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水戦争
僕らの県と隣県は、元は一つの広大な土地だった。物語が進むにつれて僕はこのことを知るようになるのだが、その事実を知った時、既に抜き差しならない状況に陥っていた。
地理の授業で一度は触れられるはずだ。国の南西に位置する僕らの県は多雨気候で、年間降水量は四〇〇〇ミリを超える。大きな河が幾本も通り、地方有数のダムもあるので水源は豊かだ。
一方、高い山を隔てた先にある隣県は、地中海性気候で、国で最も降水量が少ない。乏しい水源は毎年のように取水制限が行われるダムと少雨が続くと著しく水位が低下する川しかない。それらも初めからあったわけではなかった。隣県が僕らの県から借りていったのだ。初めは百年前、水源の一つである河を堰き止めて水路を曲げ、隣県の乾いた平地に持っていくことを僕らの県に頼み、許可を得た。しかしそれだけでは済まなかった。河の水を貯めておく入れ物も必要になる。八十年前、僕らの県は村を一つ明け渡し、ダムの建設を許可した。隣県の水問題に終止符を打つためだ。村はダムの底に沈んだ。
村がダムの底に沈んでから八十年後の暑い年の話だ。隣県は未曽有の水不足に喘いでいた。川やダムの力ではどうしようもない危機を自然は時にもたらすのだ。早くから取水制限が行われたが、焼け石に水とばかりに使える水は減っていった。ダムのうち、発電用に使っていた水に手をつけた時、ついに隣県は僕らの県に助けを求めた。僕らのダムに残っている水を隣県に提供せよという要請を、僕らの為政者は断った。会見で僕らの県知事はこう述べた。隣県は歴史的に水不足解消のための努力を怠ってきた。そして隣県に水源を与えた結果、我が県でも水不足が起きるようになり、工場などの稼働に不具合が出ている。そのため県民感情は必ずしも宜しくない。このことを考慮して隣県に水を分けることは出来ない、と。
工場の操業に支障をきたしているというのは詭弁だ。この年、僕らの県はダムの水を大量に川に流した。表向きはアユの住処を確保するためというが、これも嘘だ。隣県の新聞は書き立てた。これは隣県に水をくれてやるくらいなら河に流したほうが良い、という挑発だ。明白な宣戦布告だ、と。悲しいことにそれは当たっていた。
騒いでもどうすることもできなかった。隣県では水の使用を控えるよう呼びかけ、プールは閉鎖され、店頭から市販の水が消えるだろう。人々は渇水が続けばどうなるか分かっていた。ダムの底の腐った水を飲み、断水して、台風が来るのを待つだけだ。
夏の太陽が強い光と影を落とす中、僕は水族館に向かっていた。僕らの県にはいくつか観光名所があるが、水族館もその一つだった。水族館は県の東側、隣県との県境に位置していたが、それは隣県のものだった土地に立っていた。数十年前にダムを作るために村を一つ潰した時に、当時の僕らの県の為政者は代わりにある提案をした。それは蛇行して僕らの県に食い込んでいる隣県の土地の一部をもらうと言うものだ。隣県はこの案を受け入れ、吸収した飛び地には県立水族館が建てられた。当時の県知事は新たな名所を作ったことでさらに支持を集めた。
後にした校舎から水族館へは数十分かかる。繁華街を通り過ぎて東に緩やかに傾斜する市道沿いに進んでいく。市道の脇にある県立公園を横切ると近道だ。県立公園には県のシンボルである梁瀬スギの大木や小さな小高い丘がある。
県立公園を出て、信号を渡ると水族館の玄関が見えてくる。入口へは大きな御影石が埋め込まれた飛び石が続く。
僕は入り口で受付の女性職員に挨拶すると料金を払い中へ入った。薄暗いロビーを数人の客とすれ違いながら、魚たちが展示されている水槽のある部屋へ向かう。子供のころから何度も来て、魚の種類はもちろん、キャプションの文句も空で言えるくらいだ。
