。
「それにしても、父さん、やりすぎじゃない?」
「あれくらいやらないと、また別の魔法少女を簡単にひっかけてくるだろう?」
父がスプーンをとるために立ち上がる。ズチャズチャ、という重くて長い足を引きずるような音が響き渡る。これがあるから、なかなか父さんは家に帰って来られなかった。今日は久々に家族全員での食事だ。
「容赦ないんだもん。本当に死ぬかと思った」
「僕も、姉ちゃんに殺されると思ったけどね」
カレーの香りに弟の鼻が動く。思わずと言った拍子に、ガオ、とくしゃみが出ていた。食卓に置いてあったスプーンが衝撃に吹き飛ぶ。トラジオンと呼ばれる化物が取り憑いている体は小さく、たまにこうして素が出てしまう。
「もう、くしゃみするときは手で押さえて、って言ってるじゃん」
弟がえへへと笑う。
「まあまあ。我々が力の加減が不得意なのはいつものことだ」
父と弟の前に、大きな寸胴がおかれる。私と母の机にはお皿いっぱい分のカレーだ。
「何はともあれ、お疲れ様ね」
「これで、当分は普通に過ごせるね」
「うちの次の回は、だいぶ先だからな。少なくとも4年はミリアにも苦しい想いをさせずに済むはずだ」
父の言葉に開放感が再び体を満たしていく。
母は人間、父は化物、双方をそれぞれ色濃く継いだ私と弟。
魔法少女との戦いに辟易していた父が、仲間たちとともに、家族総出で精霊をだましあおう、と言い始めたのは、5年は前のことだ。
家族が傷つくことを見ていられなかったミリアと母は1も2もなく賛成した。
ただ、父と弟がとり憑ける、ちょうど良い子供と大人を探すところからはじめ、魔法少女の条件をつきとめて、家族や時には仲間も巻き込んで、長期間演出を続けるのは、いうほど簡単ではなかった。
いつ精霊が見ているかもわからない中、家では母がミリアに冷たくあたり、学校では仲間がミリアを痛めつける。殴るなんてとんでもないと腰が引けている仲間を叱咤し、母が内緒で作ってくれるご飯にも手をつけなかった。自分の境遇を、その設定を骨のずいまでしみつけた。おかげで、「演じている」間は、気持ちまで魔法少女の条件に合うような少女になりきっていたと思う。
気を抜いたら、ボロが出てしまう。皆にそこまでやらなくとも、と言われながら自身を追い込み続けてきた。自らが流した血が、仲間を、家族を救うと信じていたからだ。
全ては、魔法少女に選ばれるために。
この日の、この笑顔のために、やってきたことだ。
弟の口に盛大についたカレーを母が拭う。父が、ミリアの好きな肉を自分の鍋から取り分けてくれる。
この、日常を守りたい。
──それなら、私はいつでも選ばれよう。
辛い想いをしている仲間と家族を助けたい。
その笑顔に、私は応えられただろうか。
ミリアはゆっくりとカレーを噛み締める。
甘く香ばしいスパイスと家族の笑い声がいつまでもミリアを優しく包んでいた。
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