第二話 どろぼうのかぞく

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第二話 どろぼうのかぞく

「きりねえちゃん、どこいくの?」 「幾名ちゃんみたいな子が行くところだよ」  ちょっとそこのお醤油とって、と朝ご飯の席で家族に話しかけるときのような気安さで私の手を握ってきた幾名ちゃんと一緒に、私はとりあえず交番を目指していた。  色々と腑に落ちない事ばかりだけれど、とりあえずこうやって関わってしまった以上あのまま放り出す事なんてできないし、交番にでも連れて行っておけば安心だろうという考え。  それに、さっき彼女が言っていた言葉を辿ると彼女の母親は私の事を知っているのかもしれない。 ひょっとしたら、私が知らないだけで幾名ちゃんは親戚なのだろうか。だとしたら、ここで彼女を放り出して後々親戚が集まる場で『あの時つめたくされた』なんて言いふらされたくない。  親戚からの評価なんて気にする必要はないのかもしれないけど、私にとっては重要だ。  私の家庭の事情は少々複雑で、まだ中学生の私に両親はすっかり全てを話してくれるわけではないけれど『まだ中学生』だからこそ、周囲から漏れ聞こえる部分が多い。  私の父は、少し困った人なのだ。  うんと昔はそうでもなかったみたいだけど、あんまり覚えていない。  きっかけは確か五年前に祖父がしばらく行方不明になった後に半分腐った状態で帰って来てからだったように思う。  祖父のことは家の中で最大の『聞いてはいけないこと』に分類されるので詳しいことは知らないけれど、他殺か自殺かさえ分からないような山奥で発見されたらしい。  悪い仲間に騙されたのかそれとも自ら選んだものだったのか、半分腐った冷たい祖父はなにも教えてくれなかった。人知れず死んでしまった祖父を目の当たりにして、父は『困った』状態になってしまう。その『困った』具合は生活面、金銭面、そして最も色事にも及んだ。  私が中学生らしからぬ言葉を好んで使うのは、そんな煩わしい現実から目を逸らすために本の世界に逃げたからだ。  特に中学生になってからここ最近まで、家の中が荒れない日はなかった。  そんな状態のウチを周りは持て余していて、たまに遊びにくるおじさんやおばさんはソワソワと用件だけ伝えてすぐに帰ってしまう。最初の頃に持ってきてくれていたお土産も、すぐになくなった。逆に母が『お土産』と称して帰り際に何かを渡す始末。  それは私が滅多に食べることのできない高級なお菓子だったり、使い道のよく分からない珍しい調味料だったり。  父のせいで、とはあまり思いたくはないけれど。  私たちがある一定の期間、親戚から援助を受けていた事実は変わらない。  金銭的にも、精神的にも。  不安定な父を抱えた縁野家にとって、親戚の繋がりはライフラインそのものだった。その親戚とはもっぱら母方の知り合いで、父方の親戚は遠く離れた北の大地に住んでいるから助けを求めることも出来ないんだとか。  私も、心のどこかでそれを感じていたのかもしれない。生命線に嫌われないように知らず知らずのうちに『良い子』を演じてしまうようになってしまった。  その反動が、学校での無口&仏頂面。  社会にでるまでにはどうにかしないとなあ、と思うけれども休み時間に好きな作家の小説を読める今の現状はなかなか変えられない。  いや、できれば積極的に変えたくはないのだ。  どうせ、家に帰れば帰らない父を待つ母に対して最大限に気を使う時間が待っているわけだし、せめて学校にいる間ぐらいは気を使わずにのびのびしていたい。  その結果が、よく言えばクール、悪く言えば暗い奴だとしても私は別にそれでよかった。  だって、学校の友達が私の生活になにをしてくれるというの?  そんな人たちに向けて心を砕くぐらいならば、具体的に私たちに援助をしてくれる親戚に気に入られるよう立ち振る舞う方が良い。  そんな日々を過ごしているから、万が一彼女が親戚の子であった場合に「あの時、助けてくれなかった」と告げ口されたくないのだ。  良い噂を築くために数年を通して努力を重ねても、たった一度の悪い噂で全てが吹き飛んでしまうから。  そんな経験はもう飽きていた。  用心に、こしたことはない。  すこしだけずるい気持ちを抱え込んで、私は彼女の手をひいて歩く。 「幾名ちゃん、どうしてここにいるの?」 「おかあさんと来たんだよ」 「じゃあ、おかあさんと何をしにここにきたの?」 「おかあさんが知ってるよ」 「じゃあ、おかあさんは何をしているの?」 「知らない」  道すがら、できるだけ情報を引き出そうとしたけれど何かを聞こうとするたびに遮られた。わざとなんじゃないか、と思うぐらいに。 「あし、痛い。きりねえちゃん」 「もうちょっと我慢して」  目的の交番まで、あと少しだ。  全く、折角授業が早く終わった日だというのに厄介事に巻き込まれてしまった。  でも、もうそれも終わり。 「ほら、あそこだよ幾名ちゃん」  やっと見えてきた交番を指さす。  背の低い太り気味の警察官が私たちに気がついたらしく、こちらに向かってくる。  これで子守りもおしまいか、と思って緊張がゆるんでしまった。 