スウィートなベイビィ

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「きったない部屋だわねぇ」  起動させるつもりは、なかった。段ボールから出した後は、さっさと必要な基盤を抜き取り、押し入れの隅にでも片付けてしまおうと思っていたのだ。 「なんで充電もしてないのに動きだしたかって?そりゃ、発送元が動作確認のために充電したからよ。あたしは気が利くから、動いてちゃ箱詰めしにくいだろうと思って充電切れたふりしてそのまま出荷されてあげたんだけどね。ここ、倉庫じゃなくて一般宅よね?あなたがあたしの飼い主ってことよね?じゃあ、もうここが我が家と思って普通に振る舞っていいってことよね?!ふぅっ!」  段ボールの縁に短い脚をかけた犬型ロボットは人間の…年配女性のものとしか聞こえない声で喋り倒した締めとして、これみよがしの溜め息をついた。  その犬型ロボットのモデルとなった犬種は、判然としなかった。彼(おそらく)女のおおざっぱな外見の印象としては、より小型になった茶色とも黒とも言えるような言えないような柴犬。しかし、こぼれ落ちそうな大きな瞳はチワワ、鼻の低さはブルドッグ、足の短さはコーギーに似て、ごく短く表現するならば雑種と言う他なかった。  作業机に置かれた段ボール箱に胸から下を入れたまま、彼女はぐるりと八畳一間の和室を見回した。 「てっきり、中流家庭のマンションか一軒家に運ばれるのかと思ってたんだけど。こんな部屋に住んでて、あんた、よくあたしみたいな高級品買えたもんだわねぇ…」  「あ、まずい」と思った時には遅かった。彼女の視線は部屋の隅の、ある物を捕らえた。 「何?!彼女か奥さんがいるのかと思ったら、人形?!あんた、とんだ変態ねぇ!!」  アラサーの会社員である日暮幸太(ひぐらしこうた)は、半年前、念願かなってある物を手に入れた。それが現在彼の部屋の一角を占有する、二十年前に発売されたヴィンテージ美少女型アンドロイドだ。  その昔、人の性欲を満たすためのアンドロイドは盛んに作られていた。しかし、いつしかそれらは「性の尊厳」を冒すものとしてタブー視されるようになり、終には国際的に製造を禁止されてしまった。  幸太がネット上で、製造禁止となってから久しい「WXXF0572-AL」と出会ったのは、十年以上も前、彼が高校生の時だった。「WXXF0572-AL」は美少女型アンドロイドの最後にして最高の傑作として名高いプロダクトだった。そして、その頃にはすでにデッドストックであれば大金持ちしか買えない値をつけ、中古品でもそれなりの値段になっていた。  現在は更に価格が高騰し、平凡なサラリーマンで収入も一般的な幸太は、十年以上変わらず「WXXF0572-AL」に憧れを持ち続けていたが、しかし実物を手にすることは諦めていた。  それが、である。ある日、ネットオークションで見つけてしまったのだ。格安の「WXXF0572-AL」を。  中古であるのはともかく、故障で動作不能のジャンク品。一瞬は購入を迷ったものの二度とチャンスは巡ってこないと、幸太は貯金の八割をはたき、落札を決めた。  そうして、厳重に箱詰めされ幸太のアパートにやってきた「WXXF0572-AL」。幸太は梱包を開き、はじめてその尊顔を肉眼で拝した時、喜びのあまり数十分間悶絶した。その個体は洗浄は十分にされていたらしかったが、髪もメイクもデフォルトとはすっかり変えられていた。それでも、本物にしかない重みが、凄みが、生の「WXXF0572-AL」にはあった。  長年の想い人が到着してから初めての休日となった土曜日、幸太は「WXXF0572-AL」の一部外装を外し、内部の問題箇所を改めて確認した。  動作不能の原因は出品者の申告通り、とある基盤の電子回路の故障にあるようだった。その電子回路は、「WXXF0572-AL」が名作である所以であり、人工物に感情を演出させる肝となるパーツであった。  壊れた電子回路と同じものが売られてはいないだろうか。その日から幸太は毎晩オークションサイトを渡り歩いたが、幸太が手が出せる値段では見つからなかった。というのも、「WXXF0572-AL」と同じく、その電子回路もあまりに機械を人間らしく見せてしまう為、問題のある製品としてとうの昔に製造を禁止されていたからだった。  