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ある事件の発生前
朝からずっと雨が降っていた。
カーテン越しに見える景色がずっと雨のままなので、大学に行く気にはなれず、アパートの部屋で過ごしていた。
ずっと降り続けているせいで洗濯をする気にもなれない。
このアパートで暮らし始めて一年が過ぎた。
大学入学を機に実家を離れた。いろいろ困ることもあったけれど、ここまでやってこれたのは颯斗くんの存在のおかげだ。彼の声を聞くことができるのだからちょっとやそっとの苦労なんて気にならない。
ニュースで来週には梅雨が明けると言っていた。もうすぐ夏がやってくる。特別な予定はまだないけれど、夏が近づくと聞くと理由もなく胸が躍る。
「ただいまー」
ドアが開く音がした。颯斗くんが帰って来た。
「おかえりー」
風も吹いているせいか、颯斗くんの靴は濡れて色が変わっている。デニムジーンズの裾も濃い色になってしまっている。
「あー、すっげー濡れた……」
「びしょびしょだね。かわいそう」
「オレだって経営財務の授業なければサボったのになー。もう出席日数がヤバイんだよな。オマエは家にいられていいよな」
「日頃からちゃんと出席しておかないからだよ」
「とりあえずシャワー入ってくるからなー」
颯斗くんはTシャツを脱ぎ、上半身裸で洗面所に向かう。
洗面所の向こうに身体が消えたかと思うと、すぐに顔だけがにょきっと現れた。
「モカも一緒に入るかー?」
「何言ってんのよ。バカじゃないの!」
颯斗くんは笑顔を残し、再び洗面所に消えた。
私はあのイタズラっぽい笑顔が大好きだ。大学一年の春に見かけたときからずっと大好きだ。
あの笑顔で私の名前を呼んでくれるなら、こんな幸せなことはない。
笑顔の余韻に浸っていたせいで、私は洗濯機を回し忘れていることに気が付いた。
窓の向こうはまだ雨が続いていた。こんな雨なら、颯斗くんはもう今日はどこへも出かけないだろう。
私たちだけの時間がもっと続けばいいのに。
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