えんぴつは知っている

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 鉛筆が転がるカロン……というささやかな音にビクッとする。息を詰めて周りの様子を伺う。サリサリと文字を書く音が教室中を静かに満たしていた。先生は教卓でノートパソコンを広げ、何か仕事をしているようで鉛筆が転がった音など気にした様子はない。私はホッと小さいため息をついた。  消しゴム付き六角形鉛筆の1面に「1」、その反対側の面に「2」と油性ペンで書いてある。私はもう一度鉛筆を転がした。高校3年の夏休みを前にしてテスト中にこんなことしてるのは私くらいだろう。  1が出たら進め。2が出たら止まれ。  六角形鉛筆はコロコロコロ……と転がり、1で止まった。  1……また1か。  私はテストの問題用紙に横線を引いた。テスト開始から30分で答案用紙を埋め、それ以降、ずっと鉛筆を転がしている。すでに100回を越えていた。それに伴い「正」の字がずらーっと並んでいた。1の列に。今の所、1の97勝2敗10引き分け。六角形の鉛筆に数字が書いてあるのは2面だけ。残り4面は何も書いてないのだから引き分けが出る確率の方が多いはずなのに。  私の転がし方に癖があるのか。それとも鉛筆になんらかの歪みがあるのか。油性ペンで1と2とでは使用されるインク量が異なり、多分インク量が少ないであろう1が上になってしまうのか。いや。その理屈でいくと何も書いていない方が軽くて上にならなくてはいけない。それとも机が水平に保たれていなくて、傾いた方に転がる結果、1が出てしまうとか。消しゴムは一度も使ってないけど、密度が違っているのかもしれない。  そんなことを考えながら正の字を見ていると、試験終了を告げるチャイムが鳴った。私は慌てて最後にもう1回鉛筆を転がした。結果は1だった。  進め。進め。圧倒的に進め。  私は問題用紙を裏返すと、答案用紙を持って席を立った。 「おい。試験中に何やってたんだよ」  靴箱前で後ろから声をかけられた。委員長だった。彼はニヤッと笑った。 「べ、別に」  急に全身が熱くなった。「アレ」を見られていた。走って逃げたい気持ちだ。同時に委員長には気づいてもらえたという嬉しさも湧き上がってきて、心の中はストローでグラスの中をかき混ぜているみたいにぐるぐるしていた。  「1」は進め。  ぐるぐる回っている私の心が進んでしまえと訴える。同時に進むなと囁く。  委員長は委員長ではない。ややこしいが、今、学級委員長の役割を担っているわけではない。頭が良くて真面目で。折り目正しいからちょっと近寄りがたくて。公平で。ちょっと頭が固い。だから一目置かれてはいるけど、少し遠巻きにもされている。真面目な性格を揶揄して「委員長」と誰かが呼び始めたのが定着してしまった。 「テスト簡単だった?」 「簡単だったかどうかはわからないけど、早く終わっちゃって暇だったから」  なんだソレと、委員長は笑った。笑うと左の頬にエクボが出る。私はそれが可愛いと思っている。そして私は知っている。実は面倒見がいいということを。 「今日も寄ってくのか」 「そのつもり」  一緒に行こうと言ったわけでもないのに、2人、同じ方向へと歩き始める。私は帰宅部。早く家に帰っても親が面倒だし、妹と同じ部屋で落ち着かないから放課後は市立図書館で時間を潰す。最初は建築の雑誌を見て楽しんでいたが、たまたま委員長と出くわしてから、なぜか放課後の勉強会が始まった。これが去年の秋の話。おかげで成績はぐんぐん良くなり、親は大喜びだ。 「夏休みさ、予備校とか考えてるのか」 「うーん……自分のペースでやりたいから学校の夏期講習だけ」 「そうか」  委員長はどこかホッとしたように見えた。すぐに明日のテストのことに話題が移る。  ねえ、どうしてそんなこと聞くの。期待しちゃうじゃん。  肩を並べてテストの話をしながら私は他のことを考えていた。  私は知っている。委員長が私の歩くスピードに合わせて、少しゆっくり歩いてくれていることを。  私は知りたい。誰にでもこんなに優しいのかと。  私は知りたい。私の気持ちを言ってしまっていいのかと。 了
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