てんきゅう

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「愛とか恋とか切ないとか、軽率に使いすぎ。だから詞がチャラいんだよ」 オレの書いた歌詞に対する盛大なダメだしが聞こえた。 あまりにまっすぐな指摘で、逆に潔い。 気づけば天気雨が降っていた。 傘を忘れたものだから、雨が止むまでの時間つぶしに、オレはバンドで歌う曲の歌詞を教室で書いていた。 顔を上げると、同じクラスになったのに、6月までこの方マトモに話したことのないヤツが目の前にいる。 怪訝そうな顔をしてオレの歌詞をのぞきこんでいた。 窓から入る湿った日の光を受ける顔。 こいつも音楽をやっているが、オーケストラ部で、担当はバイオリンだ。自己紹介で言ってた。 そんなヤツがバンドなんかに興味を示すなんて思ってなかったから、オレは少し呆気に取られた。 「なに間抜けな顔してんの」 女みたいに綺麗な顔してる割にこいつはなかなかに毒を吐く。 「いや、びっくりして…」 「自分の歌詞センスのなさに?」 「おまえなあ…」 「その曲の楽譜ある?」 「あるけど」 「見せて」 言われて、オレはまだ下書き段階の楽譜をそいつに渡した。 おもむろにケースからバイオリンを取り出し、顎と肩で挟み、弓を構える。 弾くのか? クラシックとは方向性が違いすぎるバンドの曲を、こいつが? 何も言えずに見つめていると、弦が響きだした。 それは、オレが思い描いていたこの曲の音よりもやわらかくて、優しくて… そう、ちょうどこの、天気雨の中に輝く白い光みたいな。 未知の何かに遭遇できたワクワクと、ふんわりした気持ちが入り交じる。 弦が奏でる流れに、目をつむって、身をゆだねた。 「…音はなかなかいいんじゃない? バラードだよね、これ。おまえが作ったの?」 「いや…」 「なんだ」 つまらなそうな顔をしたこいつに、なんだか無性に腹が立った。 「だからせめて! 作詞、したくて…」 「ふぅん…」 それ以上は特にオレをからかうまでもなく、そいつは窓の外に目をやった。 あまりに遠くを見つめているような目は、何を考えてるのかわからない。 「天泣(てんきゅう)…」 「え? テンキュー?」 「サンキューのまがいものみたいな発音しないでよ」 不機嫌に変わりはないが、どこかやわらかな雰囲気で言う。 なんだか、少しこいつと距離が近づけたような気がして…。 「なんだよ、その…てんきゅうって」 「天…つまり空が、泣くこと」 「え?」 「狐の嫁入り、お天気雨、こんなふうな」 「ああ」 「天が流す涙なんて、昔の人は感受性が豊かだったね」 また窓の外を見ながらつぶやく。 …あれ?なんだか言葉が溢れてくるような。 まとめることはまだ難しいけど、どうしても伝えたい何か。 愛とか恋とか使わなくても、それを示すような言葉…。 あるよな。すごくあたたかい陽だまりみたいな気持ちと、泣き出したくなるくらいどうにもならない気持ちを同時に感じることって。 すぐ隣にいるのに、心は地上と惑星くらい離れてるんじゃないかって、思ったりもして。 伝えたい想いがあるのに、それを伝えてしまったらきっと、今までのすべてが崩れ去ってしまうから…怖くて一歩踏み出せない、臆病な心を抱いて。 気づくと、思い浮かんだ言葉をがむしゃらに、ルーズリーフに殴り書いていた。 「詞、思い浮かんだみたいだね」 薄く笑ってヤツはオレを見る。 「その曲、できたら僕に一番最初に聴かしてよ」 ヤツは席を立った。 天気雨は相変わらず降り続いているが、校庭の木には小さな虹がかかった。 「僕がバイオリンを弾くから、おまえが歌って」 「…わかった」 「僕を満足させる歌詞書きなよ」 最後のひとことは余計だと思ったが、オレは教室から出ていく背中を見送った。 また改めて机の上の歌詞に向き合う。 白い光が文字に差し込む。 曲のタイトルは… 『天泣~てんきゅう~』
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