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「それはさ、防衛本能ってやつだと思うよ」
隣の席のチャッキーは、ゆっくりと静かにそう言って、カクテルグラスを傾けた。ブルームーンという名前らしいけれど、どうみてもすみれ色だ。
「防衛本能? どういう意味すか?」
わたしが聞き返す前に、カウンターの向こうのリョータが、さりげなく灰皿を替えながら尋ねる。
「なにもかも抱えてたらパンクする。いろんなこと忘れるのは防衛本能ってこと」
長い前髪を掻き上げ、チャッキーは目を細めて笑った。彼にも抱えきれずに忘れてしまったことがあるのだろうか。
顔見知りというだけで、わたしはチャッキーのことをなにも知らない。何故チャッキーと呼ばれているかさえも。ここはそんな場所だ。
話題なんてなんでもよかった。さっき猫を拾わなかった話を、バーテンのリョータになんとなく零した。
「まあ、罪悪感とか言ってても、どうせそのうち忘れるんだけどね」
わたしがそう言ったら、隣の席のチャッキーが会話に入ってきた。それだけ。
わたしは今、いきつけのバーにいる。と言っても、飲みに来たのは約一ヶ月ぶりだ。来店するなり、リョータに「ご無沙汰っす」と迎えられてしまった。
雨に濡れた体をシャワーで温めたのに、わたしはわざわざメイクをし直して、再び冷たい雨の街に繰り出したのだ。誰かと無性に話がしたくなったから。
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