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「おめでとう!」  シャンパングラスがあたるチンという音が部屋のあちらこちらで響いた。私は隣に立つ和義のグラスに自分のグラスを重ねる。 「おめでとう、ありがとう」  和義はわざわざ耳元に唇をよせて囁いた。私が耳が弱いことを知ってのことだ。案の定、体の中にゾクとした感覚が走る。 「ありがとう」  自分の婚約におめでとうと言う和義のセンスは嫌いではない。でも自分自身が使うのは憚られた。  私とは違う、明るくてたくさんの友達がいて、婚約パーティーまで開いてもらえる。和義が社内で築いたポジションも、そんな彼だからこその結果だと思う。 「和義!今日は呑めよ。それで今日こそ潰すからな、覚悟しておけ!」  そう言って近づいて来たのは和義と同期の斎藤さんだった。 「響さん、このあと二次会で和義 借りますからね。今日は許してください」  私は笑いながら頷いた。 「えー、カンベンしてくれよ。ようやく取れた休みなんだからな、響の部屋に行くつもりだったのに」  頷く私を見てから和義は言った。シニヨンの後れ毛に触れた彼の細い指が、また耳に触れて淡い快感が走る。 「響さんの許可もらったからいいんだ。これから一生一緒にいられるんだからな。社内だけじゃないからな、おまえは多くの取引先の男を敵に回す。うち一番の美人受付嬢をかっさらった男ってな」  斎藤さんは笑いながら和義を小突くと少し昔に流行った歌を歌いながら私たちの前から離れて行った。 「ごめん、今日は行けないわ。あいつら徹夜で引きずり回すつもりだ」  和義が顎で指した方では、彼と同期のメンバーがテーブルを囲んでいる。  斎藤さんが歌ったとおりだ、これから私たちは一生一緒に過ごす。この婚約パーティが終わったら、来月の和義の誕生日に籍を入れることになっている。 「響さん、おめでとうございます!」  後輩の受付嬢たちが駆け寄ってくれた。皆、鮮やかなパステルカラーの服。もう私には着られない色彩がまぶしかった。 「ありがとう。みんなかわいい」 「えぇ~、響さんには叶わないですぅ。なんといっても主役ですもん。お二人が素敵すぎてクラクラしちゃう!」  大袈裟な物言いに笑った。  パステルカラーの服が似合う大人の時間、それは案外短いのかもしれない。そんなことを思いながら、彼女たちとシャンパングラスを重ねた。 「響、おめでとう」  その声に振り返ると、柚子が微笑んで立っていた。 「華々しくラストを飾ったな」  半年前、柚子が転職して同期女性は社内に私だけになっていた。 「ありがとう。華々しいかな?」 「もちろん、出世コース間違いなしのスーパーエリートとの結婚退職になるんでしょ?」  柚子の言葉に頷いた。 「うん、辞める」  パステルカラーが似合った頃は、結婚して仕事を辞めることなど考えてもいなかったけれど、時の流れのなかで疲れてしまった。もし誰かと結婚することになれば仕事を辞めようと思っていた。そしてそれが許される相手を選ぼうと。  東 和義、私の夫になる男はそれが許される相手だ。
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