「やだ」 「えっ」  簡単な拒絶の言葉を残して幾名ちゃんは私の手をするりとすり抜け、交番に背を向けて今まで歩いて来た道を走り出てしまった。 「あそこ、やだ!」 「ちょ、ちょっと待って!」  別に追いかける義理もないけれど、一度駆けだした足は止まらない。  私たちに視線を向けていた警察官が首を傾げている。不思議そうな顔をする前に一緒に追いかけてほしいと思った。  父の関係で、警察官にお世話になることは多かった。  お世話になる原因はあまり誉められたものではなかったということもあるけれど、私の彼らに対する評価は限りなく低い。  まあそれも、父が悪いと言えばそれまでなんだけど。  どんなに父が社会的見て悪いことをしているのか、私はきちんと理解しているつもりだ。  お酒をたくさん飲んで知らない人と喧嘩をしたり、大きな声をだしたり、人を騙してお金を得ようとしたり。  父は最低な人だ。  守るべき母や、自分で言うのもなんだけど子どもである私のことなんてひとつも考えちゃいない。いつだって自分勝手で、他人の入り込む余地もない。  血のつながりでさえ、そこには入り込めない。  もちろん、私も入れない。  入れないと知っているのに、私はどうしたって父のことを嫌えないのだ。  ああ、もう本当に面倒くさい。  出口の見えない思考を振り払うように、私は身体を動かした。スタートの時間に差があると言えども、幾名ちゃんはまだ子ども。追いつけない距離ではない……はずだった。 「やだ! やだー!」 「待って、待ってってば……」  まずい。  私、こんなに運動音痴だったのだろうか。  幾名ちゃんとの距離は確実に縮まっているものの、すばしっこく不規則に動き回る彼女をなかなか捕まえられずにいた。動きが読めない。  肩からかけたスクール鞄が食い込んで痛い。私は教科書を学校に置きっぱなしにする主義ではないので今日の一限から五限までのすべての教科書が私の肩にかかる。 「いやなの!いやなの!」 「もう、ちょっといい加減に」  段々苛立ってきた。  どうして私が見ず知らずの子どものためにこんなに息を切らしているんだろう。  もうこのまま足を止めて、幾名ちゃんの後ろ姿を見送ってしまえば今日のこの妙な縁は切れる。こんな、私にとってなんのメリットもない関係なんて切ってしまうべきなんだろう。  だけど、私は足をとめなかった。  さっきまでの短い時間で彼女に情がうつったのだろうか。  そんなに感傷的な人間ではないと思っていたけど、自分でも意外だ。  小学生にして人との関係に気を使いすぎて疲れ切ってしまい、中学校では徹底的に人との関わりを避けている私が、一体何をしているんだろう。  自分でも気がつかないうちに、子ども好きにでもなったのかもしれない。  でも失礼だけど、幾名ちゃんは誰もが守ってあげたくなるような容姿をしているわけじゃない。どちらかというと中性的で生意気な印象を受けるし、私もそう思っていた。  私が彼女に執着する原因はきっと、出会い頭の『どろぼう!』の一言だろう。  私が、他人に『どろぼう』と言われる日が来るなんて。  父が他人にそう言われる場面には何度も出会ったことがある。  だからこそ私は他人にそう言われてしまわないようにいつだって最新の注意を払ってきたんだ。気を使いすぎるほど使って、誰に対しても優しく、そして平等に。  接してきた、つもりだった。  蛙の子は蛙、だなんて言われないように。  その言葉は私が他人に言われたくないことのかなり上位にランクインしている。  蛙の子は、蛙。  そう言われてしまうと私は本当に立つ瀬がない。  私は確かに、父の子どもだ。  父という『カエル』の『オタマジャクシ』で、いつかは『カエル』になる。  そんな揺るがない部分を捕まえて振り回すような真似をされたくない。されたくないけど……されても、文句は言えないのだ。  父を庇うことはもはや身内にしかできない。身内の私だって、できれば庇いたくない。  でも、庇わずにはいられない。  うんと昔、穏やかにやさしくして貰った記憶が私に残っているから。それと同時に、父のしていることは女性を惑わす最低男だという理解もあるから。  だから、『どろぼう』呼ばわりされることについては諦めている部分がある。言われたくはないけれど、言われても仕方がないかな、というような。そういう諦めの念からくる従順さは、ここ数年で身につけたものだった。でもそれも、実際に父からひどいことをされた人から言われることなら、だ。何にも知らないくせに人を『どろぼう』と呼ぶなんて。  納得いかない。  きちんと説明して貰いたい。  幾名ちゃんに聞いても分からないのなら、そのお母さんに説明して貰いたい。  もしかしたら、幾名ちゃんのお母さんは本当に父からひどいことをされたのかもしれない。その結果、自分の子どもに「あの男のこどもはどろぼう」とまで言ってしまうようになったのかもしれない。  これは、私の推測。  でも、大体合っているだろう。  今までも、そうだったんだから。  どこまで行っても、私がどろぼうの子どもであることに違いはない。  だけど私自身が『どろぼう』であるなんて、思ってもみなかった。
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