第十五話 どろぼうをやめるひ

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第十五話 どろぼうをやめるひ

「きりねえちゃん」 「なぁに、幾名ちゃん」  休日の昼下がり、私は公園にあふれかえる子供達の中のその一人として存在していた。幾名ちゃんは砂遊びがお気に入りのようで、私は彼女がつくる泥団子にかけるためのサラサラとした砂を探していた。  チラリと横目で木陰のベンチに座る三人を盗み見る。  父と母と、そして幾名ちゃんのお母さん。菜々子さんはスーツ姿ではなく、父といたときのワンピース姿で母にしきりに頭を下げている。やはりあのときの黒いスーツは父とお揃いらしい。と言っても、同じ故郷の店で買ったと言うだけで意図して揃えたわけではないんだとか。  広い目で見れば三人は親戚同士だと言えるだろう。菜々子さんが去り際に私に言った「幾名は私の妹」というのもまた広い目で見れば間違っていないだろう。正式には妹じゃないけど、もう妹みたいなものだ。  もう断片的にしか聞こえなくなった大人の会話を繋ぎ合わせると、菜々子さんは父の援助だけでは足りなくなったらしく幾名ちゃんの言っていた性質のよくない背の低い男と関係を持っていた。暴力を振るうものの菜々子さんに惚れていたその男は結婚を迫った。その男の故郷へ行くことを条件として。そこは菜々子さんが住んでいる場所から随分遠く離れたところだった。ただでさえ水商売からの結婚というだけで白い目で見られるだろうに、それが見知らぬ地・見知らぬ人間ばかりに囲まれたならどれだけ不安だろう。しかも、味方になってくれるはずの存在はいつ爆発するか分からない爆弾のようなもの。菜々子さんは耐えられなくなって家出をしたらしい。その時にはかなりノイローゼになっていて「自分は正苗さんの妻」という妄想がすべてを支配していたらしい。それをそのまま自分の娘に伝えるものだから、幾名ちゃんは宿泊先のホテルから勝手に抜け出して写真で見たことのある私を見つけて、私を示す聞き慣れた言葉を発したのだ。 『どろぼう』と。  分かってしまえばなんだそんなことか、という印象。  そりゃあこれからも幾名ちゃんには大変なことがあるだろうけど、父と実際に言葉を交わして正気を取り戻した菜々子さんなら頑張れると思う。  無責任かもしれないけど、一度は私を道具として利用しようとした人だ。こうして応援しようと気になっているだけでも大した心の広さだと思う。親戚じゃなかったら、無理かもしれない。  父の助けもあり、菜々子さんはその男と縁を切ることを約束してくれた。経済的に厳しい状況は続くけれどきちんと働いて、行政にも助けを求めると言う。驚いたことに菜々子さんは今まであまり役所に行ったことがないらしい。そういった常識的なことを学ぶ前に、男性の相手をしなければならないような環境だったようだ。  菜々子さんのことはあんまり好きではないけれど、お腹に宿った幾名ちゃんを殺さずに育て上げようとした気持ちは尊敬している。私など、もしも間違いで子供を宿してしまったら殺せばいいと単純に考えてしまっていた。恥ずかしい。本当に体に新しい命が宿ったならば、それは単純な問題ではないんだろう。  私のこういうところを見て、あの子は『頭でっかち』だと言ったのならば本当に頭が上がらない。 「きりねえちゃん、見てコレ!」  そう言って無邪気な笑顔を見せる幾名ちゃん。この子みたいな子供を、生まれる前に殺してしまうなんて。私にはできそうにない。そうして菜々子さんも、できなかったんだろう。 「わぁ、綺麗だね」  私は幾名ちゃんから泥団子を受け取って、そっと砂場の縁に置いた。 「上手にできたね」 「うん!」 「じゃあ、そろそろ手を洗っておいで」  菜々子さんから預かっていたカラフルなハンドタオルを渡す。それは幾名ちゃんお気に入りのものらしく、私から奪うようにタオルを受け取ると幾名ちゃんは手洗い場所へ駆けていった。私もその後ろをゆっくりと着いて行く。私も手を洗おう。これから大事な写真を撮るんだから。  幾名ちゃんは、菜々子さんと見知らぬ誰かの子供だ。話を聞くところによるとおかしくなっていた父にかかれば第二・第三の幾名ちゃんが居そうだけれど、菜々子さん曰く父は避妊だけはきちんとしていたらしいから今はその可能性は考えないでおく。  避妊をすればなにをしてもいいというわけでもないけれど、避妊しててもできるときもあるというけれど、まぁもしそんな事態になってもその時はもう二回目だから一応の心構えはできている。できれば、そんな心構えは使わないでいたい。使わせないでほしい。そこはもう、父を信じるしかない。 「喜理」  名前を呼ばれて振り返ると、三人が私達を手招きしていた。 「幾名ちゃん、行こう」  水で遊ぶことに夢中になっていた幾名ちゃんの両手をしっかりと彼女のハンドタオルで拭いて、私は手を引いた。  彼女が望んだような桜の木の下ではないけれど私の髪の毛は朝から母が頑張ってくれたおかげで見事な編み込みによってバッチリ決まっているし、服装も昨日のアイロンがしっかり効いている。休日なのに制服を着ていることに違和感はあるけれど、幾名ちゃんが望むのだから仕方ない。