客を飽きさせないよう地味な魚と派手な魚をなるべく一緒に展示している。僕がいる一階の第一展示室もそうだ。大きな水槽に目を引く熱帯魚などの魚と、向かいの壁に地味な色の地域の淡水魚が展示されている。
淡水魚の水槽のうち、空のものがある。僕は立ち止まり、しばらく目を閉じる。
この水槽にはアユが入っていた。アユはある日死んだ。殺されたのだ。
僕はこの話を、受付の女性職員から聞いた。二週間前のことだった。
そもそもアユは僕らの県の県魚だった。県のシンボルとして展示されていたアユの水槽は事件前日何の問題もなかった。しかし警備員が次の朝、見回りで見たのは、銀色の背を下向きにして水面に浮かぶ魚たちだった。
水槽に雑に貼られたコピー用紙にはこう書かれていた。
拝啓 時下ますますご清栄のこととお喜び申し上げます。
さて、近年まれにみる水不足により我が県は未曽有の渇水に見舞われております。
しかし貴県は歴史的に親交の深い我が県に援助の手を差し伸べず、それどころか挑発行動にまで出る始末。
つきましては我が県も相応の行動に出させていただきたく存じます。
以上、ご了承のほどよろしくお願い申し上げます。
県民感情が悪化したからと言って、何か起ったわけではない。僕らはいつも通り学校へ通い、遊び、暮らしていた。しかしそうではない者もいるというわけだ。
水槽の底には石鹸が泡を立てていた。淡水魚は環境の変化に敏感で、ちょっとした水の変化にも弱い。水に石鹸が混じったら死ぬ。隣県からやって来た愛県民は、渇水に苦しむ隣県をよそ眼に水を潤沢に使っている水族館の魚に攻撃することで、やり返したつもりなのだ。水族館だけでなく僕らの県への侮辱行為は、いたずらと処理され、新聞にも載らず、テレビでも報道されなかった。しかし県知事の耳には届いた。県知事はこれにいたく心を痛めた。水族館を建設したのは県知事の父だったからだ。そして僕が内情に通じているのは、県知事の子供だからだった。
父は祖父が知事を務めるこの県を、若いころ反発心から出て行った。都会で舞台俳優の夢を追っていたが祖父が年を取り引退する期になって戻ってきた。知事選に立候補するためだ。そして父は当選した。人は父を夢に破れ権力に屈したとみるだろうが、僕は違う。父が都会からこの県に戻ってきたのは僕のためでもあるからだ。僕が生まれ、育てていくはめになっていなければ、父は今も母と都会で放蕩な暮らしをしていたはずだ。僕の存在がこの土地を選び、父の地位を決定したのだ。
初めて水族館に連れてきてもらった日のことは覚えていない。父の滅多にない休日をここで過ごすようになったのは、物心つく前からのことだ。家族一緒の時もあれば、父と二人の時もあった。父は色々な魚の名前を教えてくれた。ミズダコ、アカアシガニ、テングダイ、アカイサキ…。色とりどりの魚は、こちらのことなど気にせず水中を舞った。県の人口が増えるにつれて来館者が増え、水槽を増設したり人気の海獣を飼育したりするようになっていくのを僕らは見てきた。僕らというのは僕と父と祖父のことだ。祖父も幼かった父を連れて水族館で時間を過ごしていた。僕らにとって水族館はただの行楽施設以上の場所だった。親子とこの土地との紐帯だった。故郷そのものといっても良い。しかしその場所が、この度蹂躙されたのだった。
水族館には喫茶店が併設されている。茶色くなった壁紙やビロードのソファは純喫茶そのものだ。一つ普通の喫茶店と違うのは、水槽の魚を見ながら飲食を楽しめることだった。入って左奥には長いカウンターがあり、それは水槽に取り付けられたものだった。喫茶店は二階にあるので上を見ても下を見ても水中を魚が泳ぐ様子が見える。水中にいるような気持ちになりたくて、僕はしばしばここで本を読んだり勉強をしたりしていた。
その日もいつものように水槽の前で椅子に座り、すり減ったテーブルの上にノートを開いていた。しかし勉強していたのではなかった。僕は重要な作戦を練っていたのだった。
