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ソロよりもユニコーンの頃の民生が好きという点でも私たちは一緒だった。八〇年代バンドブームサウンドの手習いみたいな初期、へんてこでシニカルな個性が花開いた中期、個々が音楽性を突き詰めた結果、分裂していった終末期。全てひっくるめてみどりは好きだといった。私も一緒だった。 私たちはすぐに仲良くなり、当たり前のようにバンドを組んだ。 パートを決めるとき、みどりは言った。 「ギターかベースかドラムならできるよ」 私は驚いた。そして民生みたいだと思った。 「ピアノは? できないの?」 できるはずだと思ったのだ。私がそう問うと、 「ピアノはいい」 みどりは目をあわさずに言った。 「くるみがやるといい。阿部ちゃんだよ」 それから私の方を見て笑った。 阿部ちゃんはユニコーンのキーボード担当で、おちゃらけ担当でもある。ルパン三世やフレディ・マーキュリーの変装をしてステージに立つ彼の姿を、古本屋で収集した音楽雑誌でみた。そこだけ切り取ったら目立ちたがりの調子乗りだ。 けれど阿部ちゃんは途中から加入したから、そうやって自分の位置を確立しようと一生懸命だったのだと思う。ボーカルなのに前へ出たがらない民生に代わっていたともいえる。それはとても客観的な行動だ。そういう意味で私は阿部ちゃんを尊敬していた。 そうして私はキーボード担当になった。そんだけ民生好きなんだったらやるしかないでしょ、という周りの推薦でみどりはギターボーカル担当になった。
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