かわいい妹の願いならそれぐらい、聞いてあげようと思う。父も母もそして菜々子さんも少しだけおめかしをしていて、三人の前には見知らぬ男性がいた。男性の横には、子供を抱えた若い女性。きっと奥さんだろう。ありがとう、貴女の夫を貸してくれて、と心の中で感謝して私と幾名ちゃんは皆の所へと急いだ。 「はい、撮りますよ」  見ず知らずの男性はとても明るい声で音頭を取ってくれた。見知らぬ家族のためにそんなサービスをしてくれる人もいるのだ。きっとあの家族の未来は明るいだろう。  向けられたデジタルカメラは以前、中学校の入学式で活躍したものだ。あの時のカメラが、あの時とは違う家族のカタチを記録しようとしている。  私は奥歯をかみしめて、緩みそうになる口元を引き締めた。  自然な笑顔で、記録に残ることができるように。  何年後かの私に、今のシアワセが伝わるように。 ***  それから程なくして、菜々子さんと幾名ちゃんは故郷へと帰っていった。きちんと悪い男との縁が切れるかどうか不安だったけれど、一度家出をしたことで相手の気持ちも離れていたらしい。とくに泣き言を訴える電話もないから、きっとうまくいったのだろう。  私は変わらず学校に通い続け、母は一度辞めていたパート勤務を再開した。父が毎日帰ってくるようになったことが、今までとは変わったことだった。お給料は減ったのかもしれないけど、母のやりくりの賜物か私にはあまり感じられない。  父が毎日、家にいる。  その当たり前が、たまらなく幸福だ。  私は無事に進級し、クラスメイトともよく話すようになった。まだ放課後の時間を共にするほどの仲にはなっていないけれど、いつかそうなればいいと思う。  だけど最近、クラスが不穏だ。進級後も変わらずクラス委員長をしている近藤さんの発言力が段々弱まっている。近藤さんの事情はよく知らないけれど、皆が言うにはクラス内で伝達すべきことをすっかり忘れていたり、配布物を置きっぱなしにしたりと委員長の仕事を疎かにしているらしい。確かに授業中もぼーっとしているし、休み時間は寝てばかりだ。そんな近藤さんの姿を見て好き勝手なことを言うけれど、近藤さんはそのどれにも反論しなかった。反論しないから、噂はどんどん広まっていく。  そんな状況を心配していたけれど、私と話すときの近藤さんの態度はいつもと変わらなかったから特に重要な問題とは思っていなかった。  きっと勉強のしすぎで寝不足なんだろう、というその程度の認識だった。  いつものように一人の帰り道、あの公園でベンチに腰掛けて泣いている近藤さんを見るまでは。  私は以前、自分が普通の家庭の女子中学生だったならばきっと近藤さんの力になれるよう頑張るはずだ、と思った。その時は自分のことを普通じゃない家庭の女子中学生だと思っていたから、そこからなにも動かなかった。  でも今は、自分は普通の家庭に育った女子中学生なんだと思える。なにを『普通』にするかは人それぞれだろうけど、弱い父もしたたかな母もそして頭でっかちな私もそれが元々の性分で、それが普通なのだ。  それこそ、どこかの誰かが決めたテンプレートな『シアワセカゾク』に当てはめる必要なんてない。当てはめないことは逃避でも嘘つきでもない。  ひとつの、理解の形だ。  だから、当てはまらないことで落ち込む必要もない。きっとアットホームなドラマ世界の家族にも色々な問題はおきるだろう。テレビではそこを意図的にカットしているだけだ。両親がいたってシアワセとは限らないし、一軒家に住んでるからってシアワセとは限らない。  シアワセナカゾクは、心ひとつで手に入る。  目の前の幸せを歪なままでも素直に受け取ることが出来たのなら、きっと『普通じゃない』人はいなくなるんじゃないだろうか。  私は幾名ちゃんという存在を知ってから、今まで以上に家族について考えた。考えて考えて、気を失うこともあった。結果的に父の本意や優しさ、それに母の強さも知ることができたからよかったと思う。  歪な家庭環境だった私達だけど、これから新しく軌道修正していければいい。    私は、どろぼうのこどもなんかじゃない。    父と母の、子供だ。  誰かの何かを奪って生きているんじゃない。  二人から与えられて、生きている。  普通の子供だ。  女子中学生。  だから。 「近藤さん」  私は公園に足を踏み入れてすすり泣く彼女に声をかけた。センスのないニックネームではなく、彼女の本名で。 「どうしたの?」  涙に濡れた顔を上げた近藤さんの顔が、なぜか幾名ちゃんの表情に重なる。その時に、私の耳にも届いた。  近藤さんの『たすけて』が。  ……いいよ、助けてあげる。  近藤さんは私を助けようとしてくれたから。私はその手をとらなかったけど、ひとつのきっかけにはなった。こんな頭でっかちの私でよければ、力になりたい。  お金はないけど、気持ちはある。  そんなもの何の意味もないと思っていた頃の私とは違う。  普通の子供が、親に愛されたいと思うのは当たり前の感情。  普通の子供が、友達の助けになりたいと思うのは当たり前の感情。  私は、当たり前に生きていく。  私の家族と、友達と。 
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