事件の後、僕は学校に通い、真面目に授業を受けてはいたが、頭の中は隣県にいかに復讐するかでいっぱいだった。僕らの県が受けた衝撃と屈辱を似た手口で味わわせてやるのだ。例えば隣県の県庁で時報に僕らの県歌を流す、もしくは県旗を降ろしてしまう、等の方法を考えた。しかし僕の案はどれも危険すぎたりナンセンスすぎたりで、実行にためらいがあった。良い案は浮かばず、諦めかけていた頃だ。図書館の本がきっかけになった。学校の課題で戦争について調べていた僕は、開架式の棚から『ベトナム戦争とアメリカ』という本を手に取った。そしてあるページで手が留まった。以下はその箇所の抜粋だ。
ベトナム戦争はアメリカにとって気象操作の実現も可能にした。戦況を有利にするため、ヨウ化銀で雲を発生させ雨を降らせたのである。結果的に雨季は数十日長引き、ベトナム軍は苦戦を強いられた。
雨を降らせる。気象操作。そんなことが現実に可能なのだ。奇想天外だが、もし僕にも実現できるなら、僕の抱えている問題は解決する。隣県に雨を降らせてやり、これ以上僕らの県に手を出させないようにするのだ。もちろん、ついうっかり必要以上に雨が降ってしまう、ということもあるだろう。遺憾だがそうなってもいた仕方のないことだ。これは争いなのだから。
詳しいことが知りたかったが、図書館にはそれ以上の詳しい本はないようだった。僕はスマートフォンを取り出し「気象操作 雨を降らせる」と打ち込み検索ボタンを押す。
今日は終礼式で、学校は午前までだった。明日から夏休みが始まるのだ。受験生には夏期講習や模試があり、自由に使える時間は限られていた。しかし僕はそれらをすっぽかすつもりでいた。今は隣県との争いの方が大切だ。隣県の人間は僕の大切なものを傷つけたのだし、これからも傷つける可能性が高いのだ。
僕はノートに現時点で知ることが出来る情報をまとめていた。気象兵器は環境改変兵器禁止条約で禁止されているが、これは問題ないだろう。これは兵器ではないし、隣県が欲しがっている水を、雨を降らせてくれてやるだけだからだ。
僕が採るのはアメリカ軍と同じ手法だ。ノートをめくり、ペンの走り書きや図に目を走らせる。その手法とは雲間で雨の粒となる薬品を運んで散布するというものだ。撒かれた薬品は雨の核となって雲の中で水分を含んで育ち、雨になって地上に落ちてくる。アメリカ軍は戦時中、この作戦でベトナム軍の足止めに成功した。その時アメリカ軍は飛行機を使っただろうが、幸い僕には文明の利器があるので子供でも同じ計画を再現できる。必要なのは雨の核となる薬品と無人航空機、ドローンだ。ここで僕の思考が詰まる。問題がいくつかあったからだ。
僕はコツメカワウソと握手できる水槽に向かいながら計画を頭の中で反復する。
丁度二度目の餌の時間だった。コツメカワウソは水槽に空いた小さな穴から見物客の差し出す餌を取ろうと、健気に小さな手を出し入れしていた。僕はしばらくその様子を眺めた。
雨の核となる物質は限られている。僕が調べたところによると、三種類あった。ドライアイスかヨウ化銀か塩化ナトリウムだ。このうち、候補から真っ先に外れるのはドライアイスだ。ドローンに積むには扱いが難しい。それに空に撒くために粉末にする技術も無かった。ヨウ化銀はというと、国内で毒物指定されているので入手は困難だ。県内には地方有数の化学工場があり、もしかしたらそこに行けば、と考えて思いとどまった。違法な手は取りたくない。法を犯して小動物を殺す奴らとは違うことを思い知らせてやる必要がある。最後の手段は塩化ナトリウムを撒くことだった。塩化ナトリウムとは、塩だ。塩と言う身近過ぎて不安な選択肢に僕は頼るしかなかった。
薬品の次に必要なものはドローンだ。それも散布する塩を積むタンクを搭載した農業用の大型機だ。数時間も働かせれば隣県の中心地全体に塩を撒くことが出来る。問題はどうやって手に入れるかだ。農業用のドローンは最も安い中国製でも九十万円前後する。僕の貯金をつぎ込んでも、二十五万円以上必要だった。軍備費用を調達する唯一の方法を取るか取らないか、僕は悩んでいた。一度実行に踏み切ってしまえば、もう後戻りはできない。
