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 本社ビルにこんな場所があったとは知らなかった。もしかすると、ここはあの開かずの部屋ではないか。 「江戸時代から続いてる我社も順風満帆だったわけじゃない。何度も倒産の危機にあってる。最初は江戸時代のころだった。店が潰れる寸前まで追い詰められたそうだ。奉公人は暇を出し、店主一家は夜逃げを覚悟したという。ある夜のことだ。店主の夢枕に創業者が立ってお告げをした。人身御供を差し出せばこの災難は収まる。誰か選んで井戸に投げ込むがよい」 「ひっ人身御くうー。顧問、悪い冗談止めてください」  僕は訴えたけれど、カワカミ顧問は無視して話を続けた。 「それで、店主は人身御供を選ぶことにした。店主の家族は論外だ。では、奉公人の誰を選ぶか。店にとって働きの良い者は残しておかねばならない。となると、働きの悪い者だ。無駄飯食らいが一人死んで多くの者が助かるのなら、躊躇することない。で、店で一番働きが悪い奉公人を井戸に投げ込んだ。そのおかげだろう、店は見事立ち直った」 「そ、それは偶然じゃないですか。人身御供と店の立ち直りとは何も関係ないですよ」  僕の喉はカラカラに乾いていた。背中を汗が伝い落ちる。 「しかし、この話は代々万年家に言い伝えられて、商売が危機に瀕したときには実行されて来たんだ。で、その度に危機を切り抜けることができたんだから偶然じゃないだろ」 「じゃあ、バブルが崩壊したときも……」 「ああ、成績不良の社員に犠牲になってもらった。おかげで我社は安泰だ」 「明日僕はアメリカに行くんですよ。飛行機に搭乗しなければ怪しまれますよ」 「そう、マツシタと名乗る者は飛行機に乗る。それで、ロサンゼルスに行く。でも、当地に着いて、営業所に行く途中で行方不明になる」 僕の身代わりを立てるということか。用意周到なんだな。  ふと疑問に思った。なぜ僕が目を覚ますのを待ってこんな話を聞かせるんだろう。眠ってる間に始末しておけば、手間が掛からないのに。そう僕が口にすると、社長が答えた。 「私たちはマツシタさんに恨みはない。寧ろ感謝の気持ちを持ってるんだ。君のおかげで多くの社員とその家族が助かるんだ。有難いことだと思ってる。だから、そんな人が眠ってる間に、物を捨てるように井戸に投げ込むなんてできないよ。せめて自分が死ぬ訳を知ってもらいたいんだ」 「そろそろ井戸に落ちてもらわなければ。この井戸は落ちれば、死体は浮き上がってこない。不思議なことなんだが」  カワカミ顧問が言った。 「嫌だ!」  弾けるように、僕は椅子から立ち上がろうとした。が、強い力が腕を掴んだ。後ろに人がいたんだ。運転手のカキタを忘れてた。カキタは僕の腕を捩じり上げ、井戸に向かって僕を進ませた。抗おうとするけど、カキタの力は強力だった。僕は井戸まで連れて行かれた。  井戸は僕を飲み込もうと、真っ黒い口を開けていた。  
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