第4話 ラプンツェル①

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第4話 ラプンツェル①

 石造りの階段を下って行く。  地上の居住部分より古い年代の物らしい。  地下の酒蔵よりさらに深く。  ランタン型の電燈を持ち先導する叔母は、一言も発しない。  闇が質量を持って充満している。  まるで巨大な怪物の胎内に飲み込まれてゆくような。 「ねえ……これは本当に妖精譚の世界じゃない?」  不安そうな幼なじみの声。さっきから俺の上着の裾を掴んだまま放さない。  闇の底で待つものは、酒蔵のクルラホーン。戸棚の陰のブラウニー。   違う。そうじゃない。 『本物のお姫様だ!』  俺は知っている。 『閉じ込められてるの?』  この先には――。 『ここから出たい? それじゃあ、僕が――』  螺旋に廻る階段を、10mは降りただろうか。辿り着いた先には、穴倉にそぐわない、磨き抜かれた樫材の両開きの扉が控えていた。 「あなたは来ない方が良いと思うのだけれど」  面紗越しの美耶子さんの表情はわからない。けれど、重く陰鬱に響く声に、顔を向けられた江間絵は、小さく首を振って否やの意志を示した。確かにここまで降りてしまった以上、例え灯を渡されても、一人で来た道を戻るのはぞっとしない。  微かな軋みを上げ、重い扉が開かれる。  豪奢な絨毯が敷き詰められ、シャンデリアが煌めく部屋の中央で。  ドレスを着た美しい少女が、2人の男に犯されていた。  大柄な男が少女の華奢な腰を掴み、立ったまま激しく腰を打ちつけている。少女の足は床に届く事無く頼りなく揺れるがまま。上体を支えるため、もう一人の小柄な男の腰にすがり付いているが、その唇には男根が捻じ込まれている。  脳内の血が沸騰し、衝動が思考を凌駕した。  上着を掴んだまま固まった幼なじみの手を引きはがし、一気に間合いを詰める。  少女の口唇を犯していた小男の目が俺を捕らえ、淫蕩に濁っていた目が驚きで見開かれるが、遅い!  だが、駆け寄りざまに打ち込まれるはずだった俺の拳は虚しく空を切る。 「馬鹿か? 馬鹿なのかお前は?」  床を転がる俺に、嘲る声が投げ掛けられる。  血の味がする。口中を切ったらしい。  絨毯に這い蹲りながら、声の主を睨みつける。  だらしなく投げ出した足で俺の足を引っ掛けた桐月が、濁った目で侮蔑を注ぎながらソファから立ち上がった。  頭に血が上りすぎて、当然いるはずのコイツが目に入らなかった。  ウィスキーのビン片手のこの男は、男達に嬲られる少女を肴に呑んでいたらしい。上半身裸で、ベルトも緩められたまま。  あの男達の前に、当然コイツも――。  知る由もない事とはいえ、俺達がのんきに食事を摂っている最中、足元では陰惨な饗宴が催されてたって訳だ。  許されるはずが無い。猛烈に腹が立つ。自分にも、コイツ等にも、知っていたらしい美耶子さんにも。  口中に溢れる血を吐き捨て、激しい憤りのまま桐月に飛び掛ろうとした俺の背中に、大男の容赦ない一撃が加えられる。 「もしもーし? お前は話を聞きに来たんじゃねぇのか?」  再び無様に這いつくばり、呼吸さえままならない。 「ったく、年長者に対する礼儀も知らねぇのか、ゆとりは?」  頭髪を掴まれ、乱暴に顔を上げさせられる。  大男に踏みつけられ、身動き出来ない俺の顔を覗き込み、馬鹿にしたように笑う桐月。 「ナイト!」  声を上げる江間絵は、美耶子さんに押し留められている。  ニヤニヤ笑いを浮かべた小男が、バタフライナイフを手の中で躍らせながら近付いてくる。 「やめりゃ!」  凛としたソプラノに、その場にいる全ての者が動きを止める。 「その者はわらわの客であろ? 無礼は許さぬ!」  今の今まで凌辱の限りを尽くされていた被虐の姫君。  解放され背を伸ばし立つ彼女の、無残にして優美な姿に俺は目を奪われる。  紫水晶(アメジスト)の瞳は怒りで煌めき、自らの唾液と男の樹液で妖しくぬめる桜色の唇は、憤りで震えている。  露わにされた胸元は雪花石膏(アラバスター)の白。生々しく刻まれた凌辱の痕である、擦り傷や痣の赤や紫は、皮肉にもその白さを際立たせている。  豪奢なドレスは引き裂かれ、剥き出しの内腿には、吐き出された欲情の証である白濁の液が伝う。  なにより、豊かに流れる白金(プラチナ)の髪。シャンデリアに照らされ輝くその銀白の細糸の長さは、彼女の背を軽く凌ぎ。絨毯の上に幾筋もの流れを作り、床中を覆う螺旋模様を描いている。  痛ましくも艶かしい幻想的な眺めに、状況を忘れかけていた。  呼吸を整えた俺は、大男の足を跳ね除け、桐月達と少女の間に身を割り込ませる。 「最初から、話をするにやぶさかじゃねぇよ。そいつが頭に血を上らせただけだ」  立ち上がりながら、おどける様に肩をすくめてみせる桐月。睨みつける俺や美耶子さんにわざとらしく溜息で応えながら、男達にあごで指図する。 「雷塔(らいとう)! 左文字(さもんじ)! 前払いはここまでだ。そろそろ仕事に戻れ」  舌打ちを残し男達が退室すると、美耶子さんの手を振り払った江間絵が駆け寄り、震える手で俺の口元にハンカチを押し当ててくる。 「な、ナイト……ち、血が」  恐怖と混乱で舌が縺れているらしい幼なじみを気遣う余裕は、その時の俺にはなかった。  夢や幻じゃなかった。  本当にいたんだ、この城に。    まざまざと暴戻の痕跡を残した姿。それでも、高貴な生まれに裏打ちされた物であろう、気高さと淑やかさまでは散らされてはいない。  幼い頃の記憶の中の姿のままの姫君がそこにいた。             §  桐月から聞かされたのは、江間絵が好んで書き綴る、お伽噺の世界の話だった。  曰く、囚われの姫は城と不可分の遺産。  幾つかの約束を守りさえすれば、一族に富をもたらし続ける不死の存在。 「狂ってるって思うよなぁ? 俺も最初は鼻で笑った。何かの例え話かとも考えたが――」  酔いが醒め、代わりに全てを値踏みし嘲弄する光を宿した桐月の瞳が、美耶子さんに傅かれ身を整える姫――今は、屍織と呼ばれるらしい――をねめつける。 「何の捻りも無い! まさか本当に、文字通りの意味だったとはよ!」  爆ぜるような桐月の哄笑に、ソファの隣に収まる江間絵が怯えた表情で身を寄せてくる。 「彼女は死なないっていうのか?」
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