その3

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その3

今日のライヴも面白かった! やっぱり、この雰囲気が最高だ。 地元じゃライヴハウスなんてものはなく、大きな駅まで何時間もかけて行かないとならない。それに優等生のフリをしてた自分に、夜遅くまでバンドを観に行くなんてことはできるわけもなく。 高円寺ではライヴが日常。いつも憧れだったバンドが目の前で毎晩のように躍動する。そしてその舞台であるライヴハウス。 バンドのスタッフとして都内各地のライヴハウスに出入りするようになって、少しずつ東京の地理を覚えてきた。いろんなライヴハウスがあって、どこも魅力にあふれてる。タダでライヴが観られるオマケもある。 けどこの高円寺、そして通い詰めている高円寺ギヤというハコに少しずつ愛着、愛情のようなものが湧き始めていた。だからチケット代を払ってでも、仕事帰りはほぼ毎晩ここに来るんだ。アルバイトを高円寺で見つけたのも同じ理由だ。 いい気分で帰れそう。バー・スペースに出てみると、出口に向かうパンクスの流れに逆らうように彼はまだベンチに座りこんでいた。 横にはもう一人、スパイクヘア(髪の毛を全体に逆立てたヘアスタイル)のパンクスがいる。確か彼と同じバンドのメンバーだ。 最後に挨拶して帰ろうっと。 近づいていくと、こっちから声をかけるより早く彼が話しかけてきた。 「お前、打ち上げ来いよ。」 「えっ?」 打ち上げ。 打ち上げって、打ち上げだよね。 ちょっと頭が混乱している。彼には今日、ずっとビックリさせられっぱなし。 「いいの?」 「いいとか悪いとかないだろ別に。」 「だって関係者の集まりでしょ。アタシ、バンドの人でも何でもないし。ただの客だし。」 「そんなの関係ねえよ。呼んでもいねえのに来るやつ、いっぱいいるからな。」 「そうなんだ。でもお店の予約とかしてるんでしょ、人数とか決まってるんでしょ?」 「俺は知らねえ。幹事がそいつだから。」 と言って彼はスパイクヘアの男にアゴをしゃくった。 スパイクヘアの男は優しく笑って会釈をしてくれた。落ち着いた雰囲気の人だ。イケメンだしオシャレ。やだ、ちょっとタイプかも。 「ここの上の『石川亭』って居酒屋でやるんだ。人数なんか毎回適当だからさ。直前で増えたり減ったり、店も慣れっこだよ。」 「そうか。でもアタシ…。」 「予定、あんのか?」 彼が口を挟む。 「いや別に何もないけど。でもアタシ、未成年だよ。」 二人の男はキョトンという顔をして、それから一瞬ののちに大笑いした。 「じゃあ、バレない様に黙っとけよ。」 「そんなこと誰も気にしないし、未成年でも店で食事するのは別に違法じゃないから。大丈夫だよ。」 「そっか。」 それ以上、何も言うことはなかった。行くことになってしまったみたい。 で、そこでお酒を飲んだかって?それは、ご想像にお任せします。 いったんギヤを出て、同じビルの横に2階へ上がる別の階段があった。こんな所に居酒屋があったんだ。 「石川亭」の中は予想以上に広くて、板の間なので足を伸ばせるのがありがたい。何よりも靴を脱げてホッとした。 打ち上げには確かに出演者以外にも誰だか分からない人が大勢来ていた。中には今日のライヴで全く見かけなかった人もいる。 スパイクヘアの彼はミッチという名前だった。「名前、何ていうの?」と聞かれて、ここでは誰にも名乗っていないことに初めて気づいた。 そういえばギターの彼の名前も知らなかった。忘れずに後で聞かなきゃ。 ミッチが手際よくみんなを着席させて、機材の片付けやら何やらでなかなか全員は揃わないけど、ややなし崩し的に(これも毎度のことらしい)乾杯が起きて打ち上げが始まった。 さっきまでステージに立っていたパンクスたちが、今はテーブルの向こうで料理をつついたりお酒を飲んだり、今夜のライヴの話から他愛もない雑談までざっくばらんに語っている。 バンド界隈の有名人も何人か来ている。みんな音源や雑誌で存在を知った人ばかり。 何だか変な感じがする。 今までバンド=ステージの向こう側の存在だった。こっちはライヴを観て、終われば帰る。ステージとフロアだけの関係だ。 それが急に目の前で「食事をしている」って。 もちろん、その中に入っていきたかった。その一員になりたかった。この展開は待ち望んでいたんだけど、それでもある種の「壁」を超えきれない思いがして、何だか気持ちがフワフワしている。 ミッチは非常に場慣れしていて、一人で来ているファンの女の子をまとめて一つの席に座らせた。 同じライヴを観に来た子だから、それなりに話も弾む。ちょっと楽しかった。 でもやっぱりこのグループに馴染むのには抵抗があるな。 群れに来たんじゃない。つるみに来たんじゃない。 バンドをやりに来たんだ。 ふと隅っこの席を見ると、彼はまた一人になっていた。 さっき見た時は別のバンドのメンバーに喧嘩腰で何かを話していた。相手が彼を持て余しているのは明らかだった。相手だった男は、今は素知らぬ顔で別の席で談笑している。 ここでも同じ。彼は一人でビールを飲んでいる。お皿には何も乗っていない。割り箸すらも手つかず。 ちょうどお鍋が運ばれてきていた。いい香り!野菜が嬉しい。このお店、安いけど料理はけっこう美味しい。 立ち上がると思いがけず足がしびれて転びそうになった。ゆっくりと足首を動かして血の巡りを良くしながら、そーっと彼の方へ向かった。 「また、飲んでるだけなの?」 こっちを見上げた彼の目つきはさっきよりトロンとしていたけど、鋭さは失われていない。でも険しかった口元がまた少しだけ微笑んだのは見逃さなかった。 「何だよ。」 隣に座ると彼はまたも体をずらしてこっちとの距離を取った。思わずクスッと笑ってしまうくらいの慎み深さ。 「全然食べてないじゃない。」 「いいんだよ、飲んでりゃ。」 「身体に悪いよ。」 「ほっとけ。お袋か。」 タンクトップはさっきのままだけど、今は上にくたびれた革ジャンを羽織っている。汗が渇いてかなり男臭い。彼は気にもしていないみたい。 手を伸ばして鍋のお椀を取り上げ、野菜を中心に多めによそった。彼のいるこのテーブルにはあまり人がいないので、鍋はかなり余っている。 「はい。」 彼の目の前にお椀を置いた。彼は投げ出した足をあぐらの形に正した。 「何だよ。」 「食べなさいよ。」 「お前、食えよ。」 「アタシも食べるから。一緒に食べよ。」 そう言って自分の分もよそう。 「ちゃんと食べてね。全部。」 彼はしげしげとこっちを見ていた。 一瞬、彼が怒り出すかと思った。彼の怒りのツボ、イライラのツボが何なのか分からない。 彼は不意にお椀を取り上げると、割り箸を口で割ってかき込むように鍋を食べ始めた。 思ったより熱かったみたいで、ふうふうと少し鼻をすすりながら黙って一所懸命食べていた。 熱さを我慢して黙っているのかな。 そんな彼が何だかおかしくて、ずっと食べているところを眺めていた。
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