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15 grain candy
数馬さんが漫画みたいに吹き飛ばさ、その横にいたあたしは真っ赤なコートの男を見た。
パーツ自体は悪くないのに、酷く醜い顔をしている。
何かの病気か、それかやはりドラック――サイコキャンディの副作用か。
じっと見ているあたしのことを、背の高い真っ赤なコートの男は見下ろしていた。
その歪んだ顔には、力が入っていないみたいだった。
そして、男の拳があたしに目掛けて飛んでくる。
あたしは避けたつもりはなかったけど、怖くて腰を抜かしてしまったのがよかったのか、男の一撃は空を切った。
そのパンチは、女のあたしから見ても分かるくらいブサイクなものだった。
素人丸出し。
喧嘩など一度もしたこともない人間が放った攻撃だ。
腰を抜かしながらもあたしは、この人は今まで生きていて殴り合いなんてしたことがないのだろうと思っていた。
だけど、スピードだけは速い。
あの強そうな数馬さんが吹き飛ばされたんだ。
あたしはなんとか立ち上がって、その場から離れようとすると、男がいつの間にか目の前に回り込んでいる。
速い、速すぎる。
男の拳が今度こそあたしの体を捕らえた。
オーバーアクション極まりない、子供がやるような一撃。
だけど、そんな幼稚な攻撃でも避けられなかった。
背中に喰らい、その場に叩きつけられる。
まるでコンクリートの壁にぶつけられたみたいに、呼吸ができなくなる。
うずくまったままあたしは男を見上げる。
あたしはトートバッグに入っている小箱から、オレンジのグラデーションカラーの飴玉――サイコキャンディを出そうとした。
これさえ飲めば助かる。
もうそれ以外の方法が思いつかなかった。
だけど、あたしが小箱を持つと男はそれを蹴り飛ばす。
頼みの綱、非常手段、最後の切り札だった飴玉は、小箱に入ったまま空中を舞い、あたしから遠ざかっていく。
ジョーカー……ワイルドカードを失ったあたしは、このまま殺されるのか。
不条理に殴られ、蹴られて死んでいくのか。
そう考えると、何故か妙に落ち着き始めている自分がいた。
やっぱりあたしって、死ぬことが怖くないんだな……。
「女に手を出すなって、親に教えてもらわなかったのか?」
数馬さんの声がした。
同時に真っ赤なコートの男が吹き飛んでいく。
倒れた男はビクビク痙攣している。
「大丈夫かよ、ルナ」
数馬さんはそういうと、あたしの体を抱きかかえた。
俗にいう、お姫様抱っこというやつだ。
たぶん、赤ちゃんのときからろくに抱かれたことがなかっただろうあたしは、なんだかは恥ずかしい気持ちになる。
そして部屋の出入り口のドアまであたしを運んだ。
「ひとりで行けるか? あいつはちょっとヤバそうだから先に逃げてくれ」
真っ赤なコートの男は衝撃から立ち直り、数馬さんに殴られたことなど忘れたかのように向かってくる。
そして力のまるで入っていなかった顔は、数馬さんのことを思いっきり睨んでいる。
数馬さんは、踏み込んで右ストレートを繰り出した。
男は防御もしない。
顔面に直撃して、長身が揺らぐ。
それから数馬さんは男の後ろに回り、チョークスリーパー仕掛ける。
呼吸が苦しいのか暴れる男。
数馬さんの手を、自分の喉から外そうと必死だ。
あたしは逃げろと言われたけど、嫌だった。
数馬さんの力になりたかった。
傲慢な言い方をすれば、数馬さんを助けたかった。
そして無我夢中で部屋にあった、ガラスの灰皿で男の頭を殴りつけた。
殺すつもりで振り落とした。
ミステリードラマとかでよく犯人が使っている凶器だ。
確実に殺れると思った。
だけど、男は血を流しながらも生きていて、さらに暴れる。
男の喉から数馬さんの手が離れ、あたしを睨んで、こちらへと向かってくる。
こいつは本当に人間なのか?
鈍器で殴ったようなものなのに、一向にとどまる気配のない男に、あたしはもう諦めてしまっていると――。
「おい、お前の相手はこっちだぞ」
数馬さんが男の胴回りに両腕を回している。
そして、それから男の長身が宙に浮く。
数馬さんがプロレスの技――ジャーマンスープレックスを男に喰らわせたんだ。
頭が床に突き刺さると、男はもう動くことはなかった。
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