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 9月も中旬になったというのに湿気を帯びた、やけに暑い夜だった。それでも私は21年間生きてきたから、今年の夏がもう終わることを知っている。 「ちょっと無理かも。昼間の雨で湿ってる」  目の前のベンチに触れた奥野くんがそう言って軽く首を振った。  大学の近くにあるこの公園は日中、小さな子供たちとその親で大いに賑わっているのだけれど、さすがにこの時間になると私たち以外に誰もいない。  奥野くんがそのまま正面の砂場の淵にしゃがみこんだので、それに倣った。汚れるのは避けたかったから、お尻は浮かせたままだ。 「谷村さんはもう金曜までのゼミのレポート、終わってる?」  頭の中に書きかけのレポートの姿が一瞬だけ浮かんで、すぐに消えた。 「3000字くらい書いたところで詰まってる。参考資料からもう1回根拠みたいの考え直さないとこれ以上書けないかも」 「今回の、いつもより謎に規定文字数多かったよな」  そう言って苦笑いする奥野くんが着ている服は、この間私がお洒落だね、と褒めたナノユニバースの白いTシャツに、細身の黒いパンツの組み合わせだった。  奥野くんは、と聞こうとして止めた。代わりに別の言葉を口にする。 「一昨日のゼミ飲み、結局二次会あったの?」  砂場の淵には昼間子どもたちが集めたのであろう石がたくさん散らばっていた。私はその中から手近にあった先の尖ったものを手に取り、ザクザクと砂場の砂を掘る。 「谷村さんあの日先に帰ったもんね。二次会はなかったんだけど」  そこまで言って奥野くんが、しゃがんだ体制のまま左右の足の位置を少し変えた。それに合わせて街灯の灯りが、ちらちらと私の目の中に入る。 「間辺が居酒屋の店員と仲良くなって。わかる?俺らのところによく食べ物運んでくれてた金髪ロン毛の人」 「あのピアスジャラジャラの?」 「そうそう」  奥野くんの言葉に、自分の心臓がゴロリ、と動いたのがわかった。 「なんかインディーズのバンドの話で盛り上がったんだって」 「へぇ」  確かに料理を運んでくるたびに何か会話しているな、とは思っていた。 「で、その人もバンド組んでて、次の日がライブだったらしくてさ、誘われて行ったって」 「そんなことある?」  私は求められているだろう反応をしつつも、間辺なら大いに有り得そうなことだと思っていた。 「な、」  奥野くんの短い相槌を最後に、会話はすぐに途切れた。当たり前だ。私たちは雑談をするために集まった訳ではないのだから。  いつの間にか奥野くんは石を手元に集め、丁寧に一列に並べていた。きっともう、これ以上は先延ばしにできない。それでも奥野くんは私を急かすようなことはしない。 「奥野くんは、優しいよね」 「普通だよ」 「普通じゃないよ、全然」 「どこが」  そう言って私を見つめる奥野くんの目に、熱が籠っているのがはっきりとわかった。  私は慌てて視線を砂場に戻す。手に纏わりついた砂の一粒一粒が気持ち悪い。 「この間のゼミ合宿の最終日さ、みんなで花火したじゃん」 「うん」 「あの時、野宮くんが鍵無くしたって言ってたよね」  同じゼミの野宮くんは決して派手とは言えない男の子で、女子と話しているところをほとんど見たことがなかった。 「そうだね」  奥野くんの相槌は丁寧で、石を1つ1つ並べるそれと同じだ。 「話を聞いてみんな大丈夫?って砂浜を眺めるんだけど、それは一瞬で、形だけなの。いつの間にか離れて、花火してた」  背中を汗がつたうのがわかった。 「きっとあの時真剣に鍵を探してあげていたのは、奥野くんだけだった」 「そうかな」  それから鍵が見つかったかどうかを私は知らない。私が知っているのは、結局あの海で奥野くんは花火を1本もしなかったということだけだ。 「そうだよ。奥野くんは優しいよ」  本当に。心から。 「だからきっと、私なんかより良い人がいると思う」  陳腐な、つまらないセリフを吐くことを口が嫌がっている。それでも私はこうするしか方法を知らなかった。  私の一言で、目の前の人を一喜一憂させられると思ったら何故か吐き気がした。  残りのセリフを、ひと息で言い切る。 「ごめんなさい。奥野くんとは付き合えない」
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