第1章 春

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 部活が終わった後は高一の四人で一緒に帰ることになった。これまで俺には同学年がいなかったから、それが一気に三人も増えたのはなんか変な気分だ。 「そういえば、立共の弓道部は中学大会に来てなかったよね。どうして?」  丘の上の学校からJRの山手駅まで続く石畳の坂道、通称芋洗い坂を下っているとき、伊澤さんに聞かれた。 「あぁ、うちはプロテスタントだからそういうの出られないんだ。日曜日は絶対教会に行く日って決まってて試合不可で」 「へ? 何それ?!」  伊澤さんは素っ頓狂な声を上げた。 「日曜に教会へ行くよう生徒にも指導してるから、その分土曜日が休みになってるだろ。でも日曜日に対外試合ができないと、高体連(全国高等学校体育連盟)には入れてもらえないし、どこの弓道大会にも全然参加できないんだよな」 「じゃあせっかく弓道部あるのに、インターハイに行けないってこと?! ありえないでしょ!」 「俺に怒んなよ。神様の教えなんだから誰も逆らえねぇんだって」  聖書に書いてあるのだ。天地を創造した神様が7日目に休憩した、と。  だから日曜日は我々も神様と同じように日常の全てのことをお休みして教会へ行かなきゃいけない。もちろん本当に行っちゃうようほどの信仰心のある生徒なんてほぼ皆無なんだけど、キリスト教は建学の精神だからこの言いつけを破るわけにはいかない。 「じゃあさっき、五十嵐先輩が言ってた今後の試合の予定って……」 「あれは同じ方針のキリスト教系の高校とやる練習試合のこと。公式戦なんて一個もないぜ。秋の大会だけは関東近郊の学校が集まるから少し大きいけど、それでも参加するのは五校だな」  俺の説明に伊澤さんはすっかり顔色を失ってしまった。 「何よ……せっかく弓道部のある高校探して入学したのに」  その呟きで、彼女の考えは手に取るように分かった。  国大付属は小・中学校まではあるけど高校が無いから、外部受験をしなきゃいけなかったのだ。そして彼女は弓道部の文字だけを見て立共を受験してしまった。可哀想に、まさか高校体育の花形、インターハイに参加する権利すらない学校が存在するなんて思いもしなかったんだろう。 「週明けにあべっちにでもかけあってみろよ。多分無理だと思うけど」 「分かった。そうする」  伊澤さんは悲しげな顔で頷いた。 「でもインターハイ目指すなんてすげぇな。俺も負けないようにもっと練習しなきゃなぁ」  そもそもインターハイが念頭に無かったことはともかくとして、そうやってもっと上を、という気概も俺には無かった。男にしか見えないけど、この女の子、大したもんだ。  俺がひとしきり感心していると、何を思ったか徳井が急に歯を剥いて伊澤さんにくってかかり始めた。 「ちょっと待て。ユータを倒すのは俺の仕事だからな」 「はぁ?」 「あぁ。こいつ、俺の永遠のライバルらしいんだ。俺は今日初めて知ったけど」  無駄に吼えている徳井の頭を押さえつけて、俺は説明した。 「なんだか妙に仲いいみたいだけどさ、二人はどういう知り合いなの?」 「単に小学校の時に同じ塾だっただけ」 「それだけじゃねぇし」 「野球のことか? でもそんなに何度も対戦したっけ?」  俺がそう言うと、徳井はキーキー怒り出した。 「この野郎、いい加減に思い出せ! 俺と固く約束しただろ!」 「だ、だから、何も思い出せねぇって言ってんじゃねぇか!」  どれだけ考えても、模試の結果を持って俺のところへ来ては、大騒ぎしていた徳井しか思い出せない。そういえば当時から、こいつはどうしてあんなに俺と張り合っていたんだろう。成績なんて勝負にならない程の差がついていたのに。 「でも野球だったら、俺ももうやらねぇからな。今更勝負とか無理だぞ」 「ふん、もういい。お前が弓道を極めるなら、俺はその上をいってやるだけだし」 「……まあ、お互い頑張ろうな」  いまいちすっきりしない気分のまま俺が頷くと、徳井はちょっと考え込むような顔をした。 「弓道か……じゃあ明後日の流鏑馬(やぶさめ)でも見に行こうかな」 「あぁ、鶴岡八幡宮の奴?」  毎年4月の第2日曜に鎌倉祭りというイベントがあって、鶴岡八幡宮の境内では流鏑馬が行われる。あんまり興味が無いから忘れてたけど、たしか明後日の日曜だったはずだ。  伊澤さんが、渋い顔をした。 「それって私も一回見に行ったことあるけど、人の頭しか見えなかったよ」 「あれは本番じゃなくて、朝の練習の方を見に行くもんだぜ。空いてるからバッチリ見れる。俺は家が北鎌倉だから時々行くんだ」 「へぇ、じゃあ私も行ってみようかな」  伊澤さんは徳井の話に興味を示したようだったけど「でも、朝の6時からだぞ」と俺がツッコミを入れると言葉に詰まってしまった。  彼女は逗子から通っていて、それなら鎌倉までは横須賀線でたったの一駅なんだけど、どうやら朝は苦手らしい。 「しおりんはどう?」  ここで伊澤さんは一番後ろを歩いていた坂元さんを振り返り声をかけた。  彼女はこれまでのところ一切会話に加わってこなかったから、俺はうっかりそこにいることすら忘れていた。  話を振られた当人も「え? あ……ごめん。聞いてなかった」と苦笑を浮かべていた。 「明後日の日曜日、朝六時に鎌倉まで流鏑馬を見に行くかって話だよ」  伊澤さんが説明してやると、ここで突然不思議なことが起きた。それまで表情らしいものを浮かべてこなかった彼女が急に目を輝かせたのだ。 「鶴岡八幡宮で流鏑馬?! 行きたい!」 「え……マジで?」  まさかそこまで食いつくと思っていなかったから驚いた。  後の二人も呆気に取られていたけど「じゃあ、せっかくだしみんなで行こうぜ」と徳井が言い出し「それなら裕太としおりんと私は鎌倉駅に5時半集合。昴流は6時に直接八幡宮で」と伊澤さんには勝手に決められてしまった。  初日から俺たちはいきなり名前を呼び捨て。すげぇな、イマドキ女子ってこんな豪快なもんなのか?  伊澤さんには最初から最後まで驚かさっぱなしだったけど、もう一人の女子部員、坂元さんのことはよく分からないままだった。  夜にはさっそく彼女からのメールが届いたけど、自分の電話番号とよろしくお願いします、という一言だけ。  いや、部活の連絡用だからいいんだけどさ。  でもこれって俺にとっては女子から貰う生まれて初めてのメールだったんだけどな。  がっかりすると同時に、女子からメールを貰うというだけで知らぬ間にはしゃいでいた自分に嫌悪感を覚えた。  ……ったく。だから女子なんか嫌なんだよ。  味気ないメールを画面に残したまま、俺はスマホをベッドの上に放り投げると、その上へダイブしてやったのだった。  
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