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第十二話 どろぼうとこども
早足で校門をくぐり抜けた私はさっきの出来事を思い返していた。
近藤さん。
近藤さんには悪いことをしてしまった。てっきり自分勝手に私に助けを求めてきたんだと思っていたけど、本当は違ったんだろうか。
私が『たすけて』と言ったから、近藤さんは助けようとしてくれたんだろうか。
でも本当に覚えがない。意識を手放す前に言ったことなのだから仕方がないんだろうけど、それだけ私が意識の底で助けを求めていたということなのか。
だけど助けるって、どうやって?
どんなに気持ちが大きくても私達はまだ子供だ。
お互いが子供ならばできることなんて限られている。精々、話を聞くことぐらいか。
私はカウンセリングとかいうものにひどく懐疑的なので、話を聞くという行為で心が軽くなるとは思えない。心を軽くするためには実際に行動するしかない。実際に行動。
つまりはお金だ。
大人の加護がなくても暮らしていけるだけのお金。
それか、法的な手続きをとれるだけの立場・知識。
子供を縛っている親から引き離すための具体的な案は、やさしく頭を撫でることでも話を聞いてあげることでもない。それぐらいで離れるのなら、そもそも縛られているとは言えない。
そう考えると、昨日の阿知良さんの提案は私の考えと似ている。あの人は大人で、よく知らないけど私よりはお金を持っているだろう。母と離した後、私の暮らしをどれぐらい支えてくれるつもりだったのかは知らないけど子供が言う「助けたい」よりは現実味があった。
元々、子供は弱い生き物。もう自分は子供ではない、中学生なんだから、と思い込もうとしているけれどそれでもやっぱり私は子供なんだ。
その証拠に、学校を早退した私が行くアテは母の待つ自宅しかない。友人の家に泊めてもらうとか、インターネットで泊めてくれる人を探すとか、そういう手段をとっても一時しのぎにしかならない。
本当に助け出して欲しいなら、児童相談所に駆け込んで法的手続きをとって転校して孤児院にお世話になるしかない。親戚が居る人ならそこに身を寄せてもいいかもしれないけれど、残念ながらウチには頼れる親戚もいない。そもそも親戚づきあいがない。
こんなことまで調べているあたり私は、近藤さんの言うとおり助けを求めているのかもしれない。
「そうなの、かな」
ただ私は自分の現状をちゃんと把握したくて調べただけだ。別に今の生活に不満なんてない。たとえ今の暮らしより良い状態があると知っていても。なぜならば、そこには母の姿がない。父の姿も、もちろんない。
父も母も居ない暮らしなんて、私にとっては全然シアワセじゃない。もし生活面で我慢を重ねることで両親をつなぎ止めることができるのならば、私は時々不満を感じることがあっても耐えてしまうんだろう。
子供と大人の関係。
子供と親の関係。
簡単じゃないよ、単純じゃないよ。
正しい理解なんて、できない。
「ふぅ」
気がつくと、私は昨日幾名ちゃんに出会った公園にいた。昨日とは時間帯がちがうからか、子供たちの姿はまばらだ。改めて毎日通る公園を眺めると、なかなか良い環境だと思った。広い敷地内にジャングルジムやブランコが適度な距離を保って存在している。どこからお金がでているのか知らないけど、塗装も綺麗だ。よくあるさびれた公園ではなく、人が集まる理由も分かる。私は誰も座っていないベンチをなんとか見つけるとそこに腰掛けた。余り物のベンチには太陽の光がこれでもかと差し込んでいたけれど、仕方がない。多少日焼けしてしまっても、今は家に帰りたくない。眩しさに眼を細めながら公園の状態を観察する。
子供同士で遊んだり、ママとも同士で会話を楽しんだり、スーツ姿の男性がサボったり、女性が落ち込んだり、あんまり目線を合わせたくない人がウロウロしたり。
皆、呑気だなぁと思う。不自然な時間に制服姿の私が公園に居ても、誰も気にしていない。これが繁華街ならばきっとすぐに補導の手が入るだろう。ここは都会から程良く離れた住宅街だから、時々ヘンな人もいるけれど大体がみんなお互いのことに無関心。
そこが良いところだと、私は今まで思っていた。
「えっ」
自分の眼を疑う。
眩しさのせいで眼を細めていたから見間違えたかのかもしれないと思って何度も瞬きをする。それでも、目の前の光景は変わらない。
「ちょっ、ちょっと」