熱帯の海からやって来た魚たちの水槽へ行く。魚に詳しくない人でも知っているような有名な魚たちは、鮮やかな姿で部屋を巡るように配された水槽の中を泳いでいる。子供から年を取った人まで、来館者はいろいろだった。皆、静かに行き来する魚を眺めている。近所から来た人もいれば、遠方から来たと思しき人もいた。隣県から来ていた人もいただろう。時々僕は、人はどうして水族館に来るのかと考える。単に魚が好きだからと言う人もいればたくさんの水槽に癒しを感じる人もいるかもしれない。僕は、魚は自由だから、みんなその生き方を見にやって来るのだと思う。県境などに縛られることなく海を自由に泳ぐ。もちろん水族館の水槽には限りがあるが、水族館は魚たちの自由な命のミニチュアなのだ。自分を投影して解放された気持ちになる人もいるかもしれない。僕は魚を見るふりをして人々の様子をうかがった。魚に興味津々だったり単に眺めているだけだったり、いたって普通の表情だ。この建物内で普通ではない事件が起こったことも、これから再び起るかもしれないことも知らない。件の犯罪者を野放しにしていたら、彼らの平穏は失われる。僕は計画を決行することに決めた。
手にしていた紙をもう一度読み返す。昨日、パソコンの画面を印刷したコピー紙だった。
熱帯魚の水槽を後にすると、エレベーターで最上階に上がり、館のマスコットであるトドが「事務室です」と言う張り紙の張られた扉を開ける。夏季の水族館任期付き職員に応募するためだ。
真夏の空の下、湿度の高い空気と共に水族館に入って行く。しかし入り口からではない。職員駐車場のある裏口からだ。狭い階段を上がり、更衣室で着替えて展示室へ向かう。首には職員証をかけている。
朝礼の後、二階のウミガメの水槽を掃除するために誰もいない館内を歩く。ウミガメの水槽は、殺されたアユの水槽に近い。
数週間前、募集されていた水槽掃除の任期付き職員の職を求めて僕は雇われた。水族館で働くことにしたのは二つの理由があった。一つはドローンを購入するための資金を稼ぐため。二つ目はアユを殺した熱狂的な隣県の愛郷家について情報を得るためだ。犯人である愛郷家は水族館にアユがいることを知っていた、つまり館に出入りがあった、もしくは今後もある人間ということだ。館にいれば何らかの手掛かりがつかめるに違いない。犯人は犯行現場に戻るともいうではないか。しかし自信はなかった。それに親に図書館で勉強すると嘘をついてアルバイトをしていることも気がかりだった。
何にせよ僕は仕事に取り掛かった。その日はウミガメの水槽を掃除する日で、職員たちに紛れて水槽の水を抜いたり、三匹のウミガメを網ですくうのを手伝ったりしていた。途中、僕は何度もアユのいた水槽に目をやった。そこだけ何もなかったかのように水のない水槽が浮かんでいる。
ウミガメを回収し、さっそく水槽の掃除に入る。水を抜いた水槽の中で、水垢のついた床やガラスを念入りに磨く。来館者が立ち寄っては、物珍しそうに見て行った。昼が近く、そろそろ休憩、と言われてふとアユの水槽に目をやった時だった。水槽の前に立っている男が一人いるのを見た。薄暗い中でも、後ろ姿だけでも男が空の水槽を凝視していることは分かった。いつからそこにいたのだろう。なぜそんなことをしているのか。石鹸を投げ込んだ犯行の成果を確認しに来たのだろうか。僕は水槽から出てアユのいた水槽へ向かった。
男は水槽から離れるところだった。数メートル近づいたところで、少年と青年の間くらいの背格好をしていると分かる。こちらに背を向けて男は歩き出した。僕は後を追う。清掃用の長靴が大きすぎて歩きにくい。男との距離が開いていく。あの、と声をかけたところで、僕と男の間を団体客が流れ込んだ。男はそのうちの一人とぶつかりそうになり、身をかわした。肩から掛けていたショルダーバッグに結ばれた布状のものがほどけて床に落ちる。男は館外に消えた。男が落とした布を拾う、臙脂色に白抜きで丸い模様が入っている。隣県の県章だった。県章入りハンカチなんて珍しい。彼が僕らの県を攻撃した、理想に燃える件の愛郷家だろうか。
