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第九話 こどもとこども
「はぁ」
父の隠し子が発覚した翌日。私は変わらずに登校して、授業に参加していた。でもやっぱり先生の話なんて耳に入ってこない。ぼんやりと窓の外を眺める。
父は昨日も帰ってこなかった。仕方がないからいつものように私が家の片づけをして、母を宥めて簡単な晩ご飯をつくって食べ、そして眠った。
ショックなことが起きた翌日でも、世界は変わらない。そんなこと、これまでも経験してきたはずなのに特別落ち込んでしまっていた。
なぜだろう。
やはり、子供の存在ガ大きいんだと思う。これまでの女性はいつも単品だった。そしてただ単純に自分の都合だけをわめき散らし、そして気が済んだら去っていく。彼女たちも分かっていたんだろう。父になにを言っても変わらないということ。そういうどうしようもない男性なんだ、父は。そしてそんな父になびく女性もまたどうしようもない女性であること。
そうやって考えると、この世界にはどうしようもない男女が多すぎる。私のクラス、この教室の中の三十五名の何割がそういう『どうしようもなさ』を抱えているんだろう。そしてきっと、私もその分類で言えば『どうしようもない』部類に入るんだろう。なんと言っても、私は『どうしようもない』父の娘なんだから。そうなると、あの子、幾名ちゃんも『どうしようもない』ということになる。ああ、どうしてこんなによくない連鎖ばかりがつながっていくんだろう。あのお母さんに育てられたんじゃ、きっと幾名ちゃんも若い内に子供を産むだろう、なんてお節介なことを考えてしまう。
あのお母さん、阿知良さん。
あの人は一体何がしたかったんだろう。子供を連れて乗り込んで、あんなへたくそでめちゃくちゃな理由で母だけを縁野家から追い出せるとでも思ったんだろうか。もしもそうなら、いよいよそういう病院に行った方がいいように思える。そしたらきっと漢字だらけの病名がついて、錠剤がたくさん出るはず。それでまともな精神状態にになるとは思えないけど、そうやって自分の現状に名前がつくことでそれなりに落ち着くんじゃないだろうか。私から言ってやろうかな。でも、そうすると阿知良さんと幾名ちゃんは離ればなれになってしまうだろう。阿知良さんを治療しようと思ったら、きっと子育てしながらじゃ無理だろうから。そうしたら、きっと私は幾名ちゃんに恨まれる。どんな親でも、子供にとっては絶対的な神様なんだから。それが、どろぼうでも。なんでそんなことが分かるかって?そりゃ、私も幾名ちゃんと同じだから。
母はそういう病名さえもらってはいないけれど、症状的にかなり近い。子供の私からみて、ウチのカミサマはおかしいんじゃないかと思ったことも数え切れない。だけど、それでよかった。どんなにおかしくても、母が私の母であることに変わりはないし、私の傍にいてくれればそれでいいと思う。できれば、父にも傍にいて欲しいけれどそれは叶いそうにないと言うことぐらいは私にも分かる。
だから、母だけは私の傍にいてほしい。あの人がまともな人間じゃないことぐらい分かっている。でもそれは他人の目から見た母は、というだけの話。私みたいな、身内から見た母はいつだってまともで慈悲深い。それこそ、私が産まれたときから。時々見える異常性だって、それは風邪みたいなものだと思うようにしている。気をつけていれば、かからない。仮にかかったとても、時間が解決してくれる。
そう、時間だ。時間が必要だ。
これまでの父の相手だって、時間と共に煙のように消えていった。父に変わる相手を見つけたか、或いは気持ちが離れたか。一時は自宅に乗り込むほどの勢いを見せたのに、拍子抜けだわ、といつも思っていた。
だけど、今回は違う。
今回は、子供がいる。
子供が居れば、時間の経過は癒しとはならない。逆にどんどん抉れて、膿んで、どうしようもなくなる。不倫相手が増えたようなものだ。だから、子供はズルいと思う。そんなことをされてしまうと、ますます本妻側の肩身は狭くなってしまう。きっと、阿知良さんにとっては自分が本妻側で、私たちが泥棒猫なんだろうけどね。私の存在を、それはそれは疎ましく思っているかもしれない。私がいなければ、きっと正苗さんは私と娘の元に帰ってきてくれるはずなのに、と。
でもひとつ気になることがある。