私は慌てて重たい鞄をつかみ、ベンチの裏へと移動する。身を隠すような真似をするのは、今の私を見られたくない人物が砂場にいたから。
一人は、昨日出会ったばかりの幾名ちゃんとお母さんの阿知良さん。
幾名ちゃんは砂場に座って、砂のお城を造ることに夢中になっている。阿知良さんは昨日とは全く違うふんわりしたワンピースにゆるふわパーマをハーフアップにして、娘の手伝いをしながら隣に立つ人物と親しげに話をしている。
隣に立つ人物。
すらりと背が高いけれど痩せこけた黒いスーツ姿が平日の公園にアンバランスだ。でも私は気が付いてしまった、その人物のスーツと昨日阿知良さんが着ていたスーツとは同じ色だと。黒いスーツなんてどれも同じかもしれないけれど、私には分かる。
だって阿知良さんの隣にいるのは見慣れた人物だったから。最近は、姿を見ていないけれど。
「お父さん」
ポツリと呟いた言葉は、もちろん相手に届かない。
阿知良さんの表情はとても明るく、幾名ちゃんも同じ。そしてなにより私がショックだったのが父だ。
私の記憶の中の父はいつも口を閉ざして母に責められているか、ぼんやり仏壇を眺めているか。そんな無口な父が私は好きだったから、たとえ話をしなくても隣にいるだけで満足だった。ぼんやりしている父の隣でアイスを食べたり本を読んだりするのが私の幸福だった。
だから、こんな太陽の光の下で笑う父なんて見たことがなかった。
私達には見せたことが、ないのに。
あの人やあの子には見せるんだ、お父さん。
「あっ」
すごい勢いで視線を送ってしまっていたんだろう。お互いの話に夢中になっていた阿知良さんと父は気が付かなかったみたいだけど、幾名ちゃんには気付かれてしまった。
「きりねえちゃんだ!」
ベンチの裏に潜んでいた私を見つけた幾名ちゃんは、まるで友達を見つけたような声色で私を指さした。阿知良さんはわかりやすくイヤそうな顔をする。父の表情は、よく分からない。確認する前に逃げ出してしまったから。
「あっ、待ってよぉ」
幾名ちゃんが追いかけようとしたところを、阿知良さんが止めた。昨日の追いかけっこの逆をやらかすところだったので少しホッとする。
公園の出口にたどり着いて後ろを振り返ると、なんと父が私の方へ歩いて来ている。ひょろひょろの姿でサクサクと地面を踏みしめて歩く父の足取りは段々早くなり、私はなぜか走り出してしまった。別に父から逃げる理由なんてないはずなのに。
おい、という父の言葉が聞こえた気がしたけれど無視する。父から逃げる理由はないけれど、父から聞きたくないことはある。
「はぁ、はあ……」
それは父の口から、幾名ちゃんが自分の娘であると聞かされること。
本当に望まれて生まれたのは幾名ちゃんで間違いで生まれたのが私だと、父の声で聞くこと。
それだけは、いやだ。
私はこんなに父のことが好きなのに、それが絶対報われないものだと知るのはいやだ。今だって別に報われているわけじゃないけど、それでも『お父さんの娘』は私だけだ、ということが私の拠り所になっている。もしお父さんに娘がもう一人いたならばきっと私なんて、こんなに歪んでいて友達もいなくて髪もサラサラじゃない、かわいくない私なんて捨てられるに決まっている。
そんな確信が、私にはあった。
今日までの暮らしの中で、私がそう思うようになった根拠は山のようにある。
「喜理!」
父の声が聞こえた。
昨日と違って私は追われる側だ。ちゃんとした距離が掴めないぶん追いつかれるんじゃないかという恐怖も増す。幾名ちゃんが泣きながら逃げていた理由も、今は分かる気がする。これはかなり、こわい。
「おい、待ちなさい」
肩からかけた鞄の重みが私の逃走を遮る。次第に足取りは重くなり、ついに父に捕まってしまった。
「どうしたんだ喜理。逃げ出したりして」
「どうした?」
どうしたはこっちの台詞だ、と思う。また何週間も勝手に家を空けておいて。
「お、お父さんこそ、どうしたのよ。最近家に帰ってないじゃない」
「さ、最近は仕事が忙しくてね」
わかりやすく眼が泳いでいる。でも、私も言われたくない言葉を聞いてしまわないように目をそらしているから、全くおかしな親子だと思う。
「ふーん」
「まぁ、なんだ。その、そうだお前学校はどうした」
「今日は午前中までなの」
「そうか」
なぜ信じる。よほど素直なのか、私に興味がないのか。
「じゃ、ちょっと喫茶店でも行こうか」
「えっ」
「予定でもあるのか?」
「ない、けど」
幾名ちゃんたちは放っておいていいのか、と聞きたいけれど喉からでてこなかった。