僕は館の外に出て彼を追いかける。県立公園を通り越し、繁華街にいたる信号を渡っている彼を見つけた。信号が点滅し始める。急いで走るが信号は赤に代わり、走り出した車に遮られて間に合わなかった。僕は彼の後ろ姿が商店の立ち並ぶ雑踏に紛れてゆくのを見ていた。
アユ殺しの犯人が熱狂的な愛郷家ではないかと言う考えは確信に変わった。自分の投げ込んだ石鹸が確実に作用したか、今日、水族館に確かめに来たのだ。おそらく次の犯行の下見も兼ねて県境をまたぎやって来たのだろう。僕も負けてはいられない。僕は仕事を終えてから県立図書館に向かった。その夜は熱帯夜で、夜間遅くまで空いている県立図書館は勤め帰りの人や遅くまで勉強している学生らで活気があった。郷土資料の棚で隣県の県誌を探す。七センチほどの紺の布張りの隣県誌を抜き取り、机の上で開いた。愛郷家に対抗するには隣県のことを知る必要がある。敵を知れば百戦危うからずと言うではないか。
まず初めに目次に目を通す。歴史や地理などの風土から知識を詰めていくのが道理だろうが、目を引いたのは隣県の昔話という文字だった。僕は昔話の書かれている本の中ほどを開き、読み始めた。数編の物語が書かれていたが、どれも素朴で、一度は聞いたことのあるような懐かしさを覚えるものだった。その内、僕の興味を引いたのは『鷹匠と雨』という雨乞いの物語だ。
県はおろか藩すらなかった頃の、この辺りの言い伝えだ。広大な土地に村があった。村人たちは仲良く暮らしていた。しかしある年、干ばつが起きた。村をあげて雨ごいの儀式をしたが効かず、村人たちは飲む水もなく、手をこまねいて死を待つばかりだった。
その時、村にいた一人の鷹匠が皆に言った、「私が鷹を使い神様にお願いして雨を降らせましょう」。鷹匠は太陽に向かって一番大切な鷹を放った。鷹は長い間帰ってこなかった。鷹の帰りを待って太陽を見続けた鷹匠は目を潰してしまった。ついに数日後鷹匠の祈りが届いたのか雨が降り、村人は喜んだ。そして鷹と鷹匠の犠牲を悼み、神社を立てた。
数行の鷹匠の物語を僕は何度も読み返した。現在の隣県と同じことが、数百年前にも起きていたのだ。干ばつによる水不足には鷹匠の目と言う犠牲を払い、雨を降らせることが出来た。しかし、鷹匠の放った鷹はどこへ行ったのだろう。そして現代雨を降らせるには、何を犠牲にする必要があるのだろうか。
僕が考えていると、鞄の中にあるスマートフォンが鳴った。母からだった。図書館を出て、折り返し電話をかける。それから僕は、隣県に関する調査を早々に切り上げて帰宅せざるを得なかった。水族館で働いていることが発覚したためだった。
学校の夏期講習に出ず夏休みのほとんどを水族館の仕事に費やしていた僕を母は叱責し猛省を促した。僕はアルバイトが勉強の息抜きであること、既に仕事は数日を残すのみであると述べて、最後まで働くと言い張った。結果的に予備校の夏季講習を受けることで母は譲歩した。自室にこもって教科書を開いていた僕は、それでも気象操作のことを考えていた。計画を遅らせるわけにはいかなかった。ドローンを販売しているサイトにアクセスし、農業用の大型機と散布する塩を入れるための取り付け可能なタンクにも目星を付ける。それから半時間申し訳程度に勉強をし、再びスマートフォンを手に取る。次に調べるのは雲間に撒く塩だった。ドローンの耐荷量である十キロに合わせて一キロ入りの食塩を十袋、購入候補に入れた。後は数日後に払い込まれる給与で購入すればいい。
気温が高いが湿度も高く、薄曇りの奇妙な日だった。僕は予備校に行くため早めに家を出た。県の中心地にある家から路面電車に乗り、二つ目の駅で降りる。県最大の駅舎は路面電車の駅に近接していた。受験を控えた僕らの県の学生たちは、大手予備校に通うため隣県まで行かなければならなかったが、これは恥ずべきことではない。僕らの県が首都に近く、この地方の行政の中心地であるのに対し、隣県は商業の街として栄えてきたという歴史的背景があるからだ。
