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特別な薬剤を投与されて、脳に電極とチップを埋められて、私たちは楽園に至る。現実世界の重い肉の袋から永遠に解き放たれて、鳥のように身軽に、美しく飛び回り、時々さえずる。0と1で構成されたケージの中で、私たちは幸せだった。
苦痛を感じるための神経系も、とうに失われて。
楽園の様態は、あらかじめ多数決で決められる。
と言っても、全員一致のルールがあるので、少数派が蔑ろにされることはない。一人でも反対すれば、その案は却下されることになっていた。だから、
「『天気はずっと晴れにする』というのはどうですか?」
とコロニーの登録者の一人が提案したとき、私には拒む権利があった。でもそうしなかった。同じコロニーの人たちはみんな、私と同じくらい若かったのに、死ぬ間際とは思えないほど、とても活発で聡明だった。まるで誰かに対抗しているかのように。死ぬ時に寂しい死に方をするのは敗北だ、とでも言うように。怠惰な者が惨い最期を迎えるのは当然のことだ、とでも言うように。
『たまには雨が降った方が、風情があって素敵なんじゃないかしら?』
と、そんなのどかなことを言う者は誰もいなかった。もし、誰でもいい、誰かがそう言ってくれたなら、私はきっと賛成したのに。
みんな、とても真剣だった。
大学や大学院を出た人も多くて、あらゆるデータや文献をもとに議論を交わし、真剣に、ひたむきに、熱心に、自分たちだけの最高の楽園を作ろうとしていた。でも元々似た考えの人が多かったため、意見が食い違うことはほとんどなく、議題は主に『どうすればもっとより良くなるか?』についてだった。そんなところへ、高卒の引きこもりだった場違いの私が、ちょっとした思いつき程度のことを言って口を挟む権利なんて、あるとは思えなかった。
そんなわけで、楽園からは雨が消え。
代わりに永劫変わらない、快晴の天気だけが残されることとなった。
朝起きて青い空を見上げると、私は少し寂しいような気持ちになる。雨が降らないから、というのも勿論だったが、青い空そのものが、どこか寂しげに見えた。まるで「お前なんかどっか行ってしまえ」と喧嘩が絶えないものの、それでも長いこと付き添っていた老夫婦が、ある日突然本当に離れ離れに引き裂かれてしまって、片割れがしょぼんと元気なさそうにしているのを何にも出来ずに見つめるしかないような、そんな物悲しい気持ちになる。
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