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5 grain candy
ラフにペイントされた三色旗やバンド名をもしたタイトルにレモン――。
ストーン·ローゼスのレコードジャケットを見せてもらった。
石と薔薇というバンド名もだけど、このジャケットもかなりユニークだ。
「あんたの家はレコード聴けるか? よかったら貸してやるよ」
生まれて初めてレコードを貸してやると言われた。
少し前ならCDを友人同士で貸し借りしあうのが当たり前だったと、インターネットで見たけど。
こういうことはホントにあるんだな、と思った。
あたしは音楽を基本的にパソコンかスマートフォンで聴くので、持っていないことを伝えた。
結花は怪訝な顔をして「現代っ子だね~」と乾いた笑みを浮べる。
彼女は邦楽――日本の音楽をほとんど知らないようで、あたしがなんとなく聴いている流行歌の話をしても退屈そうだった。
「その話はいいや。それよりメシだメシ」
テーブルには大量のサラダと豆腐、そしてふかしたジャガイモに見たこともない四種類のドレッシング。
それとオレンジジュースとミネラルウォーターが置いてあった。
近くにコカコーラのペットボトルとジャックダニエルのビンもあったが、それは別に今から飲むものではないみたいだ。
結花はヴェジタリアンの中でもさらに厳しいヴィ―ガンというものらしく、肉や魚はもちろん卵、乳製品、蜂蜜などの動物由来の食品を一切摂取しないスタイルなんだそうだ。
身に付けているものにも気を使っていて、服やアクセサリーにも極力動物由来のものは使わないと言う。
……なんかイメージと合わないな。
彼女はファーストフードとかをガツガツ食べる感じがしたのに。
The Pretendersと書いてある大きめのTシャツを着て、下は下着だけのラフな姿の彼女はミニトマトを美味しそうに口に運ぶ。
あたしは彼女に、何故ヴェジタリアンになったのかを、その理由を訊いてみた。
よく聞く、宗教的なものなのか、それとも実は大の動物好きなのか?
結花は特に理由はないと答えた。
しいて言えば、そういう生き方、とだけ続けた。
一見、快楽主義っぽい感じがする彼女だけど、本当はすごくストイックなのかもしれない。
出てきたヴェジタブルなご飯を食べ終わった。
普通の食事に慣れているあたしとってはちょっと物足りない。
でも、久しぶりに美味しい食事だったな。
そんなあたしに気がついたのか、「食い足りないか?」と訊いてきた結花は、次に大量のクッキーを渡してきた。
どうやらハッカ入りのクッキーらしい。
それ口に入れ、ボリボリと噛みながらあたしは思う。
……お腹は膨れたけど、どうも食べた気がしないな。
やはりあたしの胃袋には肉や魚は必要のようだった。
さっき浴室で見た結花の体が、なぜあれほど細いのかは食事のせいなのだと考えていると――。
「そういえばさ。なんであんた上下スエットであんなとこにいたんだ?」
前髪にある白いメッシュ部分を手で払いながら、訊いてくる結花。
化粧を落としたスッピンの彼女の顔は、昨夜とは別人に見える。
その無垢な表情は、まるで穢れを知らない子供のようだった。
この世のありとあらゆるしがらみを感じたことない顔に見える。
どうすればそんな顔になるんだろう?
一体どんな生き方をすれば結花のようになるのだろう?
そんなことを考えていたあたしは「え~と」と言葉が詰まってしまう。
まさか自殺をするためにウロウロしていたとは言いづらい……というか言えない……。
学校で同性愛者だという理由でイジメられてるなんて……言えっこない……。
そのことを話したら、たとえ結花だって変な目で見てくるかもしれない。
そんなの……耐えられない。
あたしが俯いていると、彼女はニコッと微笑んで「まあいいや」と言いながら、次のレコードをかけ始める。
シスター·バニラという、結花の好きなバンド――ジーザス&メリーチェインの妹のユニットのアルバム『LITTLE POP ROCK』。
舌ったらずなボーカルに、オールディーズというのか、どこか昔の映画で使われていそうな、懐かしいメロディーが鳴っている音楽だった。
「なあ、よかったらこれからもクラブで皿を回すときは手伝ってくれよ」
彼女のその言葉を聞いて、あたしは胸がいっぱいになる。
自分が気がついていないだけで、涙ぐんでいたかもしれない。
だって、こんな風に人から頼りにされたことって人生で初めてだったんだもん。
それにしても皿ってなんだ?
回すと言うから、たぶんレコードのことかな?
今度ネットで調べよう。
昨日会ったばかりの彼女に、どうしてこんなに惹き付けられるのだろう。
あたしはハッカ入りのクッキーを食べながら、ようやく自分の人生が始まった感じがしていた。
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