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どこは誰で私はここ
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「お客さん。お客さん」
「あ……はぃ」
体をゆすられて目が覚める。
目の前が白くチラついて、胃からこみあげてくる不快感に頭を振った。
「え…と、電車?」
「そうだよ、ここは終点の湯玄北駅」
教えてくれた男は年配の駅員だった。
心配そうに私を見上げて、困ったように眉根をよせている。
「だいぶ気分がわるそうだね。立てるかい?」
「はい、ありがとうございます」
少し情けなくなるが仕方がない。
ふらつきながら席から立ち上がり、駅員に導かれて電車の外に出ると冷たい風が頬を打った。
「ぇ……え、畑。え、田んぼ?」
ここでようやく、私は自分の置かれている状況を正確に理解する。
飛び込み台のような狭くて細長い駅のホームから、かろうじて線路に沿って田んぼや畑が広がっているのが見えた。
鼻を突く濃厚な草の匂い。風で動いた雲が、闇に埋もれた山のシルエットを浮かび上がらせていく。
リーリーリー。
ケロケロケロケロ……。
ギョ、ギョ、ギョ、ギョ、ギョッ。
まるで私を歓迎するかのような、闇夜に響く人外生物の大合唱。
深夜の荒川土手や多摩川でも、ここまで見事なオーケストラを私は聞いたことがない。
「…………ここ、本当にどこ?」
完全に、私――日比野 友美子の酔いがさめてしまった。
「あー、若い人はめったにここに来ないからなぁ」
横でうんうんと頷く駅員さんに、私はちょっと泣きたくなった。
ついさっきまで、私を乗せてきたらしき小さな赤い電車が、一本道の線路をのろのろと動きだした。
どうやら単線の区間らしく、長方形のコンクリートに駅舎がちょこんと乗っかっている小さな駅だった。
が、改札口は最新の自動改札機だ。ご丁寧に、通常とIC専用の二種類がそろっている。
「あ、お会計。……じゃなくて、え、と」
慌ててバックを探り、財布の中身を確認する。
よかった盗られていない。
「あぁ、会計? いいよ、いいよ。こんな辺鄙なところまで寝ていたんだ。よっぽど悪い酒だったんだろう」
ちょっと待て。この駅員さん、良い人過ぎる。
普通だったらこんな独断、始末書レベルだろうに。
もしかして、これが田舎クオリティなのか。
「え、いいんですか?」
今月赤字だから助かったと思ってしまった。
「いいもなにも、若い女の子をこんな所に放り出すわけにはいかないよ。近くに旅館があるから、そこに泊まるといい。送迎のタクシーを呼んでくるから、ちょっとそこで待っていてくれるかな?」
「は、はい」
田舎の近くは、都会でいうところの歩いて30分ぐらいの距離だと大学の先輩が言っていた。
距離感や時間の感覚が違うから、そこらへんは注意したほうがいいと。
送迎タクシーを手配するあたり、かなりの距離があるのではないかと穿ってしまう。
改札の横にあるベンチをゆび指さして、駅員さんは行ってしまった。
取り残された私はベンチに座り、着衣の乱れがないか確かめる。
一応生物学上はメスなのだ。前後不覚で酔っ払ったところを、不逞の輩にナニされたか分かったもんじゃない。
「よしっと」
スーツにスカートは無事。ブラよし。パンツよし。ストッキングも破れていない。
正真正銘、私は無事である。そう納得するとしよう。
預かり知らぬところで動画を取られたとか、記憶がない間にボディータッチされたとか、そんな可能性はどうしようもないから考えない。
自意識過剰で結構。世の中は自分が思っている以上に、弱い者いじめが好きな人間が多いのだ。
「う、ううう……。酒がまだ抜けてない」
気が緩んだせいで、一気に全身が悲鳴をあげた。
胃のあたりがぎゅるぎゅると音を立てて、口の中がカラカラ。
なのに、下腹部に強烈な尿意を覚えてしまう。
「あぁ、君。連絡とれたよ。あと30分ぐらいでタクシーがつくならね」
報せに来た駅員に私は顔がひきつった。
やっぱり、先輩の言っていたことは間違っていなかった。
タクシーがここにつくのが30分後。つまり、ホテルに到着するのは今から1時間後ということになる。
歩いたらはたして何分かかるのだろう。
と、その前に……。
「す、すいません。ト、トイレ。トイレはどこですか?」
「トイレなら駅を出てすぐ横に併設されているよ。改札を今通してあげるから」
「あ、ありがとうございます」
私は礼を言うと、トイレにかけこんだ。
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トイレをすませて、洗面台で手を洗う。
和式のトイレは学生以来だった。勝手を忘れてしまい、用を足すのに苦労した。
しかも、公共の川の音が流れるトイレに慣れたせいもあって、自分の立てる音に激しい羞恥を感じてしまう。
天井に蜘蛛の巣があったり、電灯に蛾や羽虫が飛び回ったり、いろんな意味でカルチャーショックだ。
「はぁ、どうしてこんなところまで」
鏡の中で、さえない表情の私がもの言いたげに見つめ返してきた。
薬用化粧水だけをつけたすっぴん顔は、青くむくんで顔中にニキビが出来ている。
おまけに唇もひび割れて不健康そのものだ。
「お願いだから、早く治ってくれ」
ニキビに向かって私はぼやく。
肌の状態を改善したくて、化粧を我慢しているのに、私の意に反してぽつぽつとニキビが増えていく。
まるで、私の不満が反映されているかのように。
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