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如月のはじめ、しずが戻ったと、気を利かせた付喪神から告げられた。
ほんとうは社の中を転げまわりたいくらいに嬉しかったのだが、頑張って堪えた。会いに行くこともしなかった。神である己からほいほい姿を見せるのはよくないと、つまらない意地を張り続けた。
しずはそのうちやってくる。前みたいに、細っこい足でひょこひょこと山道を上って。
だがしずは、いっこうに常波神社に姿を見せることはなく、常波が焦れ焦れとしているうちに、日だけがどんどんと過ぎていった。
桃の節句が終わり、それでもしずは社へ来なかった。
常波を忘れてしまったのだろうか。
それとも、もう会いたくないということなのだろうか。
そう思ったら最後、辛抱できなくなり、常波はとうとう社を空け、しずを探して村を飛んで回った。
ほどなくして、しずは見つかった。
浜の掘っ建て小屋の軒下で、何かしている。常波は大声で呼びかけそうになるのをぐっとこらえ、少し離れた場所へ降り立った。
見ないうちに、しずは完全に大人になっていた。相変わらずほっそりとしているが、まなざしの落ちつきは、かつての少女らしいものではない。
それでも、しずはしずだ。
常波にとっての、たったひとりの神目の、しず。
うつむいたしずのうなじで、ほつれ髪が春の風に揺れていた。手元に落ちた視線はまっすぐで、他所事にはまったく気を取られていない。
しずは貝を剥いていた。
小刀を器用に使い、澱みない手つきで、貝はどんどんと身と殻に分けられてゆく。奉公先でも、ああして日々の厨の支度をしていたのだろうか。昔と変わらぬ器用さ、だがそこに流れた確かな月日を感じる。
姿を見たら、もはや黙っていられなかった。
仕事の邪魔をしてはならぬとわかっていたが、常波は近づき、天日干し用の網棚の陰からそっと名を呼んだ。
「しず」
しずが手を止め、振り返った。
「常波……」
目がまんまるになる。小刀を置いて、常波のほうへ駆けてきた。
「ごめんねぇ、挨拶に行かんとって」
なまぐさいにおいの手指が申し訳なさそうに合わさる。
そんなこと、どうでもよかった。
常波はぶるぶると首を横に振った。
「ええんや。元気そうで何よりや。尾伊主の水が性に合ったんやろ」
「そりゃあ元気やないとお暇出されてしまうからなあ。気張ったわよ」
言ってから、しずは後ろめたそうに目を伏せた。だが、何があったかなど、あえてその口から聞く必要もない。常波は何も知らぬ体を装った。
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