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水たまりに消えた指輪
僕は、雨が嫌いだ。
服は濡れるし、傘は長くて重いから止んでしまえば荷物になるし、傘を差していると自ずと普段より少し行動が制限されるし、洗濯物が乾かないし、地面の湿った臭いが苦手だ。
土砂降りなんて、言語道断。気分までも、最悪。
朝から降られた日なんか、早く一日終わってほしいと思うほどだ。
大切な日に降られたら、もう終わりだ。
だから、彼女がフランスにいる間は、どうか降らないで。
僕は、5年にも及んだ遠距離恋愛を終わらせた。
今日、彼女にプロポーズをした。
彼女は、泣きながら頷いてくれた。
ずっとずっと、このときを待っていた。
やっと、最愛の人と一緒になれる。
とっても甘くて幸せな夜を過ごした後に、迎える朝なんだ。
どうか、明日は雲一つない晴天でありますように。
カーテンレールの端に吊り下げたてるてる坊主に、目で念を送った。
そして、僕の隣で眠る、彼女の頬にくちづけを落として、瞼を閉じた。
「ああ、最悪。雨だ。しかも、土砂降り」
「ほんとだね」
「雨、はやく止んでくれないかな」
「ほんとだね」
「君の行きたがってたカフェ、開店前から列が出来るくらいだから、あと30分後には、ここを出ないとまずいんだよな」
「ほんとだね」
「ねえ。さっきから君、『ほんとだね』しか言ってないよ」
「ほんとだね」
「ほら、また言った。君が行きたいって言ったのに、さっきから他人事みたいな言い方して。行きたくないの?」
「行きたいよ。でも、私は今日行けなかったとしても、それはそれで悔いないかな」
「どうして?明日、帰るんだよ。あんなにしつこく行きたいって、僕に言ってたじゃん」
「うん、そうだね。でも、私はこの雨が止まなくてもいいかな。あなたと一緒にいられれば、もういいかな」
「え、じゃあ、カフェの次に行きたいって言ってたショコラトリーは?」
「明日、帰る前に寄れたらいいかな。ダメだったら、あなたが日本に帰るときに、お土産として買ってくればいいじゃない」
「あんなに楽しみにしてたのに、ずいぶんとあっさりしてるね。諦めの悪い君がこんなこと言い出すなんて、明日世界が終わっちゃうんじゃないかな」
「もう、ひどいな。私はただ、嬉しかったの。あなたとずっと一緒にいられるってわかったら、今日が最後なんて思わなくなった。今日行けないなら、あなたといつか行けばいい。そう思ったの」
「そうだね。ダメだったら、また行けばいいか」
「そうよ。また行けるって思えたら、楽しみが増えたみたいで嬉しいわ。視点を変えれば、世界は変わる。ほら、この雨だって、キラキラ輝くカーテンみたいで素敵じゃない」
「ほんとだ。土砂降りが、ロマンチックに見えるね」
「ね、素敵でしょ。止まない雨のおかげで、いい思い出が出来た。これから先指輪を見たら、きっと今日の雨のことを思い出すんだろうな。そして、”雨の世界に行ったことがあるの。最愛の人と二人きり、雨のカーテンがとっても綺麗だったわ。この指輪は、雨の雫の指輪なのよ”って、子どもに話すの」
「そしたら、”雨の雫の指輪が欲しい”って、言われちゃいそうだね」
「そしたら、”ダメ、これはママの宝物よ。あなたも、いつかきっと素敵な人から渡される日が来るわ”って、言うわ」
降り止まない雨を眺めながら微笑む彼女の横顔を見て、僕は彼女と生きていくこれからの世界は、傘のいらない晴れやかなものになると確信した。
彼女がいれば、どんな日も、どんな天気も、ロマンチックで素敵な景色に変えられる。
「雨、弱くなってきた」
「ほんとだね。雨の世界も消えそうだし、そろそろ出掛けようか」
「うん。カフェと、ショコラトリーに行かなきゃね」
「あと、エッフェル塔と凱旋門もね」
「今日行けなくてもいい、なんて言ってたのに。さっきと言ってること、逆だよ?」
「だって、行けなくてもいいって一度諦めておいた方が気が楽になるし、天気が悪くてもイライラしなくなるじゃない。でも、せっかく行けるなら、時間が許す限り、欲張らなきゃもったいないわ」
「やっぱり君は変わらないね。安心したよ」
「ちょっと会わなかったくらいで、私は変わらないわ」
雨が上がり、僕たちは彼女の行きたがってたカフェも、ショコラトリーにも、行くことが出来た。
そして、エッフェル塔と凱旋門にも行った。
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