猫を拾わなかった話。

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 一体、なにに似ているんだっけ。  ネオンサインや車のヘッドライトが、雨に溶けて滲む。それは水鏡になったアスファルトにも艶やかに映り込み、夜の街を光で揺らめかせている。  その様子はまるで……まるでなんだろう。これとよく似た光景をどこかで見た気がするのに、少しも思い出せない。  結局思い出せないまま傘を広げ、駅を出発した。残業している間に降り出した雨は、満員電車に揺られたあともまだ止んでくれる様子はない。  駅前は飲み屋街で、こんな天気でも変わらず人で賑わっている。けれど、雑踏は雨音がかき消し、ザーッという音だけが響く。完全な静寂とは違うこの静けさが、妙に心地いい。  今から帰る場所──ひとり暮らしをするわたしの部屋は今、完全に沈黙している。先月、男と別れたからだ。  不意に訪れた孤独は部屋を無音にした。テレビや音楽を好むのは彼の方だったから、隣にいなけりゃ流す理由もない。けれど。 「ごめん、別れてほしい」  あの日の彼の声は未だに残響している。音のない部屋にも、頭の中にも。  だから、雨音のノイズは悪くない。いっそ、余計なものを全てかき消してほしい。
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