月と列車

1/1
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
列車が駅に着き、発車してから、車内は異様な臭いに包まれた。 一人の浮浪者が、ふらふらと、通路を歩いて裕子の近くまできた。 男から逃げようと、乗客がみな他の車両へ移った。 男は裕子の隣に座った。 鼻が曲がりそうだ。 裕子は立ち上がり、窓を開けた。 なぜ、自分は逃げないのか。 裕子にもわからない。 ただ、この男もひとりなんだなと思った。 蓬髪で表情がよくわからないが、背筋のよいところをみると、意外と若いのかもしれない。 男は前方を向いて、黙ったままだ。 夕日が山の向こうに沈んだ。 景色はたちまち暗くなった。 星が空を埋めはじめた。 男が、手を伸ばし、裕子の左手を握った。 皮膚の厚い、ごわごわした手だった。 裕子は窓の方を向いた。 手は男に握らせたままだった。 列車は停車と発車を繰り返し、上昇しはじめた。 下方に月が見えた。 裕子はずっと男といようと決めた。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!