しかし、幸太が目当ての物が手に入らないと同好の志の前で嘆いたところ、思わぬ情報がもたらされた。ネット上で知り合った彼か彼女かわからない親切らしきある人が、幸太にメッセージを寄越した。 『そのパーツだったら、似たようなのが簡単に手に入るよ。WXXF0572-ALとほぼ同じ電子回路使ってる犬型ロボットがあって、それ、大コケした商品だから、今でも滅茶苦茶安く叩き売りされてる』  そんなこんなで幸太の元にやってきたのが、この…大変微妙な犬型ロボットだった。 「まさか夫と妻に一男一女のなかよし健全家族じゃなくて、独身男の飼い犬になるなんてねぇ。まぁ、いいわ。飼い主はロボットを選べても、ロボットは飼い主を選べないもんだわね。出してくれる?」 「へ?」 「あたしのキュートでタイニーな脚じゃ、この箱から出られないのよ。ほら、さっさとして。いつまでもこんな体勢でいたら、ヘルニアになっちゃうじゃない」 「あ、ああ」  ロボットって、ヘルニアになるのだろうか?そんな疑問を感じつつ、幸太は胴を持ち上げ、彼女を出してやった。彼女の毛質はやや固めだったが、体は暖かく、こうして動物の温もりを感じたのはいつ振りだったっけと彼は思った。 「さてと、あたしの寝床はどこ?」 「へ?」  必要な基盤を取り出したら、ロボット本体は即送られきた段ボールに戻そうと思っていたのだ。そんなものを用意している筈もない。 「気が利かないわね!あんた、犬飼ったことあるの?」 「あ、ありません」 「他の動物は?」 「ない…」 「こりゃ、あたしが一からしつけなきゃいけないみたいだわね。段ボールの中に首輪とリードがあるでしょ?それ、あたしに着けて。そしたら財布持って、今から近くのベット用品の専門店かホームセンターに行くわよ!!」  「WXXF0572-AL」とほぼ同じ基盤が使われた、「DXX22-1」という型番の犬型ロボット。それはハイスペック過ぎる失敗作として、一部で伝説になっていた。  「WXXF0572-AL」と同じ愛玩用アンドロイドの全盛そして最終盤の時代に作られた「DXX22-1」は、それもまた、その当時の技術の粋を集めて製作された。「全世界の孤独を癒す」という壮大な意図で作られた製品だったが、何故中途半端な外見?何故犬が喋る?それらはともかく何故性格と口調がおばさん?という様々な「何故?」を残し、結果として全く売れなかった。  そうして、「DXX22-1」は発売から二十年以上経た今も、ゴミの様な値段でデッドストック品が山のようにオークションに出品されている。幸太が基盤目当てに落札したのも、その中の一体だったのだが…。 「ほら、そのベッドはここに置いて。ベランダのそばだからって、踏んだりしたら噛みついてやるんだからね!」  ホームセンターから帰宅し、犬に顎で使われ犬用ベッドのセッティングを終えた幸太は、財布からレシートを出し合計金額を確認して、うんざりさせられた。ベッドに玩具、ブラシ、シャンプー、雨天下の散歩用に雨合羽まで買わされた。  レシートを机に置き、トイレに用を足しに行った幸太が戻ってくると、彼女は小型犬用のベッドでフゴフゴと寝息を立てていた。幸太は彼女と同梱されていた厚さ二センチある説明書を捲り、本体をスリープ…はしているから、フリーズさせる項目を探したが、それについては一行も記述を見つけられなかった。  充電が切れて動きが止まったら、基盤を取り出そう。そう考えていたが、一ヶ月経っても犬型ロボットは作動し続けた。そういえば、説明書に挟まっていたチラシの売りに、「充電長持ち!一緒に遭難しても大丈夫!」とでかでかと書いてあったから、伝説の無駄なハイスペックが十分機能しているようだった。  そんなこんなで、意図しない幸太と犬型ロボットとの同居生活が突然幕を開け、それなりの長さ続いた。そうなってしまっては、もう「WXXF0572-AL」を復活させるどころではない。幸太の生活の中心が犬型ロボットになってしまった。  それは、幸太が彼女に愛着を持ったからではない。ただただ、謎のロボットの存在感が圧倒的だっただけだ。とにかく、彼女は幸太の生活の一つ一つにお節介に口を出してきた。  夜更かしすれば明日に響くからもう寝ろと騒ぐし、朝食を抜けば三食規則正しく食べろと説教してくる。