第10話 饗夜――深紅の蜘蛛群①

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第10話 饗夜――深紅の蜘蛛群①

 寝覚めは最悪だった。  そんな俺の気分を映してか、窓の外は澱んだ灰色で塗り込められている。  珍しく、朝の食卓には桐月と美耶子さんが揃っている。  桐月が大人しくしていたからか、美耶子さんもずっと考え事に耽っている様子で、ただ食器が触れ合う音だけが室内に響く。  江間絵はずっと元気がない。朝の挨拶を交わして以降、食後のお茶を飲む頃になっても、一言も口を開かない。  ふと、幼なじみが窓を凝視しているのに気付いた。  視線を追い、窓の外を眺める。  灰色の空に、白い何かが浮かんでいる。  中空に静止するそれは、片羽根だけの鳥のように見える。  だが、どこか歪だ。  上手く言語化できないそれを確認しようと形を目で追い続けていると、胸の奥に言い知れぬ不安感が滓の様に募ってゆく。 「来たよ」  不意に、突風が城の窓という窓を叩いた。  そんなはずはない。雲は流れていないのに。 「あれを見ちゃダメだよ、貴史! 今すぐ逃げよう!!」 「いいぜ、逃げろよ。そうすりゃ俺が全てを手に入れてやる!」  怯えきった声をあげ、俺に縋りつく江間絵を嘲笑う様に桐月が声を張り上げるが、語尾が微かに上擦っている。 「……私が愛するあの子を置いてゆく訳がないじゃない」  美耶子さんが固い声を絞り出す。  今やこの場にいる者全てが、魔女の来襲を確信していた。             §  地の底の、囚われの姫の部屋に、相続人たちが集まっている。  壁掛けのモニターなのか。縁を装飾し、魔法の鏡のようにも見えるそれには、先程の鳥のような物がぼんやりと映し出されている。桐月が城の各所に設置したカメラが捉えた映像だが、焦点を合わせないのは、視認し続けると精神に影響を受けてしまうからだ。 「間違いない。とうとう来てしまったようじゃの」  屍織姫には変わった様子は見受けられない。桐月達に犯されるときも、美耶子さんに虐げられるときも。  その微笑を浮かべさせる物が、諦観なのか達観なのかは理解できないが、それを見る俺の心は裏腹に、ざわめきを抑えられない。 「最初は……やはりそなたか」  異形を映すモニターの前に佇む姫に、桐月が歩み寄る。  美耶子さんは沈黙を守っている。  桐月が魔女を退ける事が出来れば、その時点で後継者が確定してしまう訳だが、彼には無理だと確信しているのだろうか。それとも、何とも知れない異形の存在と相対する事への恐怖からか。  俺自身、自ら名乗りを上げて、魔女とやらを追い払えば全てを解決できると理解している筈なのに、喉がからからに渇いて口を開ける事さえ出来ない。 「では問う。桐月・E・饗夜。そなたが着るのは黒い服か? 赤い服か?」  涼やかな声で問う姫に、無頼の男は腕を組み、顎を上げて傲岸不遜に謳い上げた。 「決まってるだろ。屍織、俺に赤い服を用意しろ! とびっきりいかした奴をな!!」  血を撒いた様に鮮やかに。  姫の髪が紅く染まった。             §  いつからそうしていたのか。ヒースの荒野に一人の少女が佇んでいる。  黒のゴシックドレスを身に纏い、金の髪を頭の左右で括っている。  相対するのは50人からの男達。皆赤い服を着込み、手には鋤や鎌、鉄パイプなど、思い思いの得物を携えている。どこから調達したものか、斧や長剣を持つ者まで見受けられる。 「魔女なんてご大層な名乗りで、どんなババァかと思いきや、なかなか見れる小娘じゃねぇか」  空に異形の影は無い。手勢の中であれを目にした者はいないはずだ。紅い軍服を着込んだ桐月はほくそ笑む。 「何の冗談だ? この程度の頭数であたしの相手をするつもりか?」  少女は顎を上げ無頼の群れを見渡すと、馬鹿にしたように鼻を鳴らしてみせた。  荒事とだけ聞かされていた男達は戸惑っているらしい。僅かにざわめき始めている。 「お前ら。ちょっと遊んでやれ。捕まえたら好きにして良いぞ」  桐月の煽りで前夜の狂宴を思い出したのか。好色な薄笑いを浮かべた男達がゆっくりと少女を取り囲む。 「いいぞ。最初から蹂躙も面白くない。肩慣らしに遊んでやるよ」 「気の強い女だな。啼かしがいがあるってもんだ!」  欲情を剥き出しで掴みかかる男たちを、踊るような優雅さで少女がかわして行く。  その度に地に倒れ伏す仲間の数が5人を数えた頃、男達は漸く自分の見積もりの甘さを悟り武器を使い始めるが、少女の身体に触れる事さえ叶わない。 「躊躇うな。手足を潰しても、楽しみ様はあるって事、昨日教えてやったろうが!」  桐月の煽りに応えるも、急所を狙わない足止め狙いの攻撃など、全て見透かされている。 「使えねぇ……手伝ってやれ」  苦々しげに舌打ちし吐き捨てた桐月に従い、左右に控えていた雷塔と左文字が前に出る。  既に20人近くが倒れているが、ここまでは想定の範囲内だ。  遺産相続人達の中で、桐月だけが前もって魔女の存在を知っていたからだ。  真っ当とは言えない取引を生業とし続けるうち、まれに常識を逸脱する存在や現象の噂に行き着く事がある。曰く、失われた古代の技術。曰く、異星よりもたらされた存在。  黒衣の魔女の話も、そのうちの一つだった。風に乗って空を渡る。放逐された生体兵器。廃棄され損なった試験体。最初に耳にしたときは下らない与太話と気にも留めなかったが、遺産絡みで調べ物をするうち、再び耳にする事になる。どうやら伯父は魔女の属していた組織か、あるいは魔女その者と接触していたらしい。  桐月が重視した情報は、魔女が見た目どおりの少女でしかないという事実。兵器としての恐ろしさは、異形の存在を目視しただけで刻まれたが、それを扱うのが小娘ならば、幾らでも付け入る隙がある。現に、桐月達が相手の実力を読み違えたと信じ込み油断しきっている。最悪、異星の生物の成れの果てだという、異形の残骸を相手にする準備も整えていたが、魔女を倒した後に、美耶子や小僧を相手にする事になる可能性を考えれば、手駒を温存できるに若くはない。  雷塔と左文字も苦戦している。人を大っぴらに殺せるという理由で、メキシコの地下闘技場で戦っていた経歴を持つだけあって、掻き集めた雑魚とは違い、攻撃に躊躇が感じられない。だが、左文字のナイフは魔女のドレスを切り裂く事さえ叶わず、雷塔の振り抜くハンマーは、避け損なった仲間を叩き潰すに留まっている。 「遊んでんじゃねえぞ。前払い分くらいは働いて見せろ!」
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