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ごうごうとやかましく社の屋根を打つ雨の音に、しずは草を編む手を休め、うっとりとした顔で聴き入っている。
他人より少し身体の弱いしずにとって、湿気も海風もあまり当たりすぎるのは毒だ。特に常波の住まうこの社は、小山のてっぺんの吹きさらしにあり、山すその集落よりも強く潮風が吹きつける。なのに、常波がどんなにたしなめても、しずは足しげくこの社に通ってくる。それでも拒絶しきれぬのは、他の神との交わりもあまりない辺境の漁村で、常波にとってしずはよい話し相手だからだ。
漁にも出せず、常に浜で細々と家の手伝いをするしずは、少し肩身の狭い思いをしているのだろう。あまり自分自身や家人の話をしたがらないが、常波の古い話や言い伝えには、いつだって目を輝かせて聴き入っていた。
はじめて、しずが兄とともに父親に連れられて、この常波神社を訪れたのが、ちょうど十年前だ。
はじめは、それが自分に向けられた言葉だとは思いもしなかった。
――あんた、だあれ?
社の屋根で瓜を食っていた常波が、人の気配にひょこりと顔を覗かせると、おかっぱの少女がきょとんとした顔で社の屋根を見上げていた。
常波は驚きのあまり、食いかけの瓜を取り落してしまった。屋根を転がり、どこかへ跳ねていった実のことなんて忘れてしまうほどだった。
――お前、神目かぁ
思わず返事をすると、
――神目? なあに、それ?
少女は不思議そうに問い返す。やはり常波の姿が見えるし、声も聞こえているのだ。
隣で、しずの手をひくしずの父親が、ぎょっとした顔になった。
――しず、誰と話しとるんや
――あの子やよぉ。ほら、あそこ……あれ?
――なんもおらんぞ
神を見る目――神目を持つ人間。うわさに聞いたことはあったが、こうして面と向かい合うのは、長く生きてきた常波もはじめてのことだった。もちろん、しずも神を見るのははじめてだったのだろう。己の目にしか見えていないのだとわかるにはしずは幼く、すぐさま身を隠した常波だったが、しずは己の見たものを熱心に父親へ語り続けた。
――いたんよ、真っ白い髪の男の子。屋根の上でこっち見てたんよ
――鳥かなんかと見間違えたんやないか
しずの兄が笑う。父親もうんうんとうなずいた。
幼いしずの言葉をどちらも本気にしなかった。
――さあ、それよりお参りをしよか
せっつかれ、三人は並んで参拝をはじめた。けれどしずは手を合わせている間も、ずっと屋根を見上げていたのだった。
お参りをすませ、帰ろうと促されても、しずは諦めきれぬようで、振り返り、振り返り、それでも父親に従って参道を下ってゆく。
常波は、しずたちが山を下りていってからもしばらく、ひっそりと息をひそめていた。
はじめて自身の姿を見、声を聞く者に会った。嬉しい気もしたし、おっかない気もした。人を畏れるなどばかばかしいことではあるが、きっとあの子に向けた常波の顔は、とんでもなくおったまげていたに違いない。
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