孤雨

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ここまで降るとは思っていなかった。 明朝の天気は快晴だった。だから、彼はろくに雨具も持たずに山へ踏み込み、降りしきる豪雨に、こうして体力を奪われていた。 陰鬱な気分を込めて、彼は24回目の溜息を放つ。と、その時、木々の間から小さな洞窟の入り口が見えた。彼はゆっくりとそこへ向かうと、一時躊躇ってから突入する。 洞窟には、同じく雨宿りらしい先客――水色のパーカーを雨に濡らした、酷く華奢な少女がいた。多分、好物は砂糖水だろう、と青年は無遠慮にそう考える。 少女はじっと体育座りをして、顔を伏せている。黒々しい長髪に阻まれて、その表情は窺い知れない。 「ちょっと失礼」 一応、断りを入れた後、大量の水を吸ったコートを、大儀そうに脱ぎ捨てる。次いで、背負っていた猟銃をカランと転がすと、少女は驚いたように面を上げた。 彼女はその猟銃と、青年とを瞬時に見比べ、「あっ」とだけ声を漏らして呆然としていた。しかし、それから幾許もなく、ギロチンでも待つかのように、また頭を垂れた。 「いや、別に殺しはしないって」 我ながら間抜けというか、妙な感じのする言葉だった。青年は苦笑しつつ、猟銃を足で遠ざける。そうでもしないと、少女が安心しないと思ったからだ。 「君に危害を加えやしない。僕は只、ここで雨宿りしたいだけなんだ」 少女は一瞬だけ驚いたような顔を浮かべた後、皆目毛頭意味が分からないように首を傾げた。え、殺さねぇの? と。 「……寝ぼけてるのか?」 正直に尋ねると、ふぅ、というか、はぁぁぁぁと大きく息を吐かれた。それに続き、彼女は急に恥ずかしくなってきたようで、病的に白い頬を僅かながらに紅潮させた。 その姿は中々可愛げがあったが、物騒な思考をする少女だと、青年は少し訝った。改めて観察すると、彼女は13、4歳くらいに見える。それくらいの年齢だと、常に死は傍らにあるものなのだったっけ? 「怖がらせた後で悪いが、ちょっと寝るから、雨が止んだら起こしてくれないか?」 青年が素っ気なく尋ねると、少女は慌てて2度、3度と頷いた。依頼を承諾した、というより、一先ず応答してみた、という感じだ。 「雨が止んだら、な」 念の為に繰り返し告げて、青年は少女と反対側の壁際に寄り添い、コートと腕を枕にして転がった。 雨音も勢いを増すばかりで、安眠は望むべくもなかった。とは言え、死んだように眠るのが彼の特技だったし、羊の遺骸を72個積み重ねるまでには、どうにか意識を失えるだろう。 と……実際、彼は持ち前の楽観的な性質を発揮し、5分と経たずに外界への興味を失い、すっかり剥離してしまって、眠りについた。 しかし、その寸前に、 「お休みなさい」 という少女の声が聞こえた。雨の中でも妙に響く、甘美な、そしてそれ以上に、どこか悲しい声だった。
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