帰省

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 雅人は頭の痛みで目を覚ました。体勢を起こす。ごつごつとした手触り。湿っている。背中が硬い物の上で寝たために、軋むような痛みを発していた。辺りが暗い。視界が非常に悪い。鳴り響く轟音。目が見えなくなってしまったのだろうか。まばたきを幾度も繰り返す。瞼を閉じているときと、開いているときにわずかな差を感じた。差し込む光がある。視界のない中、注意を払って立ち上がる。不安で中腰になってしまう。全身に感じる疲労感。ぐっすり眠れてはいなかったのだろう。壁づたいに歩く。足場が滑りそうな岩のため、何度も転びそうになる。焦りを感じるが、視界不良と足場の悪さ、加えて全身の疲労感が雅人の足を重くさせた。洞窟、だろうか。なぜ。洞窟の入り口が確認できた。視界を塞ぐほどの豪雨となっていた。これでは出られない。洞窟に響いていた音は、この雨のようだ。入り口から入ってくる光で自分の身なりを確認する。頭の痛みを気にしていたが、ケガのようなものは見当たらない。存外、頭も岩場で寝ていたことによる痛みだったのではないかと思い直した。雅人は仕方なく洞窟の奥に戻ることにした。入り口に近づいただけで、吹き込んだ雨が雅人の全身をずぶ濡れにしていた。気温はそれほど寒くないが、濡れ続けることは体力を奪いそうだった。どうして、こんなとこにいるのだろう。雅人は近い記憶を辿る。  雅人は人の少ないバスに揺られていた。雅人は免許も車も持っていたが、地元へ帰省ためには毎回電車とバスを利用していた。理由としては、雅人の実家が山奥にあり、雅人の運転技能では不安があったからだ。雅人はペーパードライバーとまではいわないが、職場へも電車通勤を利用していて、休日も習慣で電車を使うことが多く、車の利用頻度は多くない。給油も数ヶ月に一度しか必要にならない。それでも、毎年の納税をしてまで車を持っているのは、雅人が大人なら車を所有していることがステータスだと捉えていたためだ。自分でも古風かなは思ったこともあるが、今のところ車を手放すつもりもない。  今回の帰省は職場の都合による連休が発生したためだった。雅人の会社は小さな企業で、社長を含めて社員は十名ほどだ。作業は親会社から任される事務仕事の類だけだったので、人数に不足もなく、比較的楽な生活だった。今回の連休は、親会社の重役が自動車事故で亡くなってしまったことに由縁する。しかし、喪に服して、という意味ではない。その重役が事故にあった際に、バックアップのない雅人の会社への業務依頼のデータの入ったタブレットを破損したためだった。困ったのは親会社で、重役が取りまとめていた業務が分かるものがおらず、何を委託していたのか、具体的な部分まで把握できている者がいなかった。取り急ぎ、確認を進めているそうだが、社長と専務の二人が親会社に出向く他、業務がなくなってしまった。残された社員は使える機会のなかった有給休暇を消費することとなった。会社が傾くかどうかは今後次第となるが、雅人に出来ることはなかった。不安がる同僚もいたが、雅人は元来楽観主義で、どうにかなると思っていた。  実家に帰省してからは退屈な数日が流れた。規則正しい食生活によって生活スタイルは健康的になったが、いかんせんすることがない。食べては眠りの日々だった。雅人は無趣味で、元から暇をもて余すことが多かった。休日は家事全般に取り組むことが多く、それすら取り上げられた実家では、日がな雲の流れを目でおうくらいしか時間を潰す術がなかった。そんな雅人を心配した両親が町内開催の山菜採りに参加を促してくれた。雅人はそれで時間が潰れるなら、と興味のないながら参加することにした。  実際に山菜採りに参加してみると、意外と楽しく、先生役の老人が簡単に採集していく様は苦戦する雅人にかっこよくも見えた。山菜には毒素のあるものもあり、参加者は都度先生に声をかけた。雅人はそのなかでも食べられる山菜を数種覚え、自力で作業に励みだした。雅人は仕事の事務作業でも一度没頭すると就業時間いっぱい取り組むこともあった。その集中力相まって、やっと能率が上がってきていた。気がつくと、一人集団を離れていた。そこは地元だから大丈夫だろう、と持ち前の楽観的な考えで気にしていなかった。  雅人は近々の記憶を思い返しながらも現状につながらないことをもどかしく思った。そして、考え事をしたためか、空腹を感じた。手荷物を確認する。それなりに採集したはずの山菜はもちろん、食べ物は全くなかった。明るいところへ移動するも、洞窟にも当たり前に食べ物は見当たらなかった。岩間のコケを確認した。これは、食べたくないな。洞窟の入り口まで歩みを進め、雨水を飲む。雨の勢いが強く、また濡れてしまう。雅人は頭を降って髪の水を払う。しかし、案の定そこまでの効果がなく、逆に疲労感が増した。犬や猫は、これでよく我慢できるな、と感心した。自分もそれくらいの気持ちの持ちようができないものか、と考えた。  寒さを感じ、自分の体温を最大限活用できるように体を小さくしてしゃがみこんだ。疲労からか、空腹ながらもうつらうつらしてきた。雅人は木々の合間を縫うように歩きながら目当ての山菜を順調に取り上げていた。山菜採りといえば背中に大きな編みかごを背負う印象だったが、今回は腰の辺りにビニール袋をくくりつけていた。あまり雰囲気はでないが、そもそも、山菜を背負うほどのかごいっぱいに取っても食べきれない。ビニールはそれなりのサイズで、それいっぱいに採れれば両親ともども一食分になるのではないかと思われた。雅人は視線に気づいた。振り向く。視線が重なった。唸り声。牙と爪が見えた。人間とは思えない。それが立ち上がった。大きい。体格差は倍にもなるだろう。怪物、そう思った。怪物は雅人との距離をものすごい速度で詰めてきた。雅人は驚愕のまま動けない。  なりやまない轟音で目が覚めた。夢を見ていた。なんだか怖い夢を見ていた気がした。空腹感が夢を思い出す思考を遮った。どのくらいここにいるのだろう。雨は降り続いているようだ。このままでは飢えてしまう。楽観的な雅人も少しだけ焦りを感じ始めた。決心をする。あの雨だ。長く出歩けば疲れはててしまうだろう。それでも、誰が洞窟に閉じ籠っている雅人を見つけられるだろう。いつからここにいるかはわからないが、きっと山菜採りの参加者が自分を探してくれているに違いない。洞窟の外へでよう。幾度か往復した洞窟は視界が悪いながらも歩き方がわかってきた。転倒しかけることもなく入り口へ。一呼吸してから雅人は洞窟の外へ一歩踏みでた。  雅人は震撼した。洞窟から歩みだした一歩目。足場がない。雅人はなんの引っ掛かりもなく自然に落ちていった。ものすごい雨が雅人に呼吸すら許さない。衝撃。水中。深く沈みこんでしまう。息苦しさでもがく。なんとか水上へ。 「滝か」 川の流れに流されながら雅人は自分の落下した滝を眺めた。子どものころ度胸試しによく飛び込んだことを思い出して懐かしくなった。このまましばらく流されようかな。
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