「じゃあ、行こう」
父は私の手を取って歩き出した。父と手を繋ぐなんて何年ぶりだろうか。
「いいから」
とても嬉しかったけれど、私は恥ずかしさに負けて手をふりほどいてしまう。
父は私にふりほどかれた後、特にもう一度繋ごうとはしなかった。
前を歩く父の後ろを、私は無言で着いて行く。
「喜理、鞄持とうか」
「え、いいよ。なんで?」
「重そうだから」
「大丈夫だから」
なにそれ、気持ち悪い。今まで散々私のことなんて無視していたくせに、今頃になって『良き父親』アピールなんて気持ち悪い。私にここまで遜るということは、今からよっぽど悪いことを聞かなければならないんだろうか。
なにもなければ嬉しいはずの父の優しさが、もうすぐ冷たく突き放されるんじゃないかという恐怖にすり替わっていた。
「ここだよ」
指さした喫茶店は以前、家族三人で来たことがある所だった。
「懐かしいね」
「この辺りで喫茶店と言ったら、ここしかないからな」
父が迷いなく扉を開けると、玄関に備え付けられていたベルがカランと鳴る。
私にはそれが、重い罰の宣告のように聞こえていた。
***
父が頼んだコーヒーと私が頼んだオレンジジュースがテーブルの上に運んだ後、若い女性ウエイトレスはそそくさと店の奥へ消えた。
まぁ、平日の午後に制服の女子とスーツのおじさんが喫茶店で向かい合っているんだから、ムリもないと思う。私はあまり父に似ていないし、なにより今はかなり警戒しているから親子には見えないだろう。
「パフェでも頼めば良いのに」
「晩ご飯、食べられなくなるでしょ。お父さん」
チラチラとこちらを覗いているウエイトレスを安心させるためも、わざと大きな声で父をそう呼ぶ。それを聞いたらしいウエイトレスは顔を引っ込めた。
「確かにな。でも、その晩ご飯はお前が作るんだろう?」
「そうだけど。お母さん、ちょっと体調悪いし」
主に、お父さんのおかげで。
「俺のせいで、か」
おっと、心の声が漏れてしまっていたんだろうか。
「ここのところ仕事が忙しいのは本当なんだ。家に連絡できなくてすまない」
「本当だよ。連絡ぐらいしてよね。それだけで、お母さんは安心するんだから」
どんなに浮気をされても、結局のところ母は父のことが好きでたまらないのだ。だから携帯電話が震えないことにとんでもなく落ち込む。その原因が、本当に好きだからなのか身内を心配する気持ちからきているのかそれともただの所有欲かは、わからないけれど。
「喜理はホント、お母さんのことが好きなんだな」
「好きだよ」
もちろんお父さんのこともね、と心の中で呟く。今度は漏れていないようだった。程良く冷めたコーヒーに口をつける父。
「最近、学校はどうだ」
「別に、普通だよ」
「友達はできたのか」
「うん」
「勉強はついていけているか」
「うん」
「そうか」
こんな会話をするためにわざわざ喫茶店に誘ったわけではないだろう。できるだけ先延ばしにしたかったけど、ドキドキしたままの時間がこれ以上長引くのもイヤだ。水滴のたくさん浮かんだグラスに手をつけてオレンジジュースを一気に半分まで飲んで、私は切り出した。
「ねえお父さん、さっきのはどういうことなの?」
「さっきの?」
「とぼけないでよ。さっき、いっしょにいた女性と子供のこと」
「ああ、彼女たちは」
「昨日、家に来たんだけど」
あっさりと関係性を暴露しそうな父の言葉を遮る。さっさと現実を見た方がいいのは分かっているけれど、それでも足踏みしてしまう。
「えっ」
「あの子供。お父さんの、お父さんの子供だって、言ってた」
言った。
言ってしまった。
言われて傷つくづらいならいっそ私の方から言ってやろうかと思っていたけれど、実際口に出すと信じられないぐらい語尾が震えた。お腹も痛い。さっき一気のみしたオレンジジュースが間違いなく胃の中で暴れている。きっと、今日のことを思い出して私は今後いっさいオレンジジュースを飲むことが出来ないだろう。
「あははははは」
父の笑い声が喫茶店に響く。
私にはその意味が分からずに呆然としてしまう。
「面白い冗談だ」
「冗談?」
「俺の娘は喜理、お前だけだよ」
その言葉。
父のその言葉を、私は今までどんなに求めていたのかきっと彼は知らないだろう。
「どういう、こと?」
ひとしきり笑ったあと、やっと父は話し出した。
奇妙な親子の話を。
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