成人病予防だと誰の為かわからぬ散歩を強制するし、晴れた休日には惰眠を貪ろうとしているところを洗濯をしろと叩き起こしにくる。  彼女をプロデュースした人物は、一体何を考えて、この母親のように小煩いロボットを生み出したのか、幸太は理解に苦しんだ。いや、幸太の母親は、彼が中学に上がったあたりから空気を読み適度に距離を置いてくれるようになったので、彼女は母親をはるかに超えて煩わしい存在になった。  いやいや、彼女は掃除の後には短い前脚で家具の表面をなぞり、飼い主に埃を見せつける。母親どころではない。幸太はもう、神経質な姑と暮らしている気分になっていた。  おかげで適度な運動、バランスのとれた食事、規則的な生活リズムにより、不摂生を極めていた幸太の体調は急激な右肩上がりを遂げていた。  ある日、幸太が彼女を連れて近所を散歩していると、道端にピンクのビニール製のテニスボール大のボールが落ちていた。幸太は持ち主の姿はどこかと周りを見たが、それらしき子供の姿はなかった。 「こんなの置きっぱなしにして」  そう小言を呟いた彼女だったが、前脚で突いて動いたボールに犬の本能は抗えず、彼女は夢中でボールと戯れ始めた。ボールが彼女の足先から逃げた拍子に壁にぶつかり、跳ねて道路の中央に転がっていった。  彼女が追いかけた先に、車がこちらに向かって走ってきたところだった。幸太は、思い切りリードをひいた。 間に合わなかった。  彼女は車のバンパーに跳ねとばされ、地面に叩きつけられた。幸太は彼女に駆け寄り、屈みこんだ。  息が無かった。  オンラインでつながった仲間達に、幸太は「DXX22-1」を直せる場所はないか、聞きまくった。皆知らないと言い、そうして皆、一様に言った。 『「DXX22-1」なら安く出回っているんだから、新しいのを買えばいい。』  幸太は、「DXX22-1」なんていらなかった。たった一ヶ月だけだが一緒に暮らした、彼女が必要だった。  相談相手の一人が、「DXX22-1」を修理できる業者を見つけ、紹介してくれた。その業者も、「修理するより新品を買った方が安い」と幸太に助言したが、構わないから直してくれと頼んだ。  修理に出した一週間後、彼女は最初に来たときと同じ段ボールで同じ様に配達され、幸太の部屋に戻って来た。ただ、顔の右側は車に当たった衝撃で少々変形してしまい、それはプロの腕でも完璧には直せなかった。 「まぁ、完璧な美貌は多少損なわれたほうが、親しみやすさが湧きやすいってもんよね」  彼女はそんな強がりを言って、気にしていないふりをしてみせた。  こうして、社会人になってから貯めてきた幸太の貯金は「WXXF0572-AL」と「DXX22-1」の代金、犬用グッズの購入、そして「DXX22-1」の修理代でほぼゼロになった。  部屋で胡坐を掻き、猫背で通帳を覗き込む幸太の背中を叩くものがあった。当然、同居している彼女の前脚だ。幸太が情けない顔で見下ろすと、彼女は顎で部屋の隅を差し示した。 「あれ、売ればいいじゃない。あの子、高く売れるんでしょ?」 「へ…?」 「この前、調べてみたのよ。オークションサイト」 「えっ、ちょっ、調べたって、まさか、俺のPC…」 「あんた、パスワード簡単過ぎよ。不用心ね。変えた方がいいわよ。まぁ、怪しげなファイルは開かないであげたけど。それはともかく、なんかこの部屋の中でいい物ないかって探してあげたのよ。そしたら、あの子が高値で取引きされてるじゃないの。ここにあっても飾ってあるだけなんだから、売ればいいじゃない」  幸太は部屋の隅の、少し埃を被ってしまっている「WXXF0572-AL」を見た。そうして、畳から立ち上がると近付いて、髪を撫で埃を払ってやった。 「売らない」 「でも、全然放っておいてるじゃない」  「誰のせいで…」と、出かけた言葉を飲み込み、幸太はもう一度言った。 「売らない」 「あたしがいるのに?!」  その言葉に幸太は、やはり彼女は母親とは違うなぁと思いつつ、この点については飼い主として、男として、はっきりと表明しておく必要性を感じた。 「それとこれとは、全然別だからっ!」
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