駅舎に併設された郵便局の現金自動預け払い機に通帳を入れ、記帳する。給与は振り込まれていた。水族館で働いた三週間の賃金は、元々貯めていた預金と合わせて、ドローンと塩の購入が可能な金額になっていた。列車の中で、隣県に向かいながらドローンと塩を注文する。注文を確定するというボタンを押しながら、僕は自分が取り返しのつかないところまで来ているのを感じた。そうしているうちに列車は隣県との県境である川を越えた。隣席の家族から聞こえる隣県の方言が耳に響いて、落ち着かない気持ちになった。
今まで隣県に入った回数は片手で数える程度だ。最後に訪れたのは昨年、やはり予備校に模試を受けに行った春だった。駅前にあった妙に捻れたオブジェはそのままだったが、街並みは微かに変わっている気がした。予備校へは駅から南に伸びる大通りを歩き、三つ目の角を左に曲がる。隣県の街を歩きながら、僕は落ち着かなかった。予備校の自動ドアを通り、教室に入ってからも内心は乱れていた。隣県に復讐するつもりであること。それが隣県に乗り込んだ今になってばれるのではないかという恐れから、僕は何をするにもいつも以上に緊張していた。英語読解の講義を受けた後、十数分の休憩の合間も、心臓は嫌な調子で脈をたてていた。途中で帰ろうか、とも思ったが、これ以上家族に心配をかけるわけにはいかず、昂ぶる神経を沈めつつ最後の講義を終えた。一日の講義を受け終える頃には妙な心配はどこかへ行っていた。達成感もありそのまま自習室で勉強していくことにした。数時間勉強した後、隣のコンビニで夕食を買い、休憩室で食べた後、自習室に向かった。時刻は夕方で、窓の外は黒々とした雲が空を覆っていた。興がのってきた僕はさらに解く問題をコピーするためにコピー室に入った。そこにはすでに幾人か人がいた。三台のコピー機のうち、一台がすぐに終わりそうだった。僕と同じ年くらいの男がコピーをしていた。こちらをふと振り返ったので僕はつい会釈をする。男はコピーしていたものを見られたくないのか、こちらに通せんぼするように背を向けた。そして刷り上がったものの出来を確かめもせず掴むと、去って行った。その後ろ姿を見て僕の頭に、何か閃くものがあったが、勉強に疲弊した頭はそれを瞬時に捕えることが出来ず逃してしまった。空いたコピー機に荷物をおろし、小銭を入れテキストをめくって、コピーをしようと機械を開ける。そこには一枚の紙があった。先ほどの男が忘れて行った原本だ。何の変哲もない一般的なサイズのコピー用紙だ。裏返しにした方に何かが書かれている。何の気なしに、僕はそれをめくった。そこにはこう書かれていた。
拝啓 時下ますますご清栄のこととお喜び申し上げます。
さて、近年まれにみる水不足により我が県は未曽有の渇水に見舞われております。
しかし貴県は歴史的に親交の深い我が県に援助の手を差し伸べず、それどころか挑発行動にまで出る始末…
最後まで読む必要はなかった。隣県の抗議文だ。殺されたアユの水槽に貼られていた。僕は男の消えた階段へ走った。男の後を追いながら、先ほどの閃きが何だったのかようやく理解することが出来た。それは、水族館で働いている時、アユの水槽の前にいた男とコピーをしていた男の背格好は同じだったということだった。建物の外に出る。すっかり暗くなっていた。抗議文をコピーして一仕事終えた愛郷家の行く先など分かるはずもない。予備校に戻り、最上階から調べたが、男の姿はどこにもなかった。
