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ミラッドが消滅し、町から町を移動し、逃げ回り続けて一週間が過ぎた頃。
陽が沈み、疲れが溜まっていたのもあって、休息を取ろうとレンガ作りの町で一番見晴らしのいい時計台に隠れた。頂上付近に登り、町の動きが見える窓辺に座っていると、夜闇に誘われるように、ウトウトしてしまった。
「おにいちゃん、だぁれ?」
声にハッとし、目を開けた。人間の女の子――恐らく、十歳ぐらいーーがきょとんとした顔で僕を見ていた。
咄嗟に彼女の口を覆い、瞬時に周囲を見回す。
人間はこの子以外には見当たらなかった。
女の子の口を強く押さえすぎたせいか、彼女は顔を真っ赤に染めた。
「あ、ごめん」
「もう、苦しかったよぉ! おにいちゃん、ラピス族?」
「そ、うだけど。何? どうするの、他の人間に知らせるようなら、ここからただでは帰せない」
彼女は、僕の真剣な口調に目をまん丸にして驚いた。
真っ黒の髪の毛に、ブラウンの瞳が揺れ、肌はやや黄色味を帯びていた。
「おにいちゃんの目の色キレイ…」
彼女は僕の瞳を覗き込んだ。
「僕が怖くないの?」
「なんで? おにいちゃんの髪も目もキレイだよ」
「そんな事、初めて言われたよ」
「そう? すっごくキレイ。わたしラズって言うの。おにいちゃんは?」
「僕の名前はノゼ。ノゼ=アウイン。僕がここに隠れている事、秘密に出来る?」
「ひみつ?」
ラズは目を輝かせて、僕を見た。
「できるっ! できるっ! ラズできるよ。おにいちゃん、お顔汚れてるよ」
彼女はポケットからハンカチを取り出して僕の頬を拭いた。花柄のハンカチに黒い汚れが付着した。
「ラズ、いいよ。そんな事しなくても、君のハンカチが汚れる」
「わたしのハンカチは洗えばキレイになるからだいじょうぶ、起こしてごめんね」
人間の子供なのに、獰猛さは感じなかった。
向けられた暖かい視線に僕は少しだけホッとした気持ちになった。
「わたしお菓子持ってるの。ノゼにあげるね。お近づきのしるしって言うんだよ」
「…難しい言葉知ってるんだな」
「えへへ、いいでしょ。ママが絵本で読んでくれて文字をお勉強してるんだ」
ラズの言葉に母を失った悲しみを思い出し、目頭が熱くなった。僕の表情の変化を察知してラズが不安そうに僕の顔を覗き込んだ。
「ノゼ、お腹いたい? だいじょうぶ?」
「……うん、大丈夫。ラズありがとう」
「いいえ、どういたしまして。このハンカチ、お菓子と一緒にノゼにあげるね。お顔まっくろだから、洗ってこれ使って」
ラズはハンカチとお菓子を差し出した。渡されたお菓子は銀紙に包まれたキャンディでミラッドでは高価な物として取引されていた。
「これ、すっごく高価なものじゃないの?」
「いいの。ノゼに笑顔になってほしいから。かなしいかおを見るのはやだもん。もうわたし達、友達、ね」
「でも、僕は君に何も返すものはないよ」
「いいの。わたしとお話ししてくれたから」
ラズはそう言って、にっこりと笑った。
その時、時計台の短針と長針が重なり、ゴーンゴーンと夜の町に鐘が鳴り響いた。
「こっそり家を抜け出して来たの。ここわたしだけのひみつ基地。でも、友だちだから仲間に入れてあげるね、あしたもここに来て。わたしとお話しよう?」
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