01.「ピンクの無い花束」

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「もうそろそろ閉店なので帰っていただけますか」 「嘘、まだ17時前だよ」 「……」 常連を撒くのは、思ったより困難らしい。男に聞こえるかもしれないという配慮はもう完全に捨てて、大きく嘆息し、自分の仕事に集中しようと努める。 「梶さん部活とかやってないの?」 「……」 「僕も帰宅部だったなあ。なんか入っておけば良かったって、後悔してる」 「……」 「部活後の隠れて買い食いとかね、憧れるよね」 「……」 「梶さん、ねえ、梶さん」 「メンタル、(はがね)なんですか?」 怪訝な顔を隠すことなく男を見やると、ふわりと垂れ目がちの二重が優しく細まる。何処か負けた気分になって舌打ちしそうになる苛立ちをなんとか唾を飲み込むことで抑えた。 「…だって、梶さんと話したいし」 辺りを確認すると、既に仁美さんはいつの間にか訪れていた他のお客さんの対応に移っていた。今まさに危険に晒されている従業員については、放置らしい。全くめげない男が抱える花束を視界に一瞬捕らえてから、男と視線が交わらないよう再び正面を向いた。 「……その花」 「うん?」 「早く帰って、花瓶に移してください。茎の部分は改めて少し切った方がいいかもしれません」 「……」 そのまま吐き出した言葉は、別に相手に聞こえていなくても良いと言わんばかりの小さなものになったけれど、今更言い直すなんてことはしない。 花束はラッピングを含めて可愛らしい作品に仕上げることが醍醐味である反面、そのまま包装紙に触れ続けると花が蒸れやすいという危険を孕む。なるべく早く花瓶へ移して、水をたっぷりと吸って思い切り呼吸できるような環境にしてあげることが大切だ。ディスプレイされている花々の色のバランスを確認しながら、「だから早く帰れ」と本意も隠したつもりだ。その途端、先程までべらべらと遠慮なく喋り続けていた男が突然押し黙ったらしく、訪れた沈黙に顔を上げた。
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