幾名ちゃんは、本当に父の子供なのだろうか。父の子供という割には幾名ちゃんはあまり父に似ていなかった。まぁそれはまだ子供だからで、成長すれば変わるのかもしれない。昨日あの場で『遺伝子検査してきて下さい』とでも言えば良かっただろうか。いや、もしそれで百パーセント実子であることが証明されたらそれはそれで逃げ場がない。
今はただ、こうやって『もしかしたら幾名ちゃんは妹じゃないかもしれない』なんていう細い糸にすがりついて平静を保っている次第。
「きりりん、どうしたの?」
「えっ」
私のこと『きりりん』というニックネームで呼ぶからと言って、決して目の前のおかっぱ頭の女子生徒と私が親しい間柄であるというわけではない。
私のクラスでは『ニックネームで呼び合いましょう!』というはた迷惑なスローガンがある。人並みに人間関係を作り上げていればニックネームなんてすぐに決まるか、性格や個性から元々つけられていただろう。でも私はクラスメイトとろくすっぽ話をしなかったので、このスローガンを実践するべく行われたクラス会では大変に腫れ物に触るような扱いをされた。誰も私の内面を知らないのだから、外見の特徴からニックネームをつけるしかない。でも、私みたいな無口な人間のあだ名を外見にちなんでつけるとどうしても差別的になりがちだということで、本名をいじることとなった。別に名字をいじってくれても良かったのだけれど、クラスの大半の女子生徒が下の名前を元にしたニックネームがすでについていたという理由で私も大勢に紛れさせるという意味合いで『きりりん』となったのだった。
正直、どうかしていると思う、このセンス。
じゃあどんなニックネームが良かったんだと聞かれると『縁野さん』と答える私は、できるだけこの呼び方をして欲しくなかった。それに、皆だってろくに話したことのない私を『きりりん』なんて親しみをこめて呼ぶのは気が引けるだろう。その証拠に、スローガンが実行されてからというもの私に話しかけるときは皆いつも「ねぇ」とか「なぁ」とか「そっち」だ。代名詞で呼ばれることには慣れているけれど、それならいっそ『縁野さん』の方がいいのに、と思う。でもどこのクラスにも空気を読めないと言うか、余り物にお節介を焼く人間がいるというか。
「眠そうだね。さっきの授業、ずっとぼーっとしてたでしょ」
それがその、目の前のおかっぱ頭。
「ちょっと寝不足かな」
確か名前は近藤砂月(こんどう・さつき)クラスの学級委員長もしているらしい。ニックネームはさっちゃんだとか。そりゃそうなるだろうね、という期待を裏切らないネーミング。このスローガンは元々がクラス担任の発案だけれど、あの年若い男性教諭はこんな表面上の親しみを押しつけてどうするつもりなんだろう。そうすれば、自分の評価が教師間で上がるとでも考えているんだろうか。「ウチのクラスはほんと仲良くて〜」とでも。ふん、くだらない。
「心配してくれてありがとう」
でも私も学校という、クラスという組織に属している以上あまり我が儘は通せない。ぼっちでいるという点は譲らないつもりだから、それが異質にならないように必要とあらば愛想良く接するようにしている。そうして学年に二〜三人はいる『特定の友達はいないけど暗くない奴』のポジションを確保するのだ。上手く演じることができているのか分からないけれど、今のところ目立った虐めなどもないので私はそれだけで良い。別に虐められても学校には来るけれど、今は母に心労をかけさせたくないのだ。せめて、私が義務教育を終えるまでは。
「ねえ、さっちゃん」
「なぁに? きりりん」
だから、本当は言いたくもない呼び名で呼ぶ。呼ばれたくない名前を呼ばれる。
「次の授業、なんだっけ?」
分かり切っていることを聞く。そういう予定調和が、学校生活が必要だ。
「移動教室だよ。保健体育のビデオ見るんだって」
「そっか、ありがとう」
机の上を適当に片づけて、鞄の中から教材を取り出す。
「きりりん、真面目だね。教科書わざわざ持って帰るなんて」
「そうかな」
「うん。だって保健体育なんて持って帰っても家で勉強しないじゃん? そういうのは私、全部置きっぱなしだよ」
「社会の地図帳とか、美術の資料集とか?」
「うんうん。そういえばきりりんはいつも持って帰ってるよね。なんで?」
「なんでかなぁ。なんとなく?」
本当は私がクラスメイトを絶望的に信用できないから。私みたいな、クラスの中で誰ともつながっていない存在はいつやり玉にあがるかわからない。明日にでも、標的にされるかもしれない。そんな時に、貴重な教科書に傷がついては困るのだ。そういった些細な変化に、病的に母は神経質だから。
