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2階の窓から覗く木々は炎を宿しているかのように紅い葉を広げ、前の大通りを照らす演出の一部になっていた。ゆったりとした風に吹かれながら微かな音を立てる葉を見て藤井和宏はため息をついた。この完成された秋を拝むのも、今年で最後だろう。 藤井が余命半年と告げられたのは今年の夏であった。 帝堂製薬株式会社は日本国内で最大手の医薬品メーカーとして常にトップを独走している。計2万人の従業員を抱える医薬品会社の代表取締役会長に就任してから3年で一部上場企業となったために、藤井の周りを囲う者たちは多かった。 東京都は港区、南青山4丁目に構えた藤井の自宅は土地面積約350平方メートル。102坪の地下を含めた3階建はイベントホールのような外観で、12億の価値に見合った城だ。 徐々に富と地位を築きあげ、齢57になった藤井は肺がんのステージ4に上り詰めていた。 若い頃は全てを手に入れたいと考える。唸るほどの欲望があって、それを叶えるためにあらゆる手を尽くすのだ。時には飾って、時には情けなく。遠くの方で霞む夢や希望は大抵の人間が道半ば諦めるだろう。しかし藤井は掴んだのだ。薄い雲に包まれた掴み所のない靄の塊。勢いよく手前に引きずり込むと、そこには居心地の良い世界が広がっていた。 溢れるほどの札束、1000人が優にくつろげる土地、虫のように集る実った女性たち。全てを手に入れた時、藤井は50歳、人生のターニングポイントに立っていた。それがゴールまで最短の道のりであることを、今となれば理解出来る。明智光秀は三日天下といったが、自分は7年天下ということだろう。 慣れることのない遺書を書き留め、藤井はキングサイズのベッドに沈んだ。自宅療養とは名ばかりである。ゆっくりと死を待つ自由時間だ。だからこそ藤井は充実した余生を過ごすことにしたのだった。 ベッドの脇に置いた電話が鳴る。ゆっくりと白い受話器を取って皺だらけの耳に当てた。 「お客様です。」 この家に長いこと仕える使用人からの連絡だった。涼森麗佳は30代半ばにも関わらず色気のある女性だ。その柔らかな声に藤井は答える。視線の先で紅い葉が空を切るように靡いていた。 「名前は。」 「三園朱莉様です。」 分かったと言って電話を切る。時刻は朝の8時を回ったところだ。食欲も睡眠欲もなくなった藤井に残されたのは靄のような性欲のみである。しかし彼のペニスは今や用を足す以外の役割を果たしていなかった。欲望と体が反比例する。若い頃の自分に言えば腹を抱えて笑うことだろう。 真っ白な扉を開けて三園は微笑んだ。自分の秘書を長年勤めてきた彼女とはもう5年の付き合いになる。体の関係に発展したのもその頃からだ。 淡いピンクのブラウスシャツは胸元を開けて白いデコルテを見せている。白いレースのスカートは肌にぴっちりと張り付いて、薄い花柄を施していた。小動物のように可愛らしい顔立ちではあるがどこか凛々しい。丸々とした目に鼻筋は長く、薄い唇は笑うと吊り上げられたかのようだった。黒くしなやかな髪を束ねた彼女はベッド脇の白い革の椅子に腰掛けた。 「会長、調子はどうですか。」 「おいおい。2人の時はそうやって呼ぶなよ。」 華奢な指を手に当てて微笑む。三園は40代前半になっても街中でスカウトに声をかけられるほどの美貌だった。 「そうですね、和宏さん。」 「この後仕事だろう。すまないな。」 「いいえ。和宏さんの頼みですから。」 そう言って三園はゆっくりと立ち上がった。スカートの裾から伸びる細い足。 「ちょっと待ってくれないか。」 毛布の中に手を忍ばせる。ネイビーのシルクニットの裏に眠る柔らかなペニスを探った。力無く恥骨に垂れて一切硬度が宿らない。藤井はため息をついて最期の作業に取り掛かることにした。
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