序章

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 まだ”イルザ”として生まれる前――私は、普通の大学生だった。  容姿も人並みなら、成績も身体能力も平均点。平凡そのものだった。  特別仲の良い友人もいないし、特別仲が悪い人間もいない。だからこそ、集団の中で悪目立ちすることなく、淡々として日々を過ごしてこられた。  ただ1つ、他の人達より目立つ部分があったとしたら、それは『何でも屋』とあだ名されていたことだろうか。そんなあだ名の学生はまずいないだろう。  どうしてそんな二つ名がついたか? 言葉通り、何でも引き受けていたからだ。  何かに熱くなることがなく、特定の趣味もない、部活にも入っていない、親から命じられた義務的な習い事すらなかった。そんな私は、高校生になっても周囲と比べて時間的余裕があった。  だから忙しい人を見たら、その頼みごとを極力引き受けるようにしていた。授業のノートを写させてあげるなど日常茶飯事だった。頼み事は宿題のコピー、掃除当番の交代、日直の仕事の肩代わり、部活動の助っ人等々、多岐にわたった。  大学に入れば、そういった”何でも屋”はさらに重宝された。皆、サークル活動に友達付き合いにと今まで以上に忙しくなる。そうなると、高校よりもずっと難しくて面倒なレポート課題や授業参加が疎かになってくる。  ”何でも屋”の需要は高まるわけだ。  別に積極的にやっていたわけではないが、高校以上にひっきりなしに声が掛かるようになった。そして、基本的に断らなかった。私には、彼らほど夢中で取り組む”何か”はなかったから。  ただ、高校の時のように無料でホイホイ引き受けるのはいくら何でも割に合わないと気付いて、報酬を受け取るようにした。彼らの事情で彼らの卒業要件に関わることを肩代わりしているのだから当然だろう。  私が報酬として求めたもの。それは熱中するものなど何もなかった私が、唯一熱中できた趣味とよべるもの……乙女ゲームだった。  スマホアプリの広告をうっかりタップしてしまい、詳細情報を見て、思わずインストールしてしまって、思わず最後までプレイしてしまった……それが始まり。最初は無料のアプリだけだったが、色々なタイトルをプレイするうち、それだけでは飽きたらず、多少高額だがコンシューマーゲームのソフトにも手を出すようになった。結果……さらにのめり込んだ。  別に恋愛がしたいわけじゃないけれど、画面の向こうで展開する様々な恋の物語に、完全に心を鷲掴みにされてしまったのだ。そこに描かれているのは美しい情景や、目の保養になる美男ばかりではない。攻略対象たちとの時に切なく時に心温まる恋模様、そこから滲み出る人間ドラマ、そしてすべての物語を読み解いていくと露わになる壮大な世界観。時にはそこに暗い陰謀が潜んでいることもあり、まるで恋愛ドラマとヒューマンドラマ、そしてサスペンスまでも一挙に楽しめる一挙両得を越えたエンターテイメントだった。  それ以来、私はレポートなどを代行する際には、報酬として乙女ゲーム(廉価版や値下がりした中古)、もしくは新作を入手する足しになるだけのお金を要求するようになった。もちろんアルバイトはしていたが、この裏稼業のおかげでだいぶ心も懐も潤っていた。  大学生になって初めて、”目的”ができたのだ。何かをしたい、そのために何でも頑張れるという”目的”が。
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