「なんとなくー?」
「そう、なんとなく」
もうこれ以上聞くなよ、という意味も込めて近藤さんに微笑む。
「ね、一緒に教室移動しよ」
私なんかに時間をかけたせいで、もうクラスには近藤さんがいつも所属しているグループが見当たらない。先に行かれてしまったんだろう。教室をぐるりと見渡してその事実に気が付いた近藤さんは私の提案を二つ返事で了承した。
「うん!」
おかっぱ頭を翻して、後ろのロッカーの奥から少し折れ曲がった保健体育の教科書を取り出した。
「学級委員長がそんなことでいいの?」
「えー別に私、やりたくてしてるわけじゃないもん。内申点のため、みたいなっ」
そうしていたずらっぽく笑う近藤さんは、どうしようもなく中学生だった。だけど、近藤さんはきっと成長しても『どうしようもない』部類には入らないんだろうな、と強く感じた。こんなにも、清く正しい中学生なんだから。
***
スクリーン中で冴えない男女が赤ん坊を抱えて笑っている。幸せそうな、という形容詞がピッタリだ。
『こうして、生命が誕生し〜』
テロップも古くさいし、音割れもひどい。一体何十年前のビデオなんだろう。
大体、中学生の私たちに今更『生命の誕生』ビデオを見せるなんて学校側はどうかしている。大方、近頃話題の『中学生の性の乱れ』とやらの改善策としてくだんない会議で決まったんだろうけど、こんなビデオを見ずとも私たちは『生命』の出所なんて今更知り尽くしている。そりゃ、実際にそういうことをしたことはないけれどビデオだってそういう課程はぼかすのだから、そういう意味では巷にあふれる大人向けと呼ばれる雑誌の方が性教育には向いているんじゃないかと思う。
想像も出来ない場所の断面図を見せられて、肉眼では見えない排泄物が生命の源だなんて、私たちもそこからはじまったんだ、なんてしたり顔で言われても。
「現実味、ないよ」
「きりりん、なんか言った?」
移動教室の流れでそのまま私の隣に座っていた近藤さんが私の独り言を聞きつけて小さく話しかける。かなり小さな声で思わず漏れた声だったのに、近藤さんは案外地獄耳なのかもしれない。だから、今こうやって私といるんだろう。なぜならば、近藤さんが所属しているグループ内は最近荒れていて、委員長という目立つ立場を任せられている近藤さんも時々悪口のやり玉にあげられているから。きっと彼女は、それを聞き逃していない。だから今日は日頃の悪口への仕返しというわけね、と理解する。
別に私といても良いことなんてなんにもないけど、近藤さんのグループにとってクラス委員長という近藤さんは貴重な存在だ。居るのと居ないのとじゃ、発言力にかなりの差がでる。だから今までうまくやっていたはずなのに。まぁ、人間はどんな環境に慣れる生き物だから、最近はそういう恩恵も忘れて我が儘を主張する子達が多い。そんな子達に、近藤さんは示しているんだ。いつでもそのグループなんて私は抜け出せるんだからね、と。
その証拠に、さっきから前の方に座っている近藤さんのグループがチラチラとこちらを見ている。面白いもので、こういう時の女子生徒の言動は不倫女と同じだ。不誠実な本人ではなく、不誠実が選んだ相手を恨む。父の不倫相手が母を恨むように、近藤さんのグループはよく見ると近藤さんではなく私を睨んでいた。えっと、私は全然関係ないんだけどな。
「なにも言ってないよ」
昨日のことがあって、少しぼーっとしてしまっていた。
いつもなら警戒して、自分から誘わないのに。しまった。今日はこの後、授業終わりのチャイムと共にこちらに来るであろう近藤さんのグループの相手をしなければならないんだろうか。まるでオマケのように近藤さんのグループの後ろにそっとくっついて教室に戻らないといけないのか。「あ、縁野さん居たの?」とか言われないといけないんだろうか。うーん、いやだ。適当な嘘でもついて早退しようかな。でもここで近藤さんをあっさり手放すと、それはそれで恨まれる。近藤さんは、あのグループにとって重要な存在なのだから私もそのように扱わないと。もしかしたらお友達になれるかも?という淡い期待を向けて、そしてそれからそれを壊されなければならない。そこまで、折り込み済み。近藤さんと友達になりたいなんて望んだことも、ないのに。
「これ、つまんないね」
「そうだねぇ」
スクリーンの中では、二人めの子供が誕生していた。
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