パパはつらいよ

　男は父になると、ある特殊能力を身に付ける。それは帰宅して玄関を開けた瞬間、家の空気を察知する能力だ。帰宅を知らせた俺に対する妻の返事だったり、3歳になるリナの足音だったり、テレビの音量だったり、玄関の靴の散らかり具合だったり、様々な機微のヒントを瞬時に読み解く。

　今日もそうだ。「ただいま」と玄関を開けた時の静かな雰囲気。普段ならリナが「おかーりなたい」と駆け寄ってくるのに。今日は小さな姫のお出迎えがない。

　リビングに入ると、キッチンで夕飯の準備をしていた妻と目が合った。微妙な空気感だが、怒っている訳ではなさそうだ。

「おかえりなさい。今日は早いのね」
「うん、最終の確認作業が早くすんでね」

　何気ない会話をしながら、妻に『どうした？』と目で聞くと、妻がリビングのソファを顎で刺して苦笑いをした。
　ベージュのレザーソファの片隅に、こんもりと盛り上がったイチゴ柄のブランケット。ソファに近づく。足元には幼稚園の黄色のカバン、ぐちゃぐちゃの折り紙、緑のモール、ひっくり返ったクレヨンケース。

　ああ、我が姫のご乱心。
　ネクタイを緩めながらブランケットの隣に座るとブランケットがモゾモゾと動き、にょきっと出た小さな腕が俺の腰へと巻きついた。

「おーい。パパ帰ってきたぞー」

　指先でつつく。くすぐったかったのか、ブランケットが大きく揺れた。でも、まだ顔を出してくれない。そっと端を持ち上げると、イヤイヤと小さな体をゆする。

　湿度を含む体温は、カイロを貼ったように俺の腰回りをあっためていく。小さな姫のご機嫌斜めの理由を、幼稚園のお便りノートで調べる事にしよう。

　6月15日（月）今朝は泣かないで幼稚園に来れました。お給食も、減らさずに食べられました。
　6月16日（火）お遊戯の時にお漏らしをしました。あすは替えのパンツを持たせてください。
　6月17日（水）すみれ組のお友達と泥団子を作りました。出来た泥団子は下駄箱の上に飾ってあります。
　6月18日（木）みんなでお年寄りにあげる折り紙を折りました。おうちにありましたら、牛乳パックを持たせてください。

　報告は毎日。先生も大変だ。続けて今日の所を読んでみる。

　6月19日（金）昨日に引き続き、折り紙をしました。途中で、ゆうた君とけんかをしました。仲直りをしましたがリナちゃんは納得できないようです。ですが、それも成長です。

　ゆうた君とのけんか。リナのご機嫌斜めはこれか。ブランケットの隙間から、尖った小さな唇とぷっくり膨れたほっぺが見えてる。生まれてまだ3年しか経ってないのに、もう人間関係で悩んでいるのか。生意気というか、いじらしいと言うか。