最終電車で自分の県に帰りながら、僕は愛郷家と遭遇した動揺のあまり駅を乗り過ごしそうになった。その後数日間、夏季講習で予備校に通ったが、どこにも愛郷家の姿を見ることはなかった。抗議文の原本を忘れたことに気づいて警戒を強めているのか、単に彼の通っていた夏季講習が終わったのかは分からなかった。しかし遅かれ早かれ愛郷家が次の悪行に着手することは確実だった。もしかすると、僕の知らないうちに県の威信を傷つける蛮行は行われているのかもしれなかった。これ以上待つことは出来なかった。僕はドローンの配送状況を何度も確認した。ネットでドローンの操縦方法も調べ、スマートフォンを使うことが分かると動画を見て練習もした。そうしているうちに十キロの塩が届いた。母が出掛けている午前に届くようにしたので、追及を受けずに納屋にしまうことが出来た。
ドローンが届いたのは夏休みも終わろうとする日の朝だった。直径二メートルほどの完成品は、過剰に包装されて届いた。玄関も狭く見えてしまう大きさの荷物を、納屋まで運び、台車の上に置いた。試運転などしたりはしない。今日やらなければ二度と機会は巡ってこないだろう。僕は一度家に入り、簡単に荷造りをした。点けたままだったテレビを消す時にリモコンを持つ手が止まる。流れていたのは地域のニュースだった。僕らの県が県境の川に流した大量の水が原因で、川にアユの群れが増えたとアナウンサーは言っていた。アユの数は推計百万匹にもなると言う。
僕は話題が変わるまでその場に立っていた。その話題に興味があったのは、これから行く場所だったからだ。
蛇行する大型の川は僕の家から一番近い県境であり、数十年前に隣県が流れを変えて僕らの県から頂戴して行ったものだ。人工的に流れを変えたせいで不自然な線を地図に描くその川は、この大渇水で水量も減り川底の岩が姿を見せていた。僕は川を望む神社の境内に台車を運び込んだ。境内に入った時は蝉が鳴いていたが、人の気配を察知してか静まった。梱包を全て解いたドローンを地面に置く。塩を一袋ずつ開封し、取付型のタンクに流し込んでから本体の中央にネジで固定した。準備は完了した。後は実行するだけだ。僕はコントローラーとスマートフォンを合体させ、発進ボタンを押した。一瞬、土埃が円形に舞い、ドローンは飛び立っていった。強固な骨組みの黒い本体がタンクを抱いて空の奥へと消えて行った。僕はスマートフォンの画面を見ながら操縦をした。県の中心地まで行き、塩を撒くため雲間に上昇するまで数十分かかった。操縦にも慣れてきた僕は、ふと神社の中に大きな石碑があることに気が付いた。そこには僕の知っている物語が刻まれていた。数百年前の大干ばつに雨を降らせた鷹匠と鷹の物語だった。僕がドローンを飛ばすために選んだ場所が、雨を降らせた鷹匠の犠牲を悼んで建てられた神社だったのだ。目を離しているすきに、操縦がおろそかになり、均衡が乱れる。急いで持ち直し、画面に雲ばかり映るようになったことを確認して塩の散布を開始する。そうして数十分もしたところだった。神社の鳥居の方から歌声が聞こえてきた。僕は自動操縦に切り替え、石碑の後ろに隠れた。歌声は続いた。
晴れやかな 川の朝は
よろこびの 歌ごえ高く
光とび 花はひらいて
こだまする 未来のかなた
この丘に
この丘に つどうわれらは
栄えゆく 県民のいのち
隣県の県歌だ。そう気付いた僕は石碑の影から、足音が止まった拝殿の前を覗いた。そこにいたのは僕が知る男だった。隣県で唯一知っている人間だった。そこにいたのは愛郷家だった。
愛郷家は賽銭箱の前で鈴を鳴らし二度手を叩くとこう言った。
「水不足に悩む我が県の代表として、これから隣県の県木に火を付けに行ってまいります。力をお貸しください、ご先祖様」
そして二度手を叩き黙礼した。僕は愛郷家の言葉に驚き、隠れていた石碑から飛び出し、そんなことさせないぞ、と言った。驚いた愛郷家は何だお前は、とすごんだ。
「僕は隣県の知事の息子だ。水族館のアユを殺したのはお前だな」
「そちらが県知事の息子なら、僕の先祖は昔この辺りを治めていた。この神社も僕の先祖を祀って建てられた」
愛郷家は僕の後ろを指さした。鷹匠の物語が記された石碑だ。愛郷家は犠牲になって雨を降らせた鷹匠の子孫なのだ。愛郷家が僕の県に攻撃を仕掛けてきたのも、先祖のように水不足を解消して人々を救おうとしてのことなのだ、と僕は理解した。愛郷家は言った。
「水族館でアユの水槽に石鹸を入れたのは僕だ。僕は自分の保身のみを考える隣県に、伝統と歴史あるこの県の代表として異議を申し立てるんだ」
「伝統と歴史ある県民なら犯罪なんか止めろ」
「僕は強硬派なのさ」
そうさせるわけにはいかない、と僕は言った。
「どうするっていうんだ」愛郷家は馬鹿にしたように笑う。
「放火するつもりだと通報してやる」
僕はその場を走り去った。後ろから愛郷家が追いかけてくるのが分かった。僕の県の警察にこのことを知らせるつもりで僕は県境の河に至る道を必死に走った。何度も愛郷家に捕まりかけ、その度に逃げきった。ついに県境の川に差し掛かり、僕は愛郷家を撒くつもりで河川敷の草むらに向かい、川の中へ入って行った。しかし愛郷家も後れを取らず川の中へ入ってくる。僕らは広い川の中を、水しぶきをあげながら渡って行った。走りながら、コントローラーのことを忘れていたことに気づく。いつの間にか自動操縦が解除されていたのか、画面に映っているのは乱れながら近づいてくる木や住宅地だった。僕らの県と隣県を見下ろしているのだった。このままでは墜落する。僕は慌てて、自動操縦にしようとするが走りながらでは難しい。画面はどんどん地上に近づいてくる。その時、二つの県の周りに同じ形の小高い丘が見えた。僕はその小高い丘を知っていた。僕の県の県立公園にあるそれには、丘のそばに表札が立っていた。表札によると、その小さな丘は、土地の境界を示す境界塚だ。僕らの県と隣県は同じ境界塚を配することで示していたのだ。二つは同じ領土だと。初めから境界などなかったのだ。水族館を泳ぐ魚のように。
僕は愛郷家を振り返ったが、彼は遠くにいた。川の真ん中で、川上を見ながら立ち尽くしている。僕もつられてコントローラーを脇に置き、同じ方向を見る。川の中を銀灰の物体が近づいてくる。よく見るとそれは一匹一匹の魚たちだった。僕は朝のニュースを思い出していた。僕らの県が川に流した水が、アユを大量繁殖させた。ニュースでは百万匹と言っていたが、僕にはそれ以上いるように見えた。川そのものになってアユが愛郷家の方に流れていく。逃げろ、と声をあげ、僕は水族館の空の水槽を思い出していた。アユの群れは愛郷家に向かって行った。
アユの群れが愛郷家を倒し、その上を通りすぎて行く時、僕はアユたちの目に怒りに似た感情を見た気がした。
群れが遠ざかり、僕は傍らに放っていたコントローラーを急いで拾い上げた。ドローンは僕らのいる川の上空を飛んでいた。落ちてこないように上昇させようとするが、放り上げた衝撃で故障したのか、反応しなかった。アユが過ぎ去った川面から愛郷家が起き上がった。ドローンは愛郷家の真上に迫っていた。僕は愛郷家に向かって走り、黒い機体が彼の真上に落ちてくるのを防ごうとした。しかしドローンは翼から愛郷家の上に落ちていった。骨に固いものが当たる音がして、愛郷家は顔を抑えて水の中に崩れた。ドローンは半分水につかりながら、ゆっくりとプロペラの旋回を止めた。大丈夫か、と声をかけ、愛郷家の眼から血が流れているのに気が付いた僕は助けを求め走り出した。
数日後、この地方の上空に小さな雨雲が観測された。雨は隣県にも僕の県にも降り注ぎ、ダムは潤った。渇水やそれにまつわる県同士の小競り合いなど皆忘れてしまった。雨が降ったのがあの日僕が行った気象操作の成果かは分からない。もしかすると鷹匠の子孫が眼と言う犠牲を払ったせいかもしれない。夏休み明け、僕は雨音が響く水族館にいた。新しくアユが入った水槽や、広い水槽で泳ぐ魚の姿を見る。魚たちは境界などなく自由に泳ぐが、他方なくして此方も存在せず、二つで一つになる事など考えもしないのだ。
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