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本編
おれは、もう、何も望まない。
望むものは簡単に手に入ったんだ。金も女も栄誉も、ほとんど全てが手に入った。いともたやすく。
たまたま拾った3000円分の宝くじは3億円になる。片思いは1日で両思いに変わる。おれが山を張ったところがテスト範囲になる。運動部に入って1週間もあれば部内で2、3番目くらいにはできるようになる。できてしまう。いともたやすく、簡単に。
ただし全てが都合よく行くわけではない。
手に入ったものは簡単に失ってしまう。どうしてこんなにもたやすく失ってしまうのか、と思ってしまうほどに。
裏で借金をしていた父親は俺が稼いだ金を持って蒸発した。付き合って1ヶ月の彼女を同じクラスの男に取られた。テスト範囲をそれなりに勉強してもテスト前から熱が出る。大会直前に利き手を骨折して他の奴が良い成績を残す。
どうしてこうなってしまったのか。
ある日クラスメイトが急に吐いた。スマホで動画を見ている時に、動画が映っているスマホに。
本人に悪気がない事は分かってた。そいつとはそんなに直接の関わりはないが、悪い印象は特にないし、少し後ろめたい気持ちもあったこともあり特に怒りだとかは沸かなかった。ただ流石に気持ち悪かった。気分が悪い。そいつに対する感情はないが、状況に対しては最悪だと思った。
おれは望んだ。最悪が覆ることを。ここまで漠然とした望みは初めてだった。ほんの少し良いことが起きれば良いと思った。失ってしまうリスクなんて考えてなかった。ここでの最悪は「最悪な状況」のことであったと今ならわかる。そしてそれは最悪ではなかったのだと。
今日は最悪だった。いまだに気持ち悪さがとれない。足取りが重い。家はもうすぐだというのに。でもそこの曲がり角を曲がれば「ミユキ」の表札が見える。しかし見えなかった。曲がり角を曲がっていないから、ではない。それより先に「赤」が見えたからだ。「橙」に近い赤が。しかも揺れている。俺が向かっている場所を、家族とご飯を食べる場所を、勉強する場所を、自慰をする場所を、俺が帰るべき場所を、その「赤」は「黒」にしていた。意味が分からなかった。
意味が分からなかった。何であの家が燃えているんだ?おれは最悪が覆れば良いと思っただけだ。なのになんで?
あ。「最悪」が覆ったんだ。おれが思った最悪よりも、さらなる悪いことが起きて「最も悪いこと」が更新された。おれが望んだから?こんなこと